2008年12月27日

鎌倉街道上道(その1:鎌倉〜鉄砲宿)

鎌倉街道上道は鎌倉から高崎まで140kmあって、日光街道を越える距離で少し長丁場。
師走の小春日和、歩き納めで2008年三度目の鎌倉へ。

鎌倉では花の寺の海蔵寺手前を折れて、鎌倉七口の一つの化粧坂を登る。
短い距離だが結構な急坂で、街道だから勿論馬も通ったのだろうが、人馬の苦労がしのばれる。

20081227化粧坂s-.jpg  


源氏山では日野俊基の墓、葛原神社など詣でる。正中の変でどこと無く聞いた記憶はあるが、それよりも一本の寒桜に眼を奪われ、樹林に切り取られた富士が驚くほどの大きで見えるのも面白い。

20081227日野俊基墓1s-.jpg   20081227寒桜1s-.jpg 


風情のある尾根道を少し歩いたあとは、ありきたりの道になるが鎌倉街道らしく町村境を縫っている。
このあたりの地名は梶原で、義経の敵役の梶原景時の墓も深沢小学校にあるらしいが見逃した。

慈眼寺ではモチノキ、タブノキ、スダジイ三本の寄り木があって珍しい。
本殿前には桜と欅の寄り木もある。

20081227慈眼寺寄り木s-.jpg


源頼朝が、狩りの時立ち寄ったという柄沢神社周辺は造成工事の真っ最中で、境内も削られて、神社も最近移設された姿で足元と縁だけが新しい、わびしい姿で残っていた。

20081227柄沢神社s-.jpg

滝野川へ下り又、上り返し殆ど勘だけで道を歩いて行くと一号線の鉄砲宿へ出る。
ここは、東海道を歩いた時に当然歩いているのだが、勿論記憶は無い。
しかし東海道に敬意を表して、かなり時間は早かったが、この先バスもままならそうなので、打ち止めて、鎌倉街道上道の一日目を師走に楽しく歩き終えた。


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2008年12月17日

禁断の奥州街道(その23:小湊宿〜青森宿)

一転北上して、八戸に宿を取り翌日小湊宿から青森宿を目指す。
数日前の寒波で雪が降り、足元にやや不安有り。

小湊駅は朝日に輝くが、空は曇天。
小湊宿を抜けると国道歩きとなり、気温は1度、足元にも雪が残る中、寒さに耐えつつ歩き行く。

20081217小湊駅s-.jpg  20081217雪s-.jpg  20081217一度s-.jpg


寒冷地でしか見られない、スノーポールも珍しい。

20081217スノーポールs-.jpg


浅虫温泉では、海岸沿いの公園に巨大オブジェが鎮座して気に掛かる。三台丸山の巨大な掘立柱の遺跡を思い出す。

一風呂浴びる余裕は無いが、青森のシンボルの岩木山、津軽半島も彼方に見え、三厩までの道を想像する。

20081217巨大椅子s-.jpg  20081217岩木山s-.jpg
 

善知鳥崎は今は隧道で抜けられるが、昔は親不知・子不知と並ぶ二大険路とか。
そもそも善知鳥は鳥の名前でなぜ、善知鳥を「うとう」と読むのかは諸説あるようだが、
・・・ウトウに善知鳥の字をあてたるは、葦をアシともヨシとも唱ふるより、アシには悪字を書し、ヨシには善字を書し、葦原の中に住む千鳥ゆえ悪千鳥、善千鳥と書し、善知鳥となった。・・・
とその一つの説を青森の善知鳥神社では説明する。

20081217善知鳥崎s-.jpg


野内宿では、久方に残っている松並木を見る事が出来る。

20081217野内宿松並木s-.jpg


合浦公園を抜けると青森宿。
青森の発祥の地といわれる善知鳥神社前には、真新しい「奥州街道終点記念の碑」がある。
地元の人は、ここから先は松前道・外浜道などと言っているようだが、いきなり終点といわれても困惑する。

20081217奥州街道終点の碑s-.jpg


善知鳥神社で年末に向けて設けられた大祓えの茅輪で、纏わり付いた穢れを落とし、青森駅に辿り着く。
夕闇の中、馴染みになった青函連絡船を眺めるが、最後の三厩までの街道に、もう一度来るのは雪解けのあとの来春か。

二度目の、津軽海峡冬景色。

20081217善知鳥神社茅輪s-.jpg  20081217青函連絡船s-.jpg
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2008年12月16日

禁断の奥州街道(その22:築館宿〜一関宿)

陽も昇りきらぬ朝まだき、今日もまたやや道に不安のある山越えを控え、築館宿で昔の魚市場の建物を見て早々に歩きだす。
魚市場は面白そうな建物で少し前まで使われていた気配だが、今は閉鎖されており、中を見ることは出来ない。
双林寺以外殆ど観光資源の無い築館宿なので、有効な活用方法が見出せれば良いが、地震の後始末でそこまでの手がとても回らないか。

