2008年06月23日

禁断の奥州街道(その14:福岡宿〜三戸宿)

三日目は雨となり、斗米駅を降りる足取りもやや重い。
旧道はまだしも、国道で疾走する大型トラックのしぶきを浴びながら歩くのは気が滅入る。

名前が気にかかる金田一宿は雨の中、人っ子一人通らず見所も無い。
足早に通り過ぎる。

20080623金太一宿s-.jpg


この辺から、道探しの迷走が始まり、今もあるのか無いのかはっきりしない街道を探して、右往左往。
今日のお目当ての、岩手県と青森県の境にある蓑ヶ坂青森県側の登りり口にたどり着くと、とても歩ける状態で無い事が判明。
すごすごと、国道に戻り青森県側に大迂回。

20080623蓑が坂看板s-.jpg  20080623蓑が坂登り口s-.jpg


青森県側もあまり急坂ではないようだが、草茫々。

20080623蓑が坂青森県側s-.jpg


諦めて三戸への道を下り始めると古びた、案内標識を発見してこれに続いている道は轍の跡もあり、何とかなるのではと再チャレンジ。
なんとこの雨の日に、下草刈りの作業をしている人があり、感謝感激して、無事峠にたどり着く事が出来た。
これも天佑のようで、街道歩きの醍醐味か。

峠にはここも明治天皇の足跡だが、吉田松陰が若干21歳の時に東北遊学時に足を印しているのが意外だった。

20080623蓑が坂刈り込み後s-.jpg  20080623蓑が坂碑s-.jpg


三戸城の見学などでも予想外の時間をとられ、3時間で済む予定が9時間と、大幅な超過。
道迷い、道探し、行止り、迂回と悪戦苦闘の一日だった。

20080623三戸城門s-.jpg  20080623三戸駅s-.jpg


ようやく青森県に入ったが、これから先はまた鉄道から離れる為、アプローチに苦労する。
この次来れるのは何時の日か。




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2008年06月22日

禁断の奥州街道(その13:沼宮内宿〜福岡宿)

昨日とは打って変わって、20度も下がって気温は13度。
一日肌寒い中を歩く日だった。

一戸宿へ向かう途中は山道となり、自生しているルピナスが不思議。

20080622ルピナスs-.jpg


火行地区は明治天皇巡幸の折、「山また山の果てしなき地」と記されていて旅人がしばしば凍死したとか。
廃屋がさもありなんと思わせる。

20080622火行地区廃屋s-.jpg


山を下って再び街中に入るが、どこの町も立派に道筋が改修されていて建物も建替えられ、昔の装いが失われ、面白みがなくなってしまったのは同じだ。
そして、その道に人っ子一人姿が見えず、肝心の車も全く走っていないことも哀しいまでに同じ風景。

20080622小鳥谷s-.jpg


一戸宿手前で気に掛かる学校があり、何気なく写真を撮ったが、調べると安藤忠雄の設計。
楕円形の部分が気に掛かる。
大阪の、計画案だけの中の島公会堂のアーバンエッグ以来、楕円は安藤のテーマで、渋谷の新地下鉄駅の「地宙船」の楕円はどうか。

20080622一戸南小学校s-.jpg


一戸宿の実相寺には、雄木でありながら小枝の一部に雌花がつき、毎年ブドウ房状の実を結ぶという珍しい銀杏が。
国の天然記念物。

20080622実相寺銀杏s-.jpg

高速道路のインターへの導入路に散々悩まされながら、美しい日本の歩きたくなる道500選にも選ばれた「末の松山のみち」で波打峠へ。

ここは、海底からの隆起を示す交叉層が見られ、これも天然記念物。
末の松山は宮城にもあるが、霧の中どれが末の松山か。

 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは

20080622波打峠s-.jpg

福岡宿(二戸)では秀吉に反乱した九戸政実の九戸城跡を見学。
これも、つわものどもの夢の跡。

二戸の九戸だからややこしい。
二戸は地名で九戸は人名。しかし地名の九戸も二戸の傍にあり、更に混乱する。

20080622九戸城s-.jpg

意外と大きな福岡宿を抜けて、斗米駅で打ち止めた。
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2008年06月21日

禁断の奥州街道(その12:渋民宿〜沼宮内宿)

