2008年05月24日

鎌倉街道下道(その2:上大岡〜綱島)

横浜は丘陵の多い地域だが、今回の経路はまさにその通り。

上大岡の先で、初めて旧鎌倉街道の道路標識が現れて、よくある街道による町おこしも関係なさそうな鎌倉街道に、少し陽の目が当たっていた。

20080524鎌倉街道旧道標識s-.jpg


蒔田からは街道は方向を変え、急峻な坂を上る。
これも何故かというと現在の桜木町、横浜駅に繋がる平坦な地域は昔は海だったため。
しかし、山越えをしなくても巻道を取れば良さそうなものだ。
この傾向は、横浜の他の部分でも顕著で、今も昔も旅人は景色の良い尾根道を好む性向は変わらない。

20080524清水丘公園s-.jpg


下ってゆく坂も、石難坂といかにも難儀な名前が付けられている。
保土ヶ谷宿の金沢横町で旧東海道と交差する。
今まで、街道間を繋ぐ街道は歩いたが、交差するのは初めてで、残っている道標も興味深い。

保土ヶ谷宿に沿う道は古町街道とも言われ、鎌倉街道のもう一つの特徴の崖線沿いに続いている。
また、ここは古東海道にも擬せられているらしく、何の説明も無い新しい標識がある。

20080524金沢横町道標s-.jpg  20080524個東海道標識s-.jpg


保土ヶ谷宿の神明社では、珍しい人形流しの池があり、「夏越しの祓」や大晦日の「大祓」でなくてもいつでも祓えると、有難い事が表示されている。早速、積もった穢れを人形に移して祓って来た。

20080524人形流しs-.jpg


横浜と言えば、ランドマークタワー。
その名の通り、尾根沿いの鎌倉街道からよく眼に入り、方向を確かめるのに好都合だ。
綱島街道の一本裏手が、鎌倉街道とは知らず、何となく愛着が湧いてくる。
鶴見川を渡って一区切りとし、今日の旅を終えた。

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2008年05月17日

鎌倉街道下道(その1:鎌倉〜上大岡)

鎌倉街道は鎌倉から高崎方面へ向かう上道、小山方面へ向かう中道、松戸方面へ向かう下道とあるが、いずれも分岐や支道を持ち、消滅している部分も多い。
五街道とは違い、歩くには一筋縄ではいかない街道だ。

しかしあちらこちらで名前を聞き、それにちなんだ故事来歴、地名も多く興味を引く。
身近にある街道にもかかわらず、何となく曖昧さが手を出すのを躊躇させていたが、まずは下道を歩いてみることにした。

街道の基点は鎌倉鶴岡八幡宮だ。

20080517鶴岡八幡宮s-.jpg 


ここから六浦までは金沢街道と言われていて、鎌倉七口の一つ朝比奈切り通しを抜けていく。
鎌倉第一の古寺杉本寺は、坂東三十三観音の第一番札所であり、階段の苔が美しい。
三体の十一面観音は行基、慈覚大師、恵心僧都の作とされ、街道歩きの始まりに相応しい豪華さだ。
この近辺には竹の美しい報国寺、鎌倉五山の一つの浄妙寺などもあり、寺巡りも面白い。

 20080517杉本寺s-.jpg


朝比奈切通は、思いのほかの山道でハイキングコースとしても丁度良い。峠では時代を感じさせる磨崖仏に出会うことも出来る。

20080517朝比奈切通s-.jpg  20080517磨崖仏s-.jpg


切通を下り終わると、市街地に入り、日蓮や吉田兼好の謂れの上行寺を過ぎ、金沢八景では明治憲法起草の地などの碑が。

20080517明治憲法起草の碑s-.jpg


金沢文庫からは市街地を離れ、再び山道の六国峠のハイキングコースになる。
今の海岸寄り平坦な土地は昔は無くて、海だったと言うことだろう。

コースの途中に現在の地名の能見台の元になる、能見堂跡がある。
金沢八景も、そもそもここに立ち寄った中国僧心越禅師が、ここから見た景色が、中国の瀟湘八景にそっくりと絶賛したことから名付けられたとか。

150513s-.JPG


山道を終わり、大規模な能見台団地を過ぎると大岡川に沿った古道の雰囲気を残す道が続く。
史跡は無いが、崖線に沿った車の殆ど通らないのんびりした道が楽しめる。
ところどころに”かねさわ道”の案内が出ていて、保土ヶ谷から六浦までの古道をそうも言ったと言うことだ。

20080517かねさわ道s-.jpg  20080517かねさわ道説明版s-.jpg


再開発で様変わりした上大岡駅で、今日の歩きを打ち上げたが、二つの山道歩きと、市街地でのルートファインディング的面白さもあって、思った以上に楽しめた一日目だった。

20080517上大岡s-.jpg
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2008年05月05日

日光壬生道

日光壬生道は日光街道の小山から、日光例幣使道の楡木を繋ぐ6里の道で、一日で手軽に歩くには手頃な距離だ。

風薫る五月に、たまには上り方向でと、かつて歩いた二つの街道を繋ごうと楡木から歩いてみた。

日光例幣使道で歩いた追分にある碑、「右中山道 左江戸道」
日光例幣使道は倉賀野から中山道だ。

20080504楡木追分s-.jpg  20080504楡木追分碑s-.jpg

道はずっと歩道が完備されていて歩きやすい。

壬生の手前には義経伝説について回る、金売り吉次の墓。
侘しい丸石で、墓は奥州街道の白坂の先にもあり、こちらは吉次三兄弟のものといわれて市指定の史跡にもなっていて立派だった。
どちらの伝承が正しいのか。

20080504金売り吉次墓s-.jpg


壬生にある壬生寺は、慈覚大師円仁の生誕地とされている。
ここに産湯の井戸があるが、例幣使道の犬伏付近にも生誕地があり、同じく産湯の井戸がある。これもどちらの伝承が正しいのか。

20080504慈覚大師井戸s-.jpg


一里塚も木こそ植え替えられているがかなり残存しており、壬生のものは全国で17しかない国指定の一里塚の一つ。

20080504壬生一里塚s-.jpg


楽しみにしていた下野国分寺は、未整備で塔跡などが僅かに基壇となっている。
各地の国分寺や、国分尼寺はどこも整備計画があるようだが、遅々として進んでいないの実情だ。
隣接して国分尼寺もありこちらの方が整備が進んでいるようだが、先を急いだ。

20080504下野国分寺s-.jpg


すぐ傍には伝紫式部の墓。
今年は源氏物語千年紀で姦しいが、ここはひっそりと残されている。
付近の土地は紫といい、これも紫式部にちなんだとか。
しかし、案内板は逆に地名が紫なので、紫式部の墓といわれるようになったとの夢の無い記述がされていた。

20080504紫式部墓s-.jpg


青葉若葉と麦の穂が美しい。麦秋もまもなくだ。

20080504麦畑s-.jpg


日光街道の小山宿と新田宿の間にある、追分から小山駅までの道のりが一度歩いた事があるのに思いのほか長かった。
左日光壬生道、右日光道中。

20080504日光街道追分s-.jpg
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