2012年10月17日

北国街道(その4:高田宿〜黒井宿)

街道に戻る前に、見所多い高田宿を散策。

先ず寺町。ここには63の寺があるといわれ、中心は親鸞を祀る浄興寺。山号は歓喜踊躍山と賑々しく本堂は重文。親鸞を祀る廟があり、これもきらきらしい。

駅の付近の、意図しない建物の壁面がアートのようで目を奪う。

20121017浄興寺s-.jpg  20121017親鸞廟s-.jpg  20121017レトロな壁s-.jpg


大町通りのニ・七の市を見て、新潟県唯一のヴォーリスの設計した高田降臨教会を見学。
幼稚園が併設されているために、内部は公開されていないが親切な司祭の方が見学させてくれた。
外観は温かみのある褐色で、礼拝室は簡素な作りだが時を経た木の質感がしっとりと馴染んでいる。
特徴的なエントランス上部の塔は、現在は使われておらず物置となっていた。
欄間に彫り込まれた、東方の三博士の旅の物語が楽しい。

20121017朝市s-.jpg  20121017高田降臨教会s-.jpg  20121017高田降臨教会祭壇s-.jpg 

20121017高田降臨教会東方の三博士s-.jpg


レトロな建物も目を引く。
近代化遺産の高田世界館は100年も続いている日本でも最古級の映画館と言うが、あいにく休館日で内部は見れなかったのは残念。

20121017高田の建築s-.jpg  20121017高田世界館s-.jpg


高田宿で唯一見かけた、造り込み雁木の「旧今井染物屋」。
雁木の下は私有地なので、各々の所有者が自由に味わい深い路面を演出している場所も多く、財のある家はその設えを競ったろう。

20121017旧今井染物屋s-.jpg  20121017雁木下路面1s-.jpg  20121017雁木下路面2s-.jpg 


高田宿外れの加賀街道と北国街道奥州道の追分の傍の宇賀魂神社に、移設された道標がある。
「右 於ヽ志う道、左 加ヽみち」、この辺からは北国街道よりも奥州道という表記が多く現れて来る。
厳密に言うと、この追分が北国街道の終点という事らしい。

20121017北国街道追分s-.jpg  20121017道標s-.jpg


稲田口番所跡で高田宿を出ても、雁木がある通りが続く。
この付近のどの神社の灯篭も極端に背が高く、豪雪をうかがわせる。

20121017松之山街道口雁木s-.jpg  20121017高灯篭s-.jpg  


関川沿いに街道は続き、ようやく河口から日本海が見えてきた。奥州街道で野辺地宿で海を見たときも感慨深かった事を思い出す。

20121017関川河口s-.jpg


街道を少し外れて、林芙美子の放浪記の碑や、安寿と厨子王の供養塔、高田出身の小川未明の「赤い蝋燭と人魚」にちなんだ人魚像などを河口付近で見る。
放浪記の碑には、その一節が刻まれていた。

 私が青い時間表の地図から
 ひらった土地は、
 日本海の直江津と云う小さい港町だった。
 ああ、海と港の旅情。
 こんな処へ行ってみたいと思う。
 これだけでも、
 傷ついた私を慰めてくれるにちがいない。

20121017放浪記碑s-.jpg  20121017安寿と厨子王供養塔s-.jpg  20121017人魚姫s-.jpg


海岸からの景色は索漠として、いかにも日本海らしい。
これからは出雲崎まで日本海沿いの道となる。

20121017日本海s-.jpg


馬市で有名だった春日新田宿を抜ける。往時は千頭が集まったといわれ越後三大馬市のひとつと。
この先椎谷宿も馬市で有名だった。日本海沿いに大きな馬市が立つのは不思議。

20121017馬市碑s-.jpg


黒井宿では中部電力が巨大な上越火力発電所を建設中。原発停止で工事を急いでいるらしかった。
承久の乱で敗れ、佐渡に流される途中立ち寄ったとされる順徳天皇の碑等を見ているうちに雨脚が強くなり、ほくほく線の犀潟駅に逃げ込んで早めに旅を終えた。

20121017上越火力s-.jpg  20121017順徳天皇碑s-.jpg  20121017犀潟駅s-.jpg  


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 北国街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月16日

北国街道(その3:二本木宿〜高田宿)

