2008年10月15日

禁断の奥州街道(その20:吉岡宿〜古川宿)

明日晴れて、吉岡宿を早立ち。

宿の外れに芭蕉も通った中山越えのある、出羽海道との追分がある。
境田までは全くの山の中だが、それでも海道。

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朝靄の中の、稲束が美しい。何となく感じる日本の佳き田園風景。

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吉岡宿から駒場集落までの旧道は、レジャーランドやダムが出来て失われ、大きく迂回する。
久しぶりに出あった東北自動車道を右左に縫いながら、三本木宿へ。
この辺でも明治天皇の足跡は健在だ。

20081015明治天皇碑s-.jpg


僅か8500人の人口規模にしては、不釣合いに立派で大きい町役場。
街中にある旧家に、少し補助金をつけて観光資源として整備すれば良いと思うが、見に来る人もいなさそうだ。
新建材で作られた、当たり前の店に変わってしまうのも時間の問題。
官が栄えて民が縮む地方都市。

20081015三本木町役場s-.jpg  101729s-.jpg


火炙りの処刑者を弔う為に、仙台広瀬川の石で建立したという大豆坂地蔵尊。今は延命子育て地蔵。
この程度のものはあちこちにあると思うが、日本一の大きさとうたっている。

20081015大豆坂地蔵s-.jpg


古川宿に入り白玉姫の歌枕の緒絶橋。
 みちのくの緒絶の橋やこれならん ふみみふまずみ心まどはす(藤原道雅)
今日11月23日は、いいふみの日。

20081115緒絶橋s-.jpg


大正デモクラシー指導者、吉野作造の学んだ古川小学校は懐かしい木造校舎が現在も使われていた。
吉野の号は古川学人。

古川小学校s-.jpg


この先は交通の便が極端に悪いので、昼を少し過ぎたばかりだが早々と打ち止めた。
次はいつか。


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2008年10月14日

禁断の奥州街道(その19:長町宿〜吉岡宿)

長町宿から仙台宿へ入り、伊達家の廟の瑞鳳殿へ立ち寄る。
戦災で消失し再建されているものだが、十分に往時の華麗さを偲ばせる。

伊達家三代の華麗な廟に比して、若くして亡くなった公子公女の墓群が哀れを誘う。

20081014瑞鳳殿1s-.jpg  20081014瑞鳳殿3s-.jpg  20081014公子公女墓s-.jpg


街道へ戻り、広瀬通りの手前の芭蕉の辻。

20081014芭蕉の辻s-.jpg

場所の辻が訛ったとも、芭蕉の樹があったからとも言われているが、いずれにせよ松尾芭蕉とは無関係。
碑には「南 江戸 日本橋迄六十三次 奥州街道」「北 津軽三厩迄 四十五次 百七里二十二丁 奥道中」、という事でここが奥州街道の仮の終着点で、これから奥は奥道中。

結構、ポイントになる碑なのだが、当然の如く街の人に所在を聞いても知らない人ばかりだったのは少し残念。

北山一帯には京都の東山五山に倣った北山五山があり、輪王寺の立派な庭園など見学に忙しい。
光明寺の支倉常長の墓は、うら寂しいが。

20081014輪王寺庭園s-.jpg  20081014支倉常長墓s-.jpg


仙台を抜けて、バブル期の残骸の買い手の付かない造成地ばかりが目に付く、結構な国道歩きのあと、鄙びた富谷宿。

20081014造成地s-.jpg  20081014富谷宿s-.jpg


仙台でのんびりし過ぎて、今日も日が暮れる。
天気予報は明日は雨だが、夕焼けが美しい。

20081014富谷宿s-.jpg

明日晴れるか。
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2008年10月13日

禁断の奥州街道(その18:槻木宿〜長町宿)

小湊宿から一転南へ戻り、槻木宿から一関宿までの間を繋ぐ旅を再開。

槻木宿では逢隈旅館が昔の風情を残している。

20081013遭隈旅館s-.jpg

逢隈は阿武隈の異称で、日本第6位の大河、阿武隈川は槻木宿の直ぐ傍を流れている。

 人知れず濡れにし袖の乾かぬは 阿武隈川の水にや有るらむ(貫之)

などの歌を知ると、古びた旅館も優雅に映る。


岩沼宿では、小野篁が陸奥守として着任した時造営したという竹駒神社。

20081013竹駒神社s-.jpg

日本三大稲荷の一つと自称しているが豊川稲荷、笠間稲荷、祐徳稲荷の本家三大稲荷に比べてどうですか。
京都にある小野篁の墓の隣には紫式部の墓があり、愛欲を描いて地獄に落た紫式部を閻魔にとりなしたからだとか。


すぐ傍には歌枕で有名な武隈の松(二木の松)。

武隈の松はこのたび跡もなし 千歳を経てやわれは来つらむ(能因法師)
枯れにける松なき跡の武隈は みきと言ひても甲斐なかるべし(西行)

奥の細道、三ヶ月掛かってたどり着いた歌枕の地。
旅立ちの時の餞別吟。
 武隈の松みせ申せ 遅桜(挙白)

武隈の松にこそ、め覚る心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。
       (奥の細道) 
 桜より 松は二木を三月越し(芭蕉)

20081013武隈の松s-.jpg

芭蕉の見たものは、5代目、現在のものは7代目と言われている。
ただの松でなく、二股に分かれたものなので、相応しい姿をしたものを探して受け継ぐのも大変そうだ。
能因法師や西行は、見る事が叶わなかったが、その二人を追い続け、5代目を眼にした芭蕉の気持は如何ばかりか。


増田宿では例によって、明治天皇巡幸時に命名されたと言う、衣笠の松。
樹齢600年と言うがとてもそうは思えない。この日は松づくし。

20081013衣笠の松s-.jpg


日もとっぷりと暮れるが、距離を稼ぐ為に歩き続ける。

交差点中央に吊り下げられた、歩行者と車用の信号を兼ねた信号機には驚いた。
何故か仙台には多いようだ。

20081013懸垂式信号機s-.JPG


まるで蝋燭のような三本のTV塔を見ながら夜の名取川を渡り、長町で歩き終えた。
 
20081013仙台TV塔s-.jpg
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