2011年03月27日

下田街道(その2:修善寺〜水生地下)

下田街道の一回目から、この二回目までに東日本大震災があり多くの人々の生活や考え方に変化が起きた。
千年に一度の災害は、千年前にはなかった原発災害をもたらし、震災発生から二ヶ月経つと意図的な情報操作でニュースの頻度も減少しているが事態は多分一層悪化しており、日本が元の姿になるのにまた千年かるのかもわからない。

そういう重苦しい気持ちと関係なく、伊豆の空は晴れており、透き通る若葉はあくまで清明で、渓流も滝も爽やかに日の光を反照し躍動するように煌き流れていた。

修善寺を降り立つと、レトロな姿の伊豆の踊子号のボンネットバスに遭遇する。このバスも現在は伊豆半島への観光客の大幅な減少で運行が中止されている。

20110327伊豆の踊子号s-.jpg


修善寺温泉への道を分ける湯川橋。川端康成の「伊豆の踊子」ではここで、一高生が踊子たちと出会うのだが現代の踊子はもちろん現れず。
修善寺のある地域は伊豆市で、伊豆市の隣接した北は伊豆の国市とこの近辺も紛らわしく節操の無い市名が付けられている。

20110327湯川橋s-.jpg


国道や旧道を縫いつつ、街道は柿木橋へ。ここには狩野城と狩野派発祥の地の案内標識がある。
狩野氏は祖が土地の豪族狩野維景で、狩野派の初代狩野正信は維景の十六代の孫という。狩野派発祥の地とはやや誇大宣伝か。

20110327狩野城看板s-.jpg


すぐそばに狩野ドームがある、これも以前は天城ドームといっていた筈。多分新天城ドームが出来たのでお株を奪われたようだ。これは新参者に旧家が争いに負けた構図。

20110327狩野ドームs-.jpg


月ヶ瀬で賽の神を見かける。ここ以外にも賽の神は散見した。
行事としてのどんど焼きも賽の神というが、街道の賽の神は集落の出入り口に設置されており、道祖神は道の神で賽の神は疫病神などを防ぐ神とされるが区分はかなり曖昧だ。

20110327賽の神s-.jpg


嵯峨沢で明徳院に立ち寄る。
ここは東司の神様である烏彗沙摩明王を祀っている事で有名で、建物の一角に昔風の便器と男女性器とがあり、それぞれおまたぎしておさすりするとご利益があると。
山門の横に応永の槇があり、樹齢600年で全国第二位と伊豆市のHPには出ているが、古いには古いがどこにでもありそうな槇でこの情報も胡散臭い。

20110327明徳院s-.jpg  20110327トイレの神様s-.jpg  20110327応永の槇s-.jpg


川端康成も好んだ湯ヶ島温泉に入ると震災の余波で客足が減っていることもあるが、その寂れ方は尋常ではない。
市営の立派な建物の天城温泉会館は2年前から温泉客の減少で閉鎖されており、隣の夕鶴記念館も殆ど開店休業状態だ。

20110327湯ヶ島温泉会館s-.jpg


この町が井上靖のゆかりの土地であることは初めて知る。町歩きの案内板を兼ねた「しろばんばの里」の看板があちこちに出ており、井上本家の上の家も健在だ。

弘道寺にはハリスが宿泊し、その記念碑がある。
日本滞在記の文章が彫られ、富士のことを「・・・私が1855年1月に見たヒマラヤ山脈の有名なドヴァルギリよりも目ざましいとさえ思われた。」と書いているが、ハリスがヒマラヤ近辺まで行っていたとは知らなかった。ドヴァルギリなるダウラギリの方が目覚しいと思える。

20110327上の家s-.jpg  20110327ハリス記念碑s-.jpg


浄蓮の滝で初めて踊り子に出会う。石川さゆりの天城越えの歌の碑がある。

 あなたを殺していいですか
 寝乱れて 隠れ宿
 九十九折り 浄蓮の滝

20110327伊豆の踊り子像s-.jpg  20110327浄蓮の滝s-.jpg


浄蓮の滝の前から、旧道は「踊り子歩道」の看板が建てられている。
道筋には島崎藤村や横光利一の文学碑もあり、横光利一は小説の「寝園」にちなむものというが、知らない。

