2008年09月28日

鎌倉街道中道(その4:新宿〜赤羽岩淵)

新宿の六地蔵の一つの太宗寺、ここは甲州街道を歩いた時も立ち寄ったがその横の道が、鎌倉街道中道。
再び詣でて歩き出す。

20080928太宗寺地蔵s-.JPG


西向天神では鳩の森神社に続いてこの街道二つ目の現存の富士塚があるが、立ち入り禁止となっている。
この境内には、太田道灌の「七重八重花はあれども山吹の みのひとつだになきそ悲しき」山吹の里伝説で有名な娘、紅皿の墓があり寂しげに花が手向けられていた。

20080928西向天神富士塚.JPG  20080928紅皿の碑1s-.JPG


道は戸山が原へ続き、ここは驚くほどの緑が残っていて、旧市内では最も高いといわれた箱根山がある。
海抜44m、残念ながら木が繁り、眺望は皆無。

20080928箱根山s-.JPG


道は早稲田の学生の闊歩する高田馬場を抜け、神田川に架かるその名もゆかしい面影橋へ。
名称は在原業平などに由来する説などがあるようだが、実際は名前負けする無粋なものなのは残念。

20080928面影橋1s-.jpg


目白の宿坂の金乗院は江戸五不動の目白不動を奉っていて、それが目白の地名の由来。境内には丸橋中弥の墓もある。
都電の鬼子母神駅を過ぎて鬼子母神へ。ススキの穂で造られたミミヅクの郷土玩具でも有名だが、あいにく売っていなかった。
境内の小ささも意外。

20080928金乗院s-.jpg  20080928鬼子母神s-.jpg


池袋のサンシャイン脇を抜けて、王子へ進むと御成道となる。
この道は本郷で中山道から分岐して、幸手宿で日光街道に合流する。

その道の傍らに今度は十条富士塚。
ここは現在も6月30日、7月1日に祭儀が行われ、古来からの風習が生き続けているのは何となく嬉しい。

20080928十条富士塚s-.jpg


赤羽で今日二度目の登場の太田道灌の稲付城旧跡を見て、新荒川大橋を越え、ついでに川口まで歩いて一日を終える。

20080928進荒川大橋からs-.jpg


池袋以外は繁華街も少なく、結構な史跡もあり、かなり楽しめた今日の鎌倉街道中道だった。


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2008年09月27日

鎌倉街道中道(その3:二子玉川〜新宿)

荏田から二子玉川までは大山街道の道筋と同じなので省略し、この日は二子玉川から都内の道を辿る。

都内の中道は二筋あって、二子玉川から一つは渋谷、新宿を経由、もう一つは世田谷、中野を経由。
二つの道は赤羽で合流して荒川を渡り、岩槻を越え日光御成道、奥州街道へと繋がる。

世田谷ルートはこれも一部大山街道と重複するので、渋谷ルートへ足を運ぶ。

二子玉川の駅前は大規模開発で中道の古道は無いが、丸子川に沿って大山街道があり、大山街道の道標が。
「左西赤坂道、南大山道、右東目黒道」

20080927南大山街道道標s-.jpg


旧道は上野毛を越えて、目黒通りに合流。目黒区上馬、下馬あたりで源頼朝の伝承の葦毛塚をみる。
上馬、下馬の地名はそもそも、この辺が湿地帯で頼朝の奥州征伐の時に、下馬したところが下馬、再び乗馬した所が上馬とか。

20080927葦毛塚s-.jpg


目黒区から渋谷区へ抜ける目切坂の案内に、鎌倉街道の言葉が見える。

20080927目切坂s-.jpg


上り切ったところに、重文の朝倉家がつい先日から公開されていて、内部も庭も素晴らしく、隣の代官山ヒルサイドテラスの散策がてら訪れるには絶好だ。

20080927朝倉家住宅s-.jpg  20080927朝倉家住宅内部1s-.jpg  20080927朝倉家住宅内部2s-.jpg


街道は、猿楽町を越え、青山、表参道と続くがここでも街道にとっても鬼門の繁華街で、迷いに迷い、漸く千駄ヶ谷の鳩の森神社に辿り着く。
ここは立派な富士塚が残っており勿論登頂参拝。
昔は富士が見えたのだろう。

20080927鳩の森神社富士講2s-.jpg  20080927鳩の森神社富士講2s-.jpg


街道は新宿御苑内を抜けるが、迂回して新宿駅で歩き終える。
都内の街道としては、今日の部分は掘り出し物も多く楽しめた。
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2008年09月06日

禁断の奥州街道(その17:七戸宿〜小湊宿)

七戸を出ると2010年に開通すると言う、建設中の新幹線七戸駅が見える。
町からはかなり離れているので、七戸町への直接的な経済効果は疑問があるが、十和田湖へのアクセスは良くなりそうだ。

