2009年02月19日

鶴岡八幡宮の鳩

街道:鎌倉街道
場所:鶴岡八幡宮

鎌倉街道は、鎌倉の鶴岡八幡宮の参道を横切る流鏑馬道がその起点なので、鎌倉街道下道、中道、上道と辿る度に鶴岡八幡宮を眺める事になる。
その鶴岡八幡宮の額の「八」の字がよく見ると不思議な形をしていて、これは鳩を模った字になっている。

20081227鶴岡八幡宮s-.jpg  200081227八幡神社額s-.jpg

鳩は八幡宮の使いと言われていて、そのためにこの字が使われているとか。
宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請した際に、白い鳩が道案内をした事が由来らしいがあまり説得力もない気がする。

ちなみに京都の三宅八幡宮では狛犬の代わりに、狛鳩がいるそうだ。狛狼、狛兎、狛亀などは見た事があるが、この狛鳩も一度実際に見てみたいものだ。

鶴岡八幡神社の鳩は姿を変えて鎌倉名物のお菓子「鳩サブレー」としても、人々を楽しませてくれている。

hatiman02.jpg  鳩サブレ.jpg


posted by 遊戯人 at 13:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 街道博物誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月05日

鎌倉街道上道(その3:瀬谷〜乞田)

鎌倉街道は上道と言っても幾筋もあり、歩く所が興味深いかどうかは出たとこ勝負。

瀬谷からの道は前回と同じに、境川寄りの道を歩いて見た。

瀬谷の妙光寺はこれも日蓮絡みの寺院だが、、そこの梵鐘は1325年製作の由緒深いもので、戦時中も供出を免れたとか。
いつも見慣れたものより細身で、鎌倉時代の鋳物師物部守光の手になるもの。
物部姓鋳物師は鎌倉大仏の高徳院の大仏を作る時に河内国より招かれて定着、この辺も興味が尽きない話ではある。

20090205妙光寺梵鐘s-.jpg


裏山の墓地には多くの板碑が残っている。

20090205板碑s-.jpg


金森の杉山神社では、多くの碑が集められて金森文化遺産保存会なる団体による説明板が設置されていた。
同好の士の集まりだろうが、こういう心配りは有難い。
今まで聞いた事も無いような「光専神」の碑も見受けられた。

20090205金森の碑s-.jpg


町田天満宮では、受験シーズンと梅のシーズン。
説明が無いので、境内の梅は菅原道真所縁の飛び梅ではなさそうだったのが残念。

20090205町田天満宮s-.jpg


町田の市街地を抜けて一登りすると、今日の目玉の七国山。
昔は七国が見えたのだろうが、今は眺望はなく、新田義貞が鎌倉攻めの時に馬に水を与えたという、鎌倉井戸の史跡が残る。
下りの道は、古道が残っていて良い雰囲気を保っている。

 20090205鎌倉井戸s-.jpg  20090205七国山下りs-.jpg


小野路へはもう一度一山越えるが、途中は新設された高校や陸上競技場で旧道の面影はない。
大山街道と交差した所に、一里塚がある。大山街道の一里塚は初めて見るが家康の遺骨を駿河の久能山から日光に移した時に作られたとか。

20090205大山道一里塚1s-.jpg


小野路からは三度山に入る道となる。
殆ど山道を、不明瞭な地図を頼りに勘で歩くが、すっかり暗くなり危うく里山の低山遭難に。
何とか、舗装道に出てきてホッとして、後は完全に旧道の消滅した多摩ニュータウンの中を永山駅を目指す。

途中、公団の賃貸のアパートが灯りもつかずゴーストタウン化している。
明るい筈の部屋の闇は街道の闇より暗く、老いる国、老いる街をまざまざと感じ、暗澹とする。

20090205夜の山道s-.jpg  20090205公団アパートs-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉街道上道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

鎌倉街道上道(その2:鉄砲宿〜瀬谷)

春の陽に誘われて、戸塚鉄砲宿から続きに繰り出した。
この日のルートは境川沿いで田園風景が多く、のんびり歩くには絶好の道筋だ。

俣野では、山の中に突然高層のビルが現われる。これが昔の横浜ドリームランドのホテルエンパイアだ。
ドリームランドはとっくに閉鎖され、横浜市がメモリアルグリーンなる公園墓地に再整備した。
ホテルは都筑学園が買い取り、グループの学校の横浜薬科大学図書館として使われている。

虎は死して皮を残すが、ドリームランドは死して、墓地と学校を残した訳だ。
ホテルもお祭り気分の裳階と相輪は取り払われたが、廃墟とならず生き長らえただけでも善しとしたい。

enpaia.jpg  20090204ホテルエンパイアs-.jpg


のんびりした風景の中に、庚申塔が今も見守る上州に続く道が続く。

20090203庚申塔s-.jpg


飯田は、昔源頼朝を助けたという飯田五郎義家が与えられた土地で、いかにも街道らしい立派な長屋門を持った家なども多い。

20090203庚申塔s-.jpg


境川沿いにはサバと読む左馬神社、鯖神社が11もある。
祭神は源義朝で、頼朝の父親だ。平治の乱で左馬頭に任ぜられたことから関係付けられたようだが、そもそもなぜサバ神社と言うのかは不明。
鎌倉街道だけあって、普段は知らない源氏に関する史跡は多い。

20090203左馬神社s-.jpg


上飯田の本興寺は日蓮に由来の寺だが、境内の地表全域に薄砂が撒かれていて、樹の配置にあわせた揺らぐような刷毛模様がつけられている。
その感覚に心が休まる。

20090203本興寺s-.jpg  20090203本興寺揺らぐ砂s-.jpg


三叉路の真ん中に地神塔が鎮座する。
普通は撤去して移動されてしまうのだが、そのままの位置に残っているのは珍しい。

20090203地神塔s-.jpg


歩き終わって、最寄の瀬谷駅に行く途中に帰りがけの駄賃で一見一里塚風の「鷹見塚」を発見。
慶長年間、徳川幕府は旗本長田氏に上瀬谷をお鷹場支配として与え、この「鷹見塚」は将軍家鷹狩の指揮所として築かれたとか。
長田氏の先祖の一人の長田左衛門尉親致の弟忠致とその子景致が源義朝を殺戮しているので、この鷹見塚も源氏つながりという事になる。

20090203鷹見塚s-.jpg


何の予習もしない街道歩きだが、復習に時間を取られるのもこれも旅の楽しみ。
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 鎌倉街道上道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。