「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」などの誰でも知っている童謡を作詞した雨情の実家は、土地の名家で父親は村長だった。
実家は今も現存して生活の場として使われており、新築された別館は資料館として公開されている。
その中に見事な筆さばきの書体の六曲の屏風があり、雨情自筆のものという。
晩年は良寛の書を手習いした言い、雨情の字も良寛の字に似て見える。
近くには北茨城歴史民族資料館(野口雨情記念館)があり、入り口の出雲崎の良寛の像に似ている雨情の銅像に近寄るとシャボン玉が迎えてくれた。


神岡宿には黒塀の立派な家が多く、門被りの松が多い。昔は女郎屋宿といわれたようだが、粋な黒塀見越しの松。


大津港駅付近で岡倉天心が本拠地にした五浦の方へ寄り道して、六角堂等見学する。
平櫛田中の天心像が幾つか有り、天心よりも107歳まで製作を続けた平櫛の生き様に改めて驚く。
以前見た「男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」の書を思い出す。
直ぐ隣には内藤廣設計の、豪華な茨城県天心記念五浦美術館が建てられていて、天心の所縁のものを見る事が出来る。
内藤廣のデザインは、初期の出世作の海の博物館の転用でスケールに負けていた。
箱物行政の典型だが、良いのか悪いのか。



茨城観光百選に選ばれている平潟港、これもつくば科学万博の時に選定されているので遠い昔の物語。

来るなかれ、の勿来の関に立ち寄る。
源義家の
吹風を勿来の関とおもへども 道もせにちる山桜かな
一帯は公園となっており、歌碑が散策路に設けられている。
全く場違いで豪華な、吹風殿という体験学習施設が作られていて、これは今度は福島県の箱物行政の極みということになる。



帰りの道はまだ桜が満開で、紀貫之の歌のように行く春を惜しめたか。
惜しめどもとまりもあへず行く春を 勿来の山の関もとめなむ