20080906新幹線七戸駅s-.jpg


直ぐに、奥州街道には珍しい立派な松並木が見えてくる。
しかしこれは明治時代に植えられたもので、街道用でなくて牧場の軍馬の風除けだったとのこと。
源平合戦の宇治川先陣争いの名馬「いけずき」は七戸産とかで、その歴史を引き継いで、牧場が多い。

20080906七戸松並木1s-.jpg


道は途中で奥州街道下道と上道に分かれるが、上道の方を辿り、千曳の日本中央の碑歴史公園で伝・壷の碑の「日本中央」と刻された碑を見る。

20080906壷の碑s-.jpg

壷の碑に字を刻したとされる坂上田村麻呂は、ここには来ていないそうだが付近の地名が坪であったり、東奥紀行で「壺の碑は南部藩の七戸壺村にあり」とか記されていたりして、多賀城のものより比定するのに確度が高そうだ。

日本中央の字は大らかに描かれており、坂上田村麻呂が鏃で刻んだものではないにしても古代のロマンを感じさせるに十分だ。


野辺地手前では七戸と野辺地を繋いでいた南部縦貫鉄道のレールが、まだ草生す中に残っているのも、ひときわ侘しく見えた。

20080906南部縦貫鉄道s-.jpg


野辺地港で奥州街道で初めて海に出る。
ここまではひたすら内陸部で結構な山道も多く、海を見る感慨もひとしおだ。

20080906野辺地港常夜灯s-.jpg


野辺地からは今までとは一転して海岸沿いの道となる。
遥かここまで影響を及ぼしている戊辰戦争の跡や、津軽藩と南部藩の藩境塚などを見て、小湊宿で足を止めた。

20080906藩境塚s-.jpg


次に来るのは寒風吹きすさぶ冬の頃か。
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2008年09月05日

禁断の奥州街道(その16:五戸宿〜七戸宿)

五戸では天明の飢饉の時の、飢餓救済事業として行われたという江渡家住宅を見学。
まだ現役で使われている。
酒田市の本間美術館本館も冬季の失業対策として行われたというから、陸奥で昔からの公共事業の原型を見る思い。

073816s-.jpg


何故か五戸では、ハングル表記が目に付く。
韓国の人が多く旅行していたり、住んでいるとも思えないが不思議。
良い意味の国際化なのか。

083701s-.jpg


十和田市に入ると「駒の里」の表示が多い。
十和田というと反射的に十和田湖を思い浮かべるが、町村合併で十和田湖町と十和田市が合併して、新名称が十和田市となった。
十和田湖町は十和田湖を売り、十和田市は駒の里を売っていた経緯を引きずっているようだ。

ちなみに駒の里は明治時代、十和田市の前身、当時の三本木町に陸軍軍馬局出張所が開設され、3,000余頭の馬を管理していた事から来ているとか。

085416s-.jpg


ここは今は整った市街地だが、江戸時代は宿場は無く、茫々たる原野の三本木原だった。
新渡戸稲造の先祖が開拓発展させて今日に至るが、民度の高さをうかがわせる街並みだ。

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昨日と違って、間違いようの無い国道の一本道を歩き続けて七戸宿へ。
ここでは秋祭りに遭遇した。
どの地方都市でも町の疲弊は甚だしいが、祭りで沢山の若い人、子供たちを眼にするとほっとする。

七戸は2010年に新幹線駅も開業するので、心なしか人々の顔も明るく見えた。

163022s-.jpg 20080906新幹線七戸駅s-.jpg
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2008年09月04日

禁断の奥州街道(その15:三戸宿〜五戸宿)

三戸から野辺地までは、鉄道ルートを離れるので一気に駆け抜ける必要があり、中山道の大井から御嵩を遥かに凌ぐ不便さだ。

三戸で南部利康霊屋を訪ねるが、鞘堂となっていて内部の見学は諦める。

20080904南部公廟s-.jpg


高山峠越への山道へ入ると、半分山道、半分林道で標識など殆ど無く地図だけを頼りに勘で歩くことになるが、あちこちの分岐が紛らわしくて閉口した。
ここも歴史の道百選に選ばれているが、整備状態はお粗末だ。

しかしここも高山山頂には、明治天皇御駐蹕所の記念碑があり、明治天皇の足跡には恐れ入る。

20080904高山への山道s-.jpg  20080904高山山頂碑s-.JPG


山中に安達ヶ原鬼婆伝説の碑が立っているが、二本松の伝説とどう関係があるか。
道筋に不安が出る時に、僅かに一本だけ残った松を見るとほっとする。

20080904松s-.JPG


浅水宿からはまた、似たような山道になる。

今日は三戸から五戸まで、静かと言えば静か、見所が無いといえば見所の無い道筋だった。
街道歩きというよりは、トレッキングコースに最適で、一里塚と明治天皇の足跡だけが目標のような旅だった。
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