2008年09月05日

禁断の奥州街道(その16:五戸宿〜七戸宿)

五戸では天明の飢饉の時の、飢餓救済事業として行われたという江渡家住宅を見学。
まだ現役で使われている。
酒田市の本間美術館本館も冬季の失業対策として行われたというから、陸奥で昔からの公共事業の原型を見る思い。

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何故か五戸では、ハングル表記が目に付く。
韓国の人が多く旅行していたり、住んでいるとも思えないが不思議。
良い意味の国際化なのか。

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十和田市に入ると「駒の里」の表示が多い。
十和田というと反射的に十和田湖を思い浮かべるが、町村合併で十和田湖町と十和田市が合併して、新名称が十和田市となった。
十和田湖町は十和田湖を売り、十和田市は駒の里を売っていた経緯を引きずっているようだ。

ちなみに駒の里は明治時代、十和田市の前身、当時の三本木町に陸軍軍馬局出張所が開設され、3,000余頭の馬を管理していた事から来ているとか。

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ここは今は整った市街地だが、江戸時代は宿場は無く、茫々たる原野の三本木原だった。
新渡戸稲造の先祖が開拓発展させて今日に至るが、民度の高さをうかがわせる街並みだ。

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昨日と違って、間違いようの無い国道の一本道を歩き続けて七戸宿へ。
ここでは秋祭りに遭遇した。
どの地方都市でも町の疲弊は甚だしいが、祭りで沢山の若い人、子供たちを眼にするとほっとする。

七戸は2010年に新幹線駅も開業するので、心なしか人々の顔も明るく見えた。

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posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 奥州街道(白河以北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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