20081216築館魚市場s-.jpg


例によって、人気の無い街道風景の宮野宿。
雪景色の栗駒山を道連れとして、沢辺宿へ。

20081216宮野宿s-.jpg  20081216栗駒山s-.jpg


沢辺宿を抜けると、2007年3月廃線になった「くりはら田園鉄道」の廃線と駅舎がわびしく目に入る。
宮城内陸地震で亡くなった地域プランナーの麦屋さんが、この鉄道の保存活用のアドバイザーだったことを思い出す。
すぐ傍には、廃線をあざ笑うように、誰の為にか信じられない程豪華な金成町役場。
ここも官が栄えて民が衰退する象徴のような建物だ。

20081216沢辺駅1s-.jpg  20081216栗電s-.jpg  20081216金成町役場s-.jpg
 

金成宿で、今は歴史民族資料館として活用されている旧金成小学校の姿を見てホッとする。
隣の金成ハリストス正教会も美しい。函館ハリストス正教会を設計した河村伊蔵が監督し、昔の人の志は今も生き続ける。

20081216金成小学校s-.jpg  20081216ハリトリス教会s-.jpg


金成宿のそばには、奥州街道のあちこちに姿を現す金売吉次の親の炭焼藤太の墓があるが、街道から大きく外れる為に立寄りを断念。

金成宿を出ると道は、夜盗坂という怪しげな坂を登り、高速道路で大きく分断。ようやく一里塚のある旧道を見つけて有壁宿へ辿り着く。

20081216新鹿野一里塚s-.jpg


有壁宿の見ものは旧本陣の佐藤家だが、内部改修中ということで見学できなかったのは残念。

20081216有壁宿本陣s-.jpg


有壁宿からは一関側へ山越えの道が旧道だが、現在は地図にも記載が無く、諦めて国道へ迂回する。

国道沿いに一関藩主の菩提寺の祥雲寺の巨大な一切経蔵などを見学して、二年ぶりの一関に辿り着く。
これでようやく、虫食い状態だった奥州街道が一本に繋がった。

20081216一切経蔵1s-.jpg  20081216一関駅s-.jpg 

流石に陽が落ちるのが早く、時間切れで毛越寺再訪が果たせなかった事に悔いを残して、明日の足掛かり八戸へ向かう。
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2008年12月15日

禁断の奥州街道(その21:古川宿〜築館宿)

師走の晴れ間に、虫食い状態だった古川宿から一関宿を繋ぎ、ついでに一転北上して、小湊から青森宿まで。

古川宿の次の荒谷宿は、千葉周作に所縁のある斗瑩稲荷神社があるが、通り過ぎる。

20081215千葉周作s-.jpg


高清水宿では奥州善光寺に詣でる。
奥州藤原氏第二代の基衡が父清衡を弔う為に信濃善光寺を摸して建てたといわれるが、何故この地にという疑問は多い。
今の善光寺とは形も規模も似ても似付かず、信州善光寺も昔はこうだったのか。
しかし、信濃善光寺の分身「阿弥陀如来像」のお姿はたおやかだった。

20081215奥州善光寺s-.jpg  130803s-.jpg


高清水宿を抜けると、事前に1/25000の地図で確認してもあやふやだった、旧街道が良い状態で保存されているという場所に差し掛かる。
入り口に何の標識も無く不親切の極みだが、それらしい分岐を辿ると雰囲気のある道が現れる。
道は噂どおりの佇まいで、積み重なる枯葉が紅葉の頃はさぞやと思わせた。

20081215旧奥州街道.JPG

この道は力石の史跡で自動車道と交差している。
参考文献では、先は廃道状態と書かれているが、先まで辿る事が可能で、しばらく行くと畦道になる。国道まで辿れそうな気配だが、時間不足で途中で切り上げた。

現道をずっと迂回して、四号線を行くと築館インター手前の右の農道の先に、旧奥州街道の碑があり、足元を刈り込まれて整備された道が奥まで続く。
道を辿った出口らしき所にも旧奥州街道の碑があり、この先は力石からの道に接続しそうだが、これも時間切れ。

20081215級奥州街道碑(築館インター)s-.jpg


道を急ぎ、築館宿の杉薬師といわれる双林寺へ何とか明るいうちに辿りつく。
姥杉、豪壮な瑠璃光殿、左甚五郎作と伝わる軽妙な鐘楼など見所が多い。

20081215姥杉s-.jpg  20081215瑠璃光殿1s-.jpg  20081215双林字鐘楼s-.jpg

冬至も近く、日の入り4時15分。
寂しい街中では、薄暗がりでは見るべきものも無く、早々に宿へ引きこもった。
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2008年12月03日

志賀潔

街道:奥州街道
場所:仙台北山の輪王寺

113025s-.jpg  seishinu2.jpg

志賀潔:明治3年(1870)〜 昭和32年(1957)

細菌学者。赤痢菌の発見者として知られる。
著名な学者だが、晩年は赤貧にあえぎ、土門拳のつるを紙で修繕した眼鏡を掛けたポートレートでも有名だ。
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