踊り子歩道標識s-.jpg  島崎藤村文学碑s-.jpg  横光利一文学碑s-.jpg

街道は国道と交差して道の駅「天城越え」を過ぎると滑沢渓谷沿いに進む。
途中でハリスや吉田松陰が歩いた二本杉峠への道を分ける。そちらのほうも魅力的だが、最終バスに間に合わないので天城峠への道をとる。

20110327滑沢渓谷s-.jpg


大川端キャンプ場付近で国道に出る上り口が見つからずに迷い、一つ先の水生地下のバス停まで歩く羽目に。
着いたときはすでに最終バスは通り過ぎ、歩いたり走ったりと悪戦苦闘して何とか出発点の修善寺まで戻りつく。

伊豆半島の踊り子歩道、侮りがたし。


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2011年03月05日

下田街道(その1:三島〜修善寺)

東日本大震災といまだ全く終息の気配の見えない原発問題で、街道の記録も手付かずなままだったが、少し書く気力も戻り始めた。

何一つ解決しない原発問題だが、季節は巡る。

下田街道は東海道の三島宿の三嶋大社前から分けれて、下田まで68kmほどの街道で、富士を背に春先に歩くにはもってこいの街道だ。

三島は三島溶岩流の先端下から湧きでた富士山の被圧伏流水の湧水の町で、三島駅から三嶋大社への道は町の人々が協力して川をさらっている風物が見られた。
柿田川もそうだが、ここでも水に対する誇りが感じられる。

 富士の白雪ノーエ  富士の白雪ノーエ
  富士のサイサイ  白雪朝日でとける
 とけて流れてノーエ  とけて流れてノーエ
  とけてサイサイ  流れて三島にそそぐ

20110305三島湧水s-.jpg


伊豆一の宮の三嶋大社でまずは旅の安全祈願をし、珍しいたたり石を見る。この石は神社前の東海道に置かれていて、行きかう人の流れの整理をしていたと。
街中の下田街道は整備されており、歩行者に優しい道となっている。

20110305三嶋大社s-.jpg  20110305s- たたり石.jpg  20110305三島の下田街道s-.jpg


手無し地蔵の境内に唯念名号塔がある。何となく愛嬌のある書体だが下田街道では頻見し、唯念は生涯に一千を越す碑を建てたといわれている。

20110305唯念名号塔s-.jpg


大場川では振り返れば流麗な富士。

20110305富士s-.jpg


間宮の廣渡寺に侠客大場の久八の墓を詣でる。
久八は江川太郎左衛門が品川沖にお台場を造営したとき、東海一の親分として数千人の人夫を指揮して完成させた。今は臨海副都心の一部となっている台場も伊豆由来という訳だ。

原木駅付近で寄り道をして、「吾妻鏡」に出てくるという、頼朝が山木兼隆襲撃に際し通った道の牛鍬大路を見る。区画整理されて農道となっているがいかにもそれらしい道だ。

姫型道祖神を見つける。
これも唯念名号塔と同じで伊豆半島では数限りなく現れるが、なぜ姫型なのかは不明。

20110305大場久八墓s-.jpg  20110305牛鍬大路s-.jpg  20110305姫型道祖神s-.jpg


韮山では、街道を外れると江川邸、蛭が小島、反射炉などがあるが以前訪れたので今回は省略し先を急ぐ。

北条政子産湯の井戸、足利政知の伝堀越御所跡、北条時政の墓のある願成就院など韮山付近には見所が多い。親の時政と子の政子の生死の史跡が期せずして殆ど同じ場所にあるのは不思議。
政子の墓は鎌倉の寿福寺にあり、これは尼将軍として権勢を誇った政子のものとも思えない粗末なやぐらだが、ある意味産湯の井と対峙している。

