2009年06月30日

禁断の奥州街道(エピローグ:龍飛岬)

旅の終わりは旅の始まり、感慨と共に早速次の旅に思いを馳せるのは、旅人の業でもあり本能だ。
奥州街道は三厩が終着点だが、「風の岬」の龍飛岬まで足を伸ばした。
これは、新しい旅の始まりだ。

司馬遼太郎が「街道をゆく―北のまほろば」に太宰治の「津軽」から本歌取りして、龍飛岬をこう書いている。

・・・江戸時代の千住を出発すると奥羽街道が、関東と奥洲をながながとつらぬき、ついに津軽半島にいたって松前街道と名がかわり、半島の先端の三厩村(竜飛崎)で尽きる。古街道としては、墨痕一筋というべき雄大さをもっている。・・・ 日本中の道という道の束が、やがて一すじのほそいみちになって、ここで尽きるのである。・・・

「街道を行く」全43巻の中でも、津軽の土地と奥州街道を、僅かな言葉で示しきった畢竟の名文と言える。

本歌である太宰治の「津軽」の
「ここは,本州の袋小路だ。・・・そこに於いて諸君の路は全く盡きるのである」の一文が刻まれた碑を見て、盡きた路から反転して、日本唯一の階段国道を上り詰めると、風の岬の名前に相応しい強風が迎えてくれる。

20090630竜飛港s-.jpg  20090630階段国道s-.jpg  20090630竜飛灯台s-.jpg

龍飛崎は龍が飛ぶかの如く、1年中強い風が吹いている事から名付けられたとも言われるが、まさにその通り。

チベットには空中歩行が出来る「風の行者」と言う修行僧がいて、矢の様に早く歩きながらも、無意識的に周辺の全てを捉え、そこに新しい意識状態が形成され、ひいては、世界についての考え方が変わる修行をしていると言う。

風の行者の域に辿り着けないが、また新しい旅を始め、歩くことを通じて、何時までも爽やかな風を感じていたいものだと、風の岬で海峡の潮の流れを見つめつつ思いを込めた。

20090630竜飛岬俯瞰s-.jpg


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禁断の奥州街道(その26:三厩宿)

三厩の街中を歩くと直ぐに、厩石公園になる。

ここは義経伝説があり、義経寺や厩石にその伝説が残る。
三厩の地名自体も、義経が蝦夷に渡るときに天候回復を祈念すると三匹の竜馬が現われ、それがつながれた場所と言うことで三馬屋と言われ、更に三厩に変わったという。
松前街道最終地点の碑がある傍には「源義経 渡道の碑」も建てられていた。

20090630松前街道碑s-.jpg  20090630義経碑s-.jpg  20090630義経寺s-.jpg 


これで五街道は完歩だが、特にこの奥州街道は800kmほどあり、その長さと共に道中の様々な光景、出会い、町々の持っている歴史等を思い出し、一際感慨深いものがある。

最終地点の碑は何処にでもある変哲のないものだが、旅の終わりの一抹の寂しさを感じながら、その前にしばし佇んだ。
 
20090630三厩宿s-.jpg
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2009年06月29日

禁断の奥州街道(その25:蟹田宿〜三厩宿)

津軽半島の奥州街道は、蟹田から今別までは鉄道と街道は全く離れるので、その間を一気に歩かねばならない。
「風のまち」の案内板を横目に、風のように足早に歩き出す。

蟹田町もご多分に漏れず、町村統合で町名は廃止され、外ヶ浜町になってしまった。
風のまちの交流プラザ、トップマストもなにやら侘しく改修中。

200906029トップマストs-.jpg 


平舘宿では、1847年オランダの捕鯨船員が上陸した事に端を発して、幕命で作られた台場が残っている。
道には出来ても、海に関所は作れない。

20090629平舘台場s-.jpg


淡々とした海岸沿いの道が続くが、突如として巨大なコンクリートの構造物が出現。石崎無線中継所。
NTTがマイクロウェーブで、北海道へ電話回線を繋いでいたときの遺物とか。
時代は変わり、海底ケーブルの設置で使命を終え、不思議な巨体を晒し続けている。巨大構築物マニアには喜ばれそうだ。

