追分から善光寺宿までは善光寺街道とも言われ、ここは既に歩いており、今回はその先の150km程度を歩く旅になる。
何度か来た善光寺にお約束の道中安全を祈願してから、街道へ入る。善光寺の前の長野市道路原標から右へ曲がる道が北国街道だ。


新町宿までには街道の雰囲気を残す建物も散見され、吉田神社では全国68箇所の一宮を境内に祀っている。
街道筋の街路灯には、北国街道の表示がされているのも心が和む。



田子池手前では明治天皇の巡行のために、わざわざ旧飯山城の裏門を移した御小休所跡がある。
この付近は二重化粧垂木を付けた家が散見された。津軽地方では格式の象徴のようだったが、長野ではどうだろうか。



夏の青さの宇佐美沢一里塚跡は、石の上の地蔵と無縁仏が仲良く。
この付近で、農家の方がリンゴの剪定を行っていて、一つのリンゴは葉50枚とか。
谷あいには忽然とバブル残骸と思しき造り掛け道路が現れる。車も走っていない道の何処と何処を繋ぐか。
この辺は標高も700mを越えて、善光寺平の景観が目を楽しませる。




一茶が15歳で江戸に奉公に出でる時に、父親と別れた場所と言う三本松。
「父阿りて明本の見たし青田原」
この辺からは信越五岳が良く見える筈だが、あいにく雲の中。かろうじて、飯綱山の姿が見える。



道は下り始め、牟礼宿に入る。
町並みは古いものは殆ど残っていないが、近辺は鎌で有名で、昔の鎌問屋の山本家は卯建のある立派な建物。

枡形を左折し、十王坂を上ると十王堂がある。王と本地が示されており、合掌。

佐渡金山ゆかりの金附場跡を通り過ぎ、武州加州道中境碑を見る。加賀と江戸の中間地点と。
程なく小玉坂に入る。
北国街道唯一の山道とされる気持ちの良いこの峠道は、余計なお世話の「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれている。


柏原宿と合宿の古間宿は鎌で有名。町並みは平凡だが一茶の碑等も増えてくる。

柏原宿は一茶の故郷で、諏訪神社に、一茶最古の句碑と言われる「松陰に寝てくふ六十よ州かな」
一茶の終焉の地の弟の屋敷や、一茶の像なども見受けられる。



一茶もさることながら、道筋に戸隠三社へ参拝する古道の碑が残っており、これもかなり気掛かりなまま黒姫駅で打ち上げた。