20110305北条政子産湯の井s-.jpg  20110305北条時政墓s-.jpg


直ぐ傍の狩野川沿いには北条氏邸宅跡があるが、調査途上のようで荒れたまま放置されている。
「夏草や兵どもが夢の跡」の鎌倉幕府版だ。

20110305北条氏邸宅跡s-.jpg


田方郡は田方条里という条里制の痕跡が残っており、田京駅付近の六角堂跡では下田街道は不可思議に直角に折れ曲がり、現道と見事に45度で交差する。
これはこの条里そった道で、律令時代の痕跡を知るのも街道歩き。

20110305条里制の道s-.jpg


広瀬神社からは富士が美しい。

20110305広瀬神社からの富士s-.jpg


大仁駅を過ぎ、狩野川を渡ると大仁金山の看板が見える。この金山は昔は瓜生野金山で五街道を整備した大久保長安によって開かれ、金山奉行であり伊豆奉行でもあった長安のもう一つの顔。

立派な長屋門を過ぎ、暗殺された二代将軍源頼家縁の笠を被った横瀬愛童将軍地蔵を見て、狩野川を渡り返し、修善寺駅で初日を終えた。
鎌倉幕府に関係した史跡が多い一日だった。

20110305大仁金山s-.jpg  20110305長屋門s-.jpg  20110305横瀬愛童将軍地蔵s-.jpg
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2011年03月02日

川越街道(その2:大和田宿〜川越宿)

新座駅から歩き始めるとすぐに、新座市内では最古最大という鬼鹿毛の馬頭観音があり、鬼鹿毛という名馬が、主人小栗のために、亡霊となって走り続けたことを弔うためと言う解説がある。

鬼鹿毛と小栗といえば当然小栗判官だが、不思議なことにその説明はない。
さすがにここでは小栗判官と言わずに「昔、秩父の小栗という人、・・・」とちょっと遠慮した書き方になっている。伝承では小栗判官のモデルは常陸の国の在とされるので、秩父とはかなり違う。

この鬼鹿毛伝説はあちこちで同じような話があり、それを祀る寺も多いようだ。
小栗判官と照手姫の伝説も、東海道藤沢宿や中山道の青墓宿でも見受けられたことを思い出す。全国的な人気者だったわけだ。
ともあれ、三面六臂観音様は中々のものだ。

鬼にちなんだのか、隣に芭蕉の「花は賤乃眼にもみえけり鬼薊」の句碑がある。

20110222鬼鹿毛の馬頭観音s-.jpg  


大和田には鎌倉街道の枝道であり「奥州脇道」ともいわれた羽根倉道と言う道が川越街道と交わっている。
この道は、荒川を越え、武蔵一の宮、大宮の氷川神社に通じるとともに、一方は国分寺にあった国府に向かう往還道であったということだ。
少し見ると、いかにもそれらしい道で、川越街道で出会った三つ目の鎌倉街道。

英橋を渡ったところに煙り出しのある豪壮な農家がある。昔の庄屋だったのだろうか。

20110222大和田の鎌倉街道s-.jpg  20110222煙出し農家s-.jpg


跡見女子大学の手前左の小山に、「三国第一山」と書かれた大きな石碑がある。
富士塚といわれるが、合目表示もなく怪しんだが、調べると横を走る県道の改修時に山が削られとかで、多分移設されたのだろと納得。

20110222富士塚s-.jpg


竹間沢からは、立派なケヤキの植えられている中央分離帯が続く。川越街道の碑も重厚だ。
三芳町の説明板には川越街道の距離は、十一里三十四三町三十三間半と、えらく拘わった表示があり、この分離帯の右側が旧街道ということだった。
この辺は旧上福岡市、大井町が合併してふじみ野市となっているが、隣接して合併に反対した富士見市があり、同じような地名に対する行政の感度の低さを表すとともに、ややこしい。
三芳町も合併に反対して、入間郡三芳町と町制のまま存続している。
三芳町の地名は伊勢物語の「みよし野」から取られており、この地名が残存したことはうれしい事だ。

 みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる

広源寺では、山門でなくて本堂の前に仁王が据えられている。こういうスタイルはお目にかかったことがなく、立派だが、雨ざらしが気に掛かる。

藤久保交差点の先に、往時と思しき松並木が残る。

20110222川越街道碑s-.jpg  20110222広源寺s-.jpg  20110222松並木s-.jpg


大井宿の本陣跡は、家は建て替えられて標識だけが立っている。
大井の地名も大井戸から由来して井戸の跡が保存されているが、見逃した。
大井小学校敷地内に国の登録有形文化財の旧大井村役場は、入ることは出来なかった。

小公園に角の常夜燈がある。川越街道と大山道との分岐で、「大山 武蔵野地蔵 ところさわ 道」と彫られている。昔からの大山信仰の根強さが確認できる。

20110222大井宿本陣跡s-.jpg  20110222大井村役場s-.jpg  20110222角の常夜灯s-.jpg


国道との合流手前に神明神社があり、隣にかなり侘しい馬頭観世音堂がある。この堂にも大和田宿で見かけた鬼影毛伝説が残っている。

20110222馬頭観音堂s-.jpg


川越に入ると開明地蔵大菩薩があり、別称首切り地蔵。昔刑場が傍にあったのが由縁と。
地蔵信仰は日本全国どこにでもあるが、この街道はとりわけ地蔵が多いのが眼を引いた。必ず理由がある筈なのだが、不明。

20110222首切り地蔵s-.jpg


川越大橋手前の道が、気に掛かる名前の烏頭坂。
説明板に道興准行の「うとう坂越えて苦しき行末を やすかたと鳴く鳥の音もかな」の歌が記されているが、歌の意味も、烏頭坂の由来も書かれていない。
烏頭は善知鳥とも書いて、親子の情愛が深い鳥で親鳥が「うとう」と鳴くと、雛鳥が「やすかた」と応えるという。この知識がないと歌の意味もわからない。
これに関する能が世阿弥の「善知鳥」で、さらに藤原定家の「陸奥の外が浜なる呼子鳥 鳴なる声はうとうやすかた」が有名。道興准行の歌はこれを元にしている。
青森市発祥の地は安方といわれ、多くの善知鳥の伝説が残っている。

さて、なぜここが烏頭坂かと言うと、洞穴のことをウトといい、昔はこの付近に多くの横穴住居があったのではないか、だからウトウ坂と言う説を見かけた。
また、似たような説で「うとう」は「空洞」で空洞状地形、凹状地形を示して、道においては切通しの形状を呈する凹道、峡道を示すと言う推測もあり、現地を歩くとこの説はかなりそぐわしい感がする。

地名一つでも、いかようにも想像は膨らむ事ができる。

市街地に入る陸橋の上からは、歩いてきた関東平野がくっきりと見える。

20110222烏頭坂s-.jpg  20110222関東平野s-.jpg


きっとあるに違いないと思っていて、やはり見つけたさつまいも地蔵尊。まだ真新しいが妙善寺にある。
見事な枡形を過ぎて、レンガ造りの川越キリスト教会は質素だが、味わい深く国の登録有形文化財。
三位一体のシンボルの、三つ葉のクローバーがあちこちに隠されている。

20110222川越さつまいも地蔵尊s-.jpg  20110222川越キリスト教会s-.jpg  20110222川越キリスト教会内観s-.jpg


太田道灌の像のある、大手門跡で歩き終える。
迂闊な事に、太田道灌が川越城を築いたという事を初めて知る。

20110222川越大手門跡s-.jpg


歩き終えた後の街中は、見慣れた景色も心なしか春の気配を漂わせていた。

 おもしろや ことしの春も 旅の空 (芭蕉)

20110222川越s-.jpg  20110222時の鐘s-.jpg


posted by 遊戯人 at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 川越街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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