つい先日北国街道を出雲崎まで歩き終えたのだが、記録をすっかり失念し、書くのはもう一年近く前の事となってしまった。

二本木宿付近は、左手後ろには特徴のある妙高が、右手前方には米山も見え始め空気が澄んでいれば当然日本海も望める筈。
この辺は、引き続きずっと日本海に雪崩落ちていく気分が強い街道だ。
切り下げられた現在の道筋から一段高い所にある藤沢一里塚が目立つが、片側だけ残存し何ら標識は見当たらない。

「越後見納め小出雲坂よ」と詠われた小出雲坂を下って、上越市に入る

20121016高田平野s-.jpg  20121016藤沢一里塚s-.jpg  20121016小出雲坂s-.jpg


新井宿手前に「左飯山道、右善光寺道」と彫られた道標がある。飯山道とは今の飯山街道らしい。
新井宿では、北国街道を意識した看板も見られる。

20121016飯山道道標s-.jpg  20121016新井宿外灯s-.jpg  20121016新井宿看板s-.jpg


この辺からも振り返ると、妙高が特徴ある姿を見せている。
石塚一里塚から先には石屋が多く、今もその影響か道端にデモンストレーション用とも思える不思議な石の集合がある。

20121016妙高s-.jpg  20121016石塚一里塚s-.jpg  20121016石の群れs-.jpg


新井宿から先は、旧道は右に左にと蛇行する。横を流れる矢代川の影響だろうか。
越後出雲神社辺りから上越新幹線の延伸部分が現れ、新駅の上越駅を眺められる。開業は2015年なのでもう間もなくだ。

20121016上越新駅s-.jpg  20121016越後出雲神社s-.jpg


高田宿の南入口に伊勢町口晩所跡と一里塚跡、髭題目がある。

20121016高田宿南口番所s-.jpg


高田宿は日本一の雁木の町で、その総延長は16kmとも言われ、豪雪を想像しながらも見ていて飽きる事がない。

20121016雁木0s-.jpg  20121016雁木2s-.jpg  20121016雁木3s-.jpg 


地元の人に聞いても誰も知らない時の鐘などを見て、旧師団長官舎に脚を運ぶ。
ここはカイゼル髭で有名な長岡中将の銅像がユーモラス。

20121016時の鐘s-.jpg  20121016旧師団長舎s-.jpg  20121016長岡中将像s-.jpg


再び街道に戻り、小川紙店と言う、いたく感動的な立面構成を持つ現役の店がある。

20121016小川紙店s-.jpg  20121016小川紙店看板s-.jpg


高田城跡の高田公園へも脚を伸ばす。
ここは日本三大夜桜、東洋一の蓮田などで有名だが、復元された三重櫓はやや小ぶりに見えた。
公園内に吉田五十八が設計した移築された小林古径邸やアトリエがあるが、例によって公開時間を過ぎていた。

20121016高田城三重櫓s-.jpg  20121016蓮田s-.jpg  20121016小林古径アトリエ等s-.jpg


高田宿の町並みは味わい深く、昔からの建物も自らを主張しない良い古び方で時を経ていたものが多かった。
しかし一転して現代のものは、全く勘違いの建物や施設を散見した。
駅前付近は古くからの雁木を撤去して、平成雁木というアーケードが作られているが、人のスケールを逸脱した馬鹿馬鹿しいアーケード空間となっている。
町会所跡には「雁木通りプラザ」という市の文化施設が作られているが、これは歴史や風土から隔絶したグロテスクな造形だ。設計者は上越市出身の寒竹伸一。

高田駅もひどい造形だ。
アーケード中心部は東京駅をモチーフとした言われるが、地元の方に伺うと、これらの建物は箱ものが好きだった数代前の市長が関与したと言うことで、設計者も設計者だが、箱もので足跡を残したがる施政者が如何に景観を破壊してしまうかという、反面教師としての見本のような町でもあった。

20121016平成雁木s-.jpg  20121016雁木通りプラザs-.jpg  20121017高田駅s-.jpg


昔からの雁木は、寛文5年(1665)に高田が大地震に襲われた時に、復興工事として本格的に建設されたと言われているので、もう350年の歴史があることになる。
平成雁木は何時まで持つだろうか?せいぜい20年ではないかと思いながら、ホテルに入った。

posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 北国街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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