2008年10月13日

禁断の奥州街道(その18:槻木宿〜長町宿)

小湊宿から一転南へ戻り、槻木宿から一関宿までの間を繋ぐ旅を再開。

槻木宿では逢隈旅館が昔の風情を残している。

20081013遭隈旅館s-.jpg

逢隈は阿武隈の異称で、日本第6位の大河、阿武隈川は槻木宿の直ぐ傍を流れている。

 人知れず濡れにし袖の乾かぬは 阿武隈川の水にや有るらむ(貫之)

などの歌を知ると、古びた旅館も優雅に映る。


岩沼宿では、小野篁が陸奥守として着任した時造営したという竹駒神社。

20081013竹駒神社s-.jpg

日本三大稲荷の一つと自称しているが豊川稲荷、笠間稲荷、祐徳稲荷の本家三大稲荷に比べてどうですか。
京都にある小野篁の墓の隣には紫式部の墓があり、愛欲を描いて地獄に落た紫式部を閻魔にとりなしたからだとか。


すぐ傍には歌枕で有名な武隈の松(二木の松)。

武隈の松はこのたび跡もなし 千歳を経てやわれは来つらむ(能因法師)
枯れにける松なき跡の武隈は みきと言ひても甲斐なかるべし(西行)

奥の細道、三ヶ月掛かってたどり着いた歌枕の地。
旅立ちの時の餞別吟。
 武隈の松みせ申せ 遅桜(挙白)

武隈の松にこそ、め覚る心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。
       (奥の細道) 
 桜より 松は二木を三月越し(芭蕉)

20081013武隈の松s-.jpg

芭蕉の見たものは、5代目、現在のものは7代目と言われている。
ただの松でなく、二股に分かれたものなので、相応しい姿をしたものを探して受け継ぐのも大変そうだ。
能因法師や西行は、見る事が叶わなかったが、その二人を追い続け、5代目を眼にした芭蕉の気持は如何ばかりか。


増田宿では例によって、明治天皇巡幸時に命名されたと言う、衣笠の松。
樹齢600年と言うがとてもそうは思えない。この日は松づくし。

20081013衣笠の松s-.jpg


日もとっぷりと暮れるが、距離を稼ぐ為に歩き続ける。

交差点中央に吊り下げられた、歩行者と車用の信号を兼ねた信号機には驚いた。
何故か仙台には多いようだ。

20081013懸垂式信号機s-.JPG


まるで蝋燭のような三本のTV塔を見ながら夜の名取川を渡り、長町で歩き終えた。
 
20081013仙台TV塔s-.jpg


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 奥州街道(白河以北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。