2011年07月05日

北国街道(その1:善光寺宿〜柏原宿)

北国街道は中山道の追分宿から、善光寺宿を通り高田城下を抜け日本海沿いに出雲崎に至る、230km程度の街道だ。

追分から善光寺宿までは善光寺街道とも言われ、ここは既に歩いており、今回はその先の150km程度を歩く旅になる。

何度か来た善光寺にお約束の道中安全を祈願してから、街道へ入る。善光寺の前の長野市道路原標から右へ曲がる道が北国街道だ。

20110705善光寺s-.jpg  20110705長野市道路元標s-.jpg


新町宿までには街道の雰囲気を残す建物も散見され、吉田神社では全国68箇所の一宮を境内に祀っている。
街道筋の街路灯には、北国街道の表示がされているのも心が和む。

20110705新町宿付近s-.jpg  20110705吉田神社一宮s-.jpg  20110705街路灯s-.jpg


田子池手前では明治天皇の巡行のために、わざわざ旧飯山城の裏門を移した御小休所跡がある。
この付近は二重化粧垂木を付けた家が散見された。津軽地方では格式の象徴のようだったが、長野ではどうだろうか。

20110705旧飯山城裏門s-.jpg  20110705化粧垂木s-.jpg  20110705田子池s-.jpg


夏の青さの宇佐美沢一里塚跡は、石の上の地蔵と無縁仏が仲良く。
この付近で、農家の方がリンゴの剪定を行っていて、一つのリンゴは葉50枚とか。
谷あいには忽然とバブル残骸と思しき造り掛け道路が現れる。車も走っていない道の何処と何処を繋ぐか。
この辺は標高も700mを越えて、善光寺平の景観が目を楽しませる。

20110705宇佐美沢一里塚跡s-.jpg  20110705リンゴ-.jpg  20110705建設途上の道s-.jpg

20110705善光寺平s-.jpg


一茶が15歳で江戸に奉公に出でる時に、父親と別れた場所と言う三本松。
 「父阿りて明本の見たし青田原」
この辺からは信越五岳が良く見える筈だが、あいにく雲の中。かろうじて、飯綱山の姿が見える。

20110705三本松s-.jpg  20110705三本松芭蕉碑s-.jpg  20110705飯綱山s-.jpg


道は下り始め、牟礼宿に入る。
町並みは古いものは殆ど残っていないが、近辺は鎌で有名で、昔の鎌問屋の山本家は卯建のある立派な建物。

20110705牟礼宿鎌問屋s-.jpg


枡形を左折し、十王坂を上ると十王堂がある。王と本地が示されており、合掌。

20110705十王堂s-.jpg


佐渡金山ゆかりの金附場跡を通り過ぎ、武州加州道中境碑を見る。加賀と江戸の中間地点と。
程なく小玉坂に入る。
北国街道唯一の山道とされる気持ちの良いこの峠道は、余計なお世話の「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれている。

20110705中間碑s-.jpg  20110705小玉坂s-.jpg


柏原宿と合宿の古間宿は鎌で有名。町並みは平凡だが一茶の碑等も増えてくる。

20110705古間宿s-.jpg


柏原宿は一茶の故郷で、諏訪神社に、一茶最古の句碑と言われる「松陰に寝てくふ六十よ州かな」
一茶の終焉の地の弟の屋敷や、一茶の像なども見受けられる。

20110705一茶句碑s-.jpg  20110705一茶弟屋敷-.jpg  20110705一茶像-.jpg


一茶もさることながら、道筋に戸隠三社へ参拝する古道の碑が残っており、これもかなり気掛かりなまま黒姫駅で打ち上げた。

20110705戸隠山道道標s-.jpg


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 北国街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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