20090629海岸の道s-.jpg  NTT電波塔s-.jpg


今別町に入ると、岩屋観音、だるま滝、赤根沢のベンガラを採った赤岩、景勝の高野崎などがあり、見ものは海岸だけの単調な旅路を少し慰める。

20090629岩屋観音s-.JPG  20090629だるま滝s-.JPG  20090629赤岩s-.jpg 

20090629高野崎s-.jpg


アイヌ語由来か不思議な響きの袰月(ほろづき)集落では、伊能忠敬が二度の蝦夷地測量で泊ったという標柱がある。
第一次測量は、三厩まで23日間で歩ききっているので、測量しながらという事を考えるとその速さに驚く。

20090629伊能忠敬宿泊碑s-.JPG

伊能忠敬効果か、予定の今別宿を過ぎ、「風の岬へようこそ」と迎えてくれる三厩宿まで、軽々と歩き着く。
最終地点への僅かな距離を翌日の楽しみに取り置いて、風のまちから風の岬へ、寸止めでこの日を終えた。

20090629風の岬へ看板s-.jpg  20090629三厩駅s-.jpg
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2009年06月28日

禁断の奥州街道(その24:青森宿〜蟹田宿)

一冬越えて懐かしい青森駅から、松前街道とも言われる奥州街道最後の行程に足を踏み出す。

直ぐにルネッサンス様式の森林博物館。旧青森営林局庁舎。
青森市は空襲で焼き尽くされ古い建物は殆ど残っていない。
この建物は青森市にある数少ない明治時代の建物だが、よく保存されていて、明治の山林局の設計技師の心が伝えられている。

油川宿に入るとイタリア館と言われる、1923年イタリア人ジュセップ・ファブリーにより、いわしの缶詰工場として建設された洋館の一部が残っている。
イタリア人は、異国の陸奥湾で何を見たのか。

20090628森林博物館s-.jpg  20090628イタリア館s-.jpg


油川宿の西田酒造にある、「こみせ」と言われる、アーケード状の通路が珍しい。
その直ぐ隣に、奥州街道と桑折で分岐して日本海側を通ってくる羽州街道との合流点がある。
この道は497kmもあり、イザベラ・バードや菅江真澄も通っている。次の街道候補としてかなり気に掛かるが、脚を運ぶ事があるのかどうか自問自答。

20090628西田酒造s-.jpg  20090628羽州街道合流地点s-.jpg


神社の網の形の注連縄が眼を引いて、ケンゼンというらしいがその由来が不明。
あちこちにあるお地蔵さまは、雨風を凌ぐ為小さなお堂に入っていて、綺麗な衣装をまとっている。これも何故か。宿題のみが増える。

20090628注連縄s-.jpg  20090628お地蔵さまs-.jpg  20090628おじ像様大s-.jpg


松前侯が贈った盆栽の松がそのまま大きくなったと言われる、昇竜の松。確かにそのようだ。

20090628昇竜の松s-.jpg


蓬田宿を淡々と歩き、蟹田宿で打ちどめる。
駅前には「風のまち」の案内版が立てられている。太宰治がこの地を「風のまちだね」と言ったからだとか。
碑には「はじまりは 風がめくった 一ページ」の魅力的な言葉が流麗な文字で彫られていた。

20090628海岸沿いs-.jpg  20090628蟹田碑s-.jpg
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2009年06月15日

水戸街道(その2:金町〜柏宿)