梅雨の雨空を避けて、東北に好摩からの奥州街道の続きに。
涼しい筈が31度の国道歩きは予想外。

20080621気温31度s-.jpg


街道沿いの巻掘神社は金精大明神を奉っていることで有名で、境内にも巨大な女陰石と男根石が鎮座する。
この神社は金精神の本源となる神社と言われて、由緒深いもの。

20080621巻堀神社s-.jpg


沼宮内で思わぬ雷雨にあって一休み。ここでは、北上川も小川のようになる。

20080621北上川1s-.jpg


銀河鉄道の御堂駅を過ぎると道はようやく国道を離れ、一息で御堂観音。
ここに弓弭の泉がある。
前九年の役で源頼義、義家父子が進軍した際、打ち続く炎暑に兵馬が苦しむのを忍びず、観音に救世祈念、義家が弓弭を持って岩にさしたところ、泉がこんこんと湧き出たのが謂れとか。
この泉が北上川の源流と言われていて、ずっと付かず離れずだった北上川ともお別れだ。

20080621弓弭の泉s-.jpg

何処となく北海道の開拓農村のイメージのある、畑の風景を通り過ぎ、一戸宿の手前で街道から離れ、最寄の奥中山高原駅で打ち止めた。

20080621農村風景s-.jpg 20080621遠景s-.jpg
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2008年06月14日

鎌倉街道下道(その4:新橋〜江戸川)

皇居を過ぎて、大手町で将門塚を拝む。
祀られている地番が大手町一丁目一号だ。

何しろ崇徳上皇,菅原道真と並ぶ三大怨霊と言われ伝説、謂れには事欠かない。
公の霊を祀って神田明神が建てられた。

20080614将門塚s-.jpg


すぐ傍のサンケイビルにはリーバーマンのイリアッド・ジャパンの朱色の彫刻があり、向かいの逓信博物館の同じ朱色の清水九兵衛作の陽甲と呼応している、
芸術家同士の、密やかなアイロニーと共感が伺える。

20080614イリアッドs-.jpg


日本橋から浅草までは日光街道と同じなので、歩きを省略する。
白髭橋を渡ると隅田川神社があり、狛犬の代わりに珍しい狛亀が鎮座。狛亀のある神社は都内には他にもあるようだ。

20080614隅田川神社s-.jpg  20080614狛亀s-.jpg


次々と荒川、中川、新中川と渡り、江戸川にたどり着く。
丁度菖蒲園の菖蒲が満開で、街道はまだ北へ続くが、とりあえずの鎌倉街道下道の都内の歩き終わりに花を添えた。

20080614江戸川s-.jpg  20080614菖蒲園s-.jpg

今回は短時間の間に隅田川、荒川、中川、新中川、江戸川と巡る行程だったが、ほかの街道歩きでこのような短時間で多くの川を渡った記憶は無い。

時代の変遷で放水路だったものが本歌を取ったりして河川名の変更は複雑だが、日本有数の低湿地帯であることを図らずも肌で感じるルートだった。
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2008年06月08日

鎌倉街道下道(その3:綱島〜新橋)

都会の中の街道は、風物を楽しみながらの歩き旅にはなり難い。
しかし、僅かに残っている昔の便を目にすることや、近くにありながら一度も立ち寄ったことの無いものに、巡り合う楽しさもある。

綱島には昔の名主の立派な飯田家住宅が、解体修復され動態保存されている。
都会でまだこのような建物が活きた形で使われているの見るのは嬉しいが、住む人も大変な努力が必要だろう。

091243s-.jpg  091412s-.jpg


この街道で、二つ目の鎌倉街道の碑。日吉のそばの駒が橋。
最近立てられているが、どのような組織が作ったのか。

101614s-.jpg


武蔵中原手前で、道は丸子橋を過ぎるまで以前歩いた中原街道と重なる。
都内に入ると、大井までは池上を通るルートと、洗足池を通るルートの二つの説がある。
後者はその2/3位が中原街道で、既に踏破済みなので今回は池上ルートを選ぶ。

多摩川を挟んで川崎側には二ヶ領用水、東京側には六郷用水があった。
二ヶ領用水はかなりの部分が残っており、今でも市民に憩いの場を提供しているが、六郷用水は残念ながら殆ど埋め立てられて、緑道や歩道になってしまった。
公園化されて、僅かに残るせせらぎが昔の名残を留めている。

114825s-.jpg


大森では名前だけは誰でも知っている大森貝塚に立ち寄り、モース博士の功績をしのぶ。
縄文という言葉はモース博士が発掘した土器をCord Marked Pottery と報告したことに由来するということを知る。

144156s-.jpg  144003s-.jpg


大井からの道は殆ど消失し、大井操車場に沿うしかない。
御殿山を抜けると、再び中原街道で通った尾根道になる。ここは色々史跡や気を引く建物が多く、何度歩いても楽しめる。

171236s-.jpg


三田を過ぎ、芝公園の醜いプリンスホテルのすぐ傍には丸山古墳。
都心のこんな所に古墳があるとは初めて知り、挨拶に。

175832s-.jpg


愛宕山を越え、東京駅までは一寸届かずに、西新橋で打ち止めた。
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