2010年04月29日

岩城相馬街道(その5:勿来〜湯本宿)

勿来駅前で、源義家の像など眺めて、関田宿に入る。
街道の松を避けて道の方が微妙にカーブして、配慮に感心する。

20100429義家像s-.jpg  20100429松s-.jpg


中田八坂神社の夫婦杉。夫婦杉はあちこち見かけるが、ここはそれが二本並立して珍しい。
安良という集落の、梵字の回国供養塔も珍しい。

2000429夫婦杉s-.jpg  20100429回国供養塔s-.jpg


植田宿では吉田松陰の碑を見物。東北遊学の時に立ち寄っている。
省みて、植田町の道路元標は哀れにも旧郵便局の横に打ち捨てられていて、町の意識を問わず語りに示している。

20100429松陰碑s-.jpg  20100429植田町道路元標s-.jpg


植田宿を抜けると、長寛な田園風景となり他の畦が切られて水の音が耳に優しい。
あちこちで田植えの準備で、豊葦原瑞穂の国の営みが始まっている。

20100429田園風景s-.jpg


JRの線路を渡り、右手からトンネル上部を越えると新田坂の朽ち果てた標識があり、ここからは岩城相馬街道初めての山道となる。
峠には、最近造られた茶屋風の小屋もある。

20100429新田坂碑s-.jpg  20100429新田坂s-.jpg  20100429峠の茶屋s-.jpg


坂を下り終わると、渡辺宿、さらに初田宿。

中部工業団地の入り口に、ちょこんと添えられた一里塚の碑を発見。
足を進めて、上船尾宿入り口にレトロな映画看板。
「映画看板のある風景実行委員会」と言うのがあったそうだが今でも存在しているのだろうか。

20100429一里塚碑s-.jpg  20100429映画看板s-.jpg


湯本宿は日本三古湯の温泉で有名だが、駅前は、ブロンズ通りという名称で何故か色々なブロンズ像があり、温泉と全くそぐわないイメージでで意味不明。
駅前には立寄り湯が見当たらず、せめてもの源泉からのお湯に足湯をする閑もなく、タイミングよく列車が来て飛び乗った。

20100429ブロンズ像s-.jpg


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2010年04月25日

岩城相馬街道(その4:磯原〜勿来)

磯原で野口雨情の生家に立ち寄った。
「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」などの誰でも知っている童謡を作詞した雨情の実家は、土地の名家で父親は村長だった。

実家は今も現存して生活の場として使われており、新築された別館は資料館として公開されている。

その中に見事な筆さばきの書体の六曲の屏風があり、雨情自筆のものという。
晩年は良寛の書を手習いした言い、雨情の字も良寛の字に似て見える。

近くには北茨城歴史民族資料館(野口雨情記念館)があり、入り口の出雲崎の良寛の像に似ている雨情の銅像に近寄るとシャボン玉が迎えてくれた。

20100425野口雨情生家s-.jpg  20100425野口雨情記念館s-.jpg


神岡宿には黒塀の立派な家が多く、門被りの松が多い。昔は女郎屋宿といわれたようだが、粋な黒塀見越しの松。

20100425黒塀s-.jpg  20100425門かぶり松s-.jpg


大津港駅付近で岡倉天心が本拠地にした五浦の方へ寄り道して、六角堂等見学する。
平櫛田中の天心像が幾つか有り、天心よりも107歳まで製作を続けた平櫛の生き様に改めて驚く。
以前見た「男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」の書を思い出す。

直ぐ隣には内藤廣設計の、豪華な茨城県天心記念五浦美術館が建てられていて、天心の所縁のものを見る事が出来る。

内藤廣のデザインは、初期の出世作の海の博物館の転用でスケールに負けていた。
箱物行政の典型だが、良いのか悪いのか。

20100425六角堂s-.jpg  20100425五浦釣人s-.jpg  20100425天心美術館s-.jpg


茨城観光百選に選ばれている平潟港、これもつくば科学万博の時に選定されているので遠い昔の物語。

20100425平潟港s-.jpg

来るなかれ、の勿来の関に立ち寄る。
源義家の
 吹風を勿来の関とおもへども 道もせにちる山桜かな

一帯は公園となっており、歌碑が散策路に設けられている。
全く場違いで豪華な、吹風殿という体験学習施設が作られていて、これは今度は福島県の箱物行政の極みということになる。

20100425勿来の関s-.jpg  20100425勿来の関碑s-.jpg  20100425吹風殿s-.jpg


帰りの道はまだ桜が満開で、紀貫之の歌のように行く春を惜しめたか。

 惜しめどもとまりもあへず行く春を 勿来の山の関もとめなむ 
            
20100425桜s-.jpg
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2010年04月06日

岩城相馬街道(その3:十王〜磯原)

十王駅から街道へ戻るが十王川の桜はまだ蕾。

歴史の道百選にも選ばれている十王坂は、解説の碑がある訳でもなく上り口の住人を失った廃屋が侘しく迎えてくれる。

20100406十王川 s-.jpg  20100406十王坂廃屋s-.jpg  20100406十王坂s-.jpg


愛宕神社の灯篭が珍しい形で、明和九年の年号も「迷惑」で直ぐ改元されたとか。

20100406愛宕神社灯篭s-.jpg


これも珍しい名前の、びんずる坂の手前の立派な高萩工業高校は廃校となって門が閉ざされている。春に桜は空しく咲くか。
びんずる坂は賓頭盧尊者の由来か不明。

20100406高萩工業高校s-.jpg


坂を降り切ると立派な煙突が遠望できる。
ここは日本加工製紙高萩工場だったが、2002年に茨城県下で最悪と言われる倒産劇を演じそのまま放置され、工場は廃墟と化している。。

20100406煙突s-.jpg


安良川宿の街には立派な薬医門を持つ建物も見受けられるが、街には活気は全く感じられず、高萩駅からのメインストリートにも人影は見当たらない。

20100406安良川宿豪邸s-.jpg   20100406安良川宿s-.jpg


高萩市の指定文化財になっている、安良川宿に唯一残っていた松は今の市の姿を象徴するように、枯れ果ててしまっていた。

20100406安良川宿松s-.jpg


県北各地に残るもののうちで最大のものという馬頭観世音碑。
確かに大きい。

20100406馬頭観音s-.jpg


途中工業団地で道に迷うが、赤浜へ。
ここは、実査こそしなかったものの伊能忠敬よりも早く日本地図を作った長久保赤水の生誕の地で、墓に詣で、今も残る旧宅を拝見する。

20100406赤水碑s-.jpg  20100406赤水墓s-.jpg  20100406赤水旧宅s-.jpg


足洗宿は特段見るべきものもなく、少し早いが例によって人の気配の全く見えない、駅前商店街が控える磯原駅で歩き終えた。

20100406磯原商店街s-.jpg
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