鎌倉街道は上道と言っても幾筋もあり、歩く所が興味深いかどうかは出たとこ勝負。
瀬谷からの道は前回と同じに、境川寄りの道を歩いて見た。
瀬谷の妙光寺はこれも日蓮絡みの寺院だが、、そこの梵鐘は1325年製作の由緒深いもので、戦時中も供出を免れたとか。
いつも見慣れたものより細身で、鎌倉時代の鋳物師物部守光の手になるもの。
物部姓鋳物師は鎌倉大仏の高徳院の大仏を作る時に河内国より招かれて定着、この辺も興味が尽きない話ではある。

裏山の墓地には多くの板碑が残っている。

金森の杉山神社では、多くの碑が集められて金森文化遺産保存会なる団体による説明板が設置されていた。
同好の士の集まりだろうが、こういう心配りは有難い。
今まで聞いた事も無いような「光専神」の碑も見受けられた。

町田天満宮では、受験シーズンと梅のシーズン。
説明が無いので、境内の梅は菅原道真所縁の飛び梅ではなさそうだったのが残念。

町田の市街地を抜けて一登りすると、今日の目玉の七国山。
昔は七国が見えたのだろうが、今は眺望はなく、新田義貞が鎌倉攻めの時に馬に水を与えたという、鎌倉井戸の史跡が残る。
下りの道は、古道が残っていて良い雰囲気を保っている。

小野路へはもう一度一山越えるが、途中は新設された高校や陸上競技場で旧道の面影はない。
大山街道と交差した所に、一里塚がある。大山街道の一里塚は初めて見るが家康の遺骨を駿河の久能山から日光に移した時に作られたとか。

小野路からは三度山に入る道となる。
殆ど山道を、不明瞭な地図を頼りに勘で歩くが、すっかり暗くなり危うく里山の低山遭難に。
何とか、舗装道に出てきてホッとして、後は完全に旧道の消滅した多摩ニュータウンの中を永山駅を目指す。
途中、公団の賃貸のアパートが灯りもつかずゴーストタウン化している。
明るい筈の部屋の闇は街道の闇より暗く、老いる国、老いる街をまざまざと感じ、暗澹とする。