先ず寺町。ここには63の寺があるといわれ、中心は親鸞を祀る浄興寺。山号は歓喜踊躍山と賑々しく本堂は重文。親鸞を祀る廟があり、これもきらきらしい。
駅の付近の、意図しない建物の壁面がアートのようで目を奪う。



大町通りのニ・七の市を見て、新潟県唯一のヴォーリスの設計した高田降臨教会を見学。
幼稚園が併設されているために、内部は公開されていないが親切な司祭の方が見学させてくれた。
外観は温かみのある褐色で、礼拝室は簡素な作りだが時を経た木の質感がしっとりと馴染んでいる。
特徴的なエントランス上部の塔は、現在は使われておらず物置となっていた。
欄間に彫り込まれた、東方の三博士の旅の物語が楽しい。




レトロな建物も目を引く。
近代化遺産の高田世界館は100年も続いている日本でも最古級の映画館と言うが、あいにく休館日で内部は見れなかったのは残念。


高田宿で唯一見かけた、造り込み雁木の「旧今井染物屋」。
雁木の下は私有地なので、各々の所有者が自由に味わい深い路面を演出している場所も多く、財のある家はその設えを競ったろう。



高田宿外れの加賀街道と北国街道奥州道の追分の傍の宇賀魂神社に、移設された道標がある。
「右 於ヽ志う道、左 加ヽみち」、この辺からは北国街道よりも奥州道という表記が多く現れて来る。
厳密に言うと、この追分が北国街道の終点という事らしい。


稲田口番所跡で高田宿を出ても、雁木がある通りが続く。
この付近のどの神社の灯篭も極端に背が高く、豪雪をうかがわせる。


関川沿いに街道は続き、ようやく河口から日本海が見えてきた。奥州街道で野辺地宿で海を見たときも感慨深かった事を思い出す。

街道を少し外れて、林芙美子の放浪記の碑や、安寿と厨子王の供養塔、高田出身の小川未明の「赤い蝋燭と人魚」にちなんだ人魚像などを河口付近で見る。
放浪記の碑には、その一節が刻まれていた。
私が青い時間表の地図から
ひらった土地は、
日本海の直江津と云う小さい港町だった。
ああ、海と港の旅情。
こんな処へ行ってみたいと思う。
これだけでも、
傷ついた私を慰めてくれるにちがいない。



海岸からの景色は索漠として、いかにも日本海らしい。
これからは出雲崎まで日本海沿いの道となる。

馬市で有名だった春日新田宿を抜ける。往時は千頭が集まったといわれ越後三大馬市のひとつと。
この先椎谷宿も馬市で有名だった。日本海沿いに大きな馬市が立つのは不思議。

黒井宿では中部電力が巨大な上越火力発電所を建設中。原発停止で工事を急いでいるらしかった。
承久の乱で敗れ、佐渡に流される途中立ち寄ったとされる順徳天皇の碑等を見ているうちに雨脚が強くなり、ほくほく線の犀潟駅に逃げ込んで早めに旅を終えた。


