2010年09月19日

岩城相馬街道(その8:木戸宿〜大野)

酷暑の夏が終わり始め、ようやく岩城相馬街道の続きに。

木戸宿は建設省が選んだ24箇所の歴史国道の一つという事で、楽しみにしていたが期待外れ。

国交省の四国道整備事業とは「・・・本事業は、歴史上、広域的な道路として利用され、国として特に重要な歴史的・文化的価値を有する道路について、その整備保存、復元及び活用を図るものです」
と示されており、尤もな選定基準も幾つかあるようだが、他の宿場と比べて何故木戸宿が、感は否めない。

若干の古い建物が残り、用水路もあるにはあるのだが。
あまり見かけた事の無いピンクの彼岸花が、道端を飾る。

20100919木戸宿s-.jpg  20100919木戸宿水路s-.jpg  20100919彼岸花s-.jpg


季節は巡って、豊葦原の瑞穂の国。街道沿いには稲掛けも稀に見受けられる。

20100919稲s-.jpg  20100919稲掛s-.jpg


稲の実りを見る以外はあまり史跡や、見所もなく、そういう時は一里塚が目標物だが、井出一里塚、清水一里塚と現道と離れていたり、生繁る草に足元を阻まれたりした為に諦めた。

20100919清水一里塚への道s-.jpg


富岡宿はこの地方の中心的な町だが、ご多分に漏れず人気の無い町並みで、悲しくなるくらい衰退する地方都市の典型だ。
町を抜けてしばらく行くと松並木も少し残存し、さらに今度は現道に面して江戸から66番目の新田町一里塚が残っていて、少し街道らしい雰囲気を見ることが出来る。

20100919富岡1s-.jpg  20100919松並木s-.jpg  20100919新田一里塚s-.jpg


富岡宿を抜けると夜ノ森という珍しい地名があり、気に掛かった。
そのあたり一帯を岩城氏と相馬氏が領有権を争って「余(=我)の森」を主張し、その境界線となったことに由来するとか。
街道も岩城氏の領土から相馬氏の領土に入ったわけだ。

更に進むと熊川宿。6号線に面しているが、往時の建物がかなり残っている。

6号線の250kmの標識を越え、大野駅でこの日を終えた。実りの秋の稲穂を見る旅だった。

20100919熊川宿s-.jpg  20100919250km道路標識s-.jpg


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2010年09月04日

中山道・日光御成道-本郷追分

本郷追分は言わずと知れた東大の前にあり、中山道の最初の追分で、昔は駒込追分といわれていた。
丁度日本橋から一里の距離になり、一里塚があった訳だが、今はひっそりとその事を示す案内坂だけが建っている。

今は由緒正しく文京区向ヶ丘一丁目一番地。

角にある高崎屋酒店は、極ありきたりのお店に見えるが、初代の高崎屋長右衛門が宝暦年間(1751〜64)に創業したそうなので、その歴史は驚くほど古い。

20100903本郷追分s-.jpg  20100903本号追分一里塚碑2s-.jpg  20100903本郷追分一里塚碑s-.jpg


ここも歩けば歴史が見えてくる。

写真の右側が幸手宿に続く日光御成道、左が中山道。
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