この日の街道は、神社仏閣三昧。
金町から歩き始めて、江戸のお囃子の発祥地と言われる葛西神社に詣でて、江戸川を葛飾橋で渡り松戸宿へ。

20090615葛西神社s-.jpg

葛西というと江戸川区だが、葛飾区は近世まで江戸川区の付近と合わせて葛西と言われていたのでややこしい。

葛西神社は土地の豪族葛西三郎清重が建立と言われているが、地名から名をとったようで地名が早い。

松戸宿には古い建物もちらほらと。

20090615松戸旧家s-.jpg


馬橋の萬満寺。
重文の仁王があり、この寺へ行くために街道の道筋が曲がっているが、明治時代、常磐線の機関車の煤火で主な建物が焼失という少し悲しい歴史も。

小金宿では、もと虚無僧で有名な普化宗の関東総本山の一月寺。
今は日蓮正宗に衣替えして、跡形も無く消え行く歴史。

20090615萬万寺s-.jpg  20090615一月寺s-.jpg


又お寺、東漸寺。
浄土宗関東十八壇林の一つで、赴きある参道の佇まいで、紅葉のころはさぞやと思わせる。
本堂前に鶴亀の松、鶴は枯れたそうだが亀は健在。

下屋が道まで張り出している、旅籠の玉屋は千本格子が美しい。

20090615東漸寺s-.jpg  20090615亀の松s-.jpg  20090615旅籠玉屋s-.jpg


道は北小金駅前の前で大きく曲がるが、これも昔は名刹があってそれに立ち寄る為の道曲がり。
いまは大型ショッピングセンターが作られて跡形も無く、歩道に水戸道中の碑のみが、埋もれていた。

20090615水戸道中碑s-.jpg


紫陽花と花菖蒲で有名な本土寺に脚を伸ばす。

昨年亡くなった住職の河上日順上人が、「寶樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり」を実現する為、荒れ果てていた寺にモミジと紫陽花を植え続け一代で、紅葉と花の寺に作り変えた。

花菖蒲は終わりかけていたが、紫陽花はしっとりとした空気の中に七変化の色を味わわせてくれた。
花の色の裏側には、花を通じて何かを伝えたい人の心が見えているようだ。

20090615本土寺1s-.jpg  20090615本土寺2.jpg  20090615本土寺3s-.jpg

一本道を辿り、今は大都会となった柏宿で旅を終える。
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2009年06月10日

水戸街道(その1:千住宿〜金町)

近場の街道として手ごろな水戸街道。

日本橋から水戸までの117kmで、昔は二泊三日だが梅雨と夏の暑さの合間にのんびりと。

日光街道で親しんだ千住宿で、見逃していた金蔵寺の遊女供養塔に手を合わせ、鴎外の旧宅も確認。
遊女供養塔は童女と彫られているものも多く、涙を誘う。
馴染みの道を、角に碑が建てられている荒川手前の分岐から水戸街道に入る。

20090610遊女供養塔s-.jpg  20090610水戸街道碑s-.jpg


直ぐに槍掛けの松で有名な清亮寺。山門の中村不折の字が味わい深い。

20090610不折書山門s-.jpg


荒川に行く手を阻まれるが、川向こうには新築なった東京拘置所(旧小菅刑務所)が巨体を晒している。
蒲原重雄が設計し、表現主義の傑作と言われる旧館は保存されているものの、巨大な新館の間に挟まっていかにも肩身が狭そうだ。

20090610東京拘置所s-.jpg  20090610旧小菅刑務所s-.jpg


小菅では煉瓦工業が盛んで、小菅刑務所の前身の小菅囚治監で作られた煉瓦は、明治時代の銀座、丸の内の建物に大量に使用された。
その時のものか、小菅刑務所の塀として今も存在し続けている。
シジフォスの神話のようだ。

20090610小菅刑務所塀s-.jpg


綾瀬川を水戸橋で渡る。
水戸街道唯一の橋ということで水戸橋と名付けられたそうだが、他の川は全て船渡りか、徒歩渡りというのもやや頷けないところ。

20090610水戸橋s-.jpg


亀有上宿の一里塚碑が、かなり勘違いの黄門様のご一行と共に建てられている。

20090610亀有一里塚碑s-.jpg


新宿を過ぎて、柴又帝釈天へ寄り道し、矢切の渡しで江戸川を渡り埼玉県へ。
又取って返して東京都。
東泉寺南蔵院の縛られ地蔵、水元公園の今が盛りの花菖蒲は、少し街道を離れたが旅の道連れ。

この日は、寄り道づくしの水戸街道。
しかし寄り道が本筋に味わいを一層添えるのは、人生も街道も同じこと。

20090610柴又帝釈天s-.jpg  20090610縛られ地蔵s-.jpg  20090610水元公園花菖蒲s-.jpg
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