2010年10月22日

岩城相馬街道(その10:小高宿〜中村宿)

この日は小高宿から所謂相馬の中村宿まで。

街角に蔵造りの旧家を見て、相馬家の居城だった相馬三妙見の一つの小高神社に脚を運ぶ。
この城は紅梅山浮舟城と言う、雅な名前をも持っている。
相馬氏は鎌倉時代から明治維新まで700年以上の長きに亘ってこの地を支配し、世界でも珍しい長期統治者という事を知る。

相馬野馬追の最後を飾り、多くの馬の中から神の思し召しにかなう馬を捕らえて奉納するという神事の野馬懸はこの神社の敷地で行われるという。
馬が駆ける様が目に浮かぶ。

20101012小高宿旧家s-.jpg  20101012小高神社s-.jpg


次も街道から少し離れて、相馬三妙見の一つの太田神社に向かう。
杉の巨木の参道が心を鎮め、長い階段の上にある神社は、680年の由緒を誇り、ここも野馬追いの出陣式が行われる。
鈴の緒が、どういう謂れか真に凝った造りになっていて眼を引いた。

20101012太田神社s-.jpg  20101012鈴の緒s-.jpg


原町宿に入ると広大な野馬追祭場があるが、何とこの場所は相馬三妙見の小高神社、太田神社、中村神社の飛地境内と案内板が立っている。
確かに、馬場の入り口には結界としての柵が設けられている。

街中には昔の高札場跡に、復元した三階蔵が建てられている。特に相馬藩に特徴的なものでもなく、わざわざ「上方風」と謳っておりやや意味不明。

20101012相馬馬追祭場s-.jpg  20101012三階蔵s-.jpg


道端の稲はすっかり刈り取られているが、短い秋の陽の中で二度目の穂をつけようかという緑が、いかにもけなげに且つ美しく見える。
山の中の五本松茶屋付近に巨大なクレーター状の土地があり、東北電力の廃棄物捨て場のようだ。
人の眼に触れにくい所に、忌避される施設がいつの間にか作られる。

塩崎一里塚があるが、南相馬市の扱いは冷淡で、消えかかった文字の標識杭があるだけで、それも殆ど何も読み取れない。

20101012稲s-.jpg  20101012廃棄場s-.jpg  20101012塩崎一里塚s-.jpg


日吉神社の樹齢800年の杉を見て、坂を下り鹿島宿に入る。
鹿島宿では今度は鹿島神社の樹齢1000年の大欅。何かと巨樹が多い街道だ。
次は、またしても打ち捨てられた横手一里塚。

20101012日吉神社杉s-.jpg  20101012鹿島神社欅s-.jpg  20101012横手一里塚s-.jpg


相馬藩は二宮尊徳の二宮仕法に取り組み、「二宮御士法を伝える土樋」が今も健在だ。
これも珍しい名前の鬼越迫では、旧道の幅そのままの松並木が部分的に残存している。

20101012二宮土樋s-.jpg  20101012鬼越迫松並木s-.jpg


日下石川を渡って、しばらく行くと高根沢地区でこの街道随一と思われる立派な松並木が続き、足の疲れも癒される。
宇多川を渡ると、相馬氏の居城中村城のあった中村宿。
町はこれも電力会社関係か、かなり豊かに整備されている。

20101012松並木s-.jpg  20101012中村宿s-.jpg


今は相馬神社が建っている中村城跡と、相馬三妙見の最後の一つ、中村神社を見学。
中村神社は相馬三妙見の中で一番勢いがあり、野馬追いの元締めらしく多くの馬が飼われており、境内に馬の像が溢れている。
階段の手すりも馬ずくめだが、これもご愛嬌。

20101012相馬神社s-.jpg  20101012中村神社s-.jpg  20101012中村神社手すりs-.jpg


もっぱら、巨樹と野馬追いと相馬三妙見が主題になったこの日の旅だった。


posted by 遊戯人 at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩城相馬街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。