二本木宿付近は、左手後ろには特徴のある妙高が、右手前方には米山も見え始め空気が澄んでいれば当然日本海も望める筈。
この辺は、引き続きずっと日本海に雪崩落ちていく気分が強い街道だ。
切り下げられた現在の道筋から一段高い所にある藤沢一里塚が目立つが、片側だけ残存し何ら標識は見当たらない。
「越後見納め小出雲坂よ」と詠われた小出雲坂を下って、上越市に入る



新井宿手前に「左飯山道、右善光寺道」と彫られた道標がある。飯山道とは今の飯山街道らしい。
新井宿では、北国街道を意識した看板も見られる。



この辺からも振り返ると、妙高が特徴ある姿を見せている。
石塚一里塚から先には石屋が多く、今もその影響か道端にデモンストレーション用とも思える不思議な石の集合がある。



新井宿から先は、旧道は右に左にと蛇行する。横を流れる矢代川の影響だろうか。
越後出雲神社辺りから上越新幹線の延伸部分が現れ、新駅の上越駅を眺められる。開業は2015年なのでもう間もなくだ。


高田宿の南入口に伊勢町口晩所跡と一里塚跡、髭題目がある。

高田宿は日本一の雁木の町で、その総延長は16kmとも言われ、豪雪を想像しながらも見ていて飽きる事がない。



地元の人に聞いても誰も知らない時の鐘などを見て、旧師団長官舎に脚を運ぶ。
ここはカイゼル髭で有名な長岡中将の銅像がユーモラス。



再び街道に戻り、小川紙店と言う、いたく感動的な立面構成を持つ現役の店がある。


高田城跡の高田公園へも脚を伸ばす。
ここは日本三大夜桜、東洋一の蓮田などで有名だが、復元された三重櫓はやや小ぶりに見えた。
公園内に吉田五十八が設計した移築された小林古径邸やアトリエがあるが、例によって公開時間を過ぎていた。



高田宿の町並みは味わい深く、昔からの建物も自らを主張しない良い古び方で時を経ていたものが多かった。
しかし一転して現代のものは、全く勘違いの建物や施設を散見した。
駅前付近は古くからの雁木を撤去して、平成雁木というアーケードが作られているが、人のスケールを逸脱した馬鹿馬鹿しいアーケード空間となっている。
町会所跡には「雁木通りプラザ」という市の文化施設が作られているが、これは歴史や風土から隔絶したグロテスクな造形だ。設計者は上越市出身の寒竹伸一。
高田駅もひどい造形だ。
アーケード中心部は東京駅をモチーフとした言われるが、地元の方に伺うと、これらの建物は箱ものが好きだった数代前の市長が関与したと言うことで、設計者も設計者だが、箱もので足跡を残したがる施政者が如何に景観を破壊してしまうかという、反面教師としての見本のような町でもあった。



昔からの雁木は、寛文5年(1665)に高田が大地震に襲われた時に、復興工事として本格的に建設されたと言われているので、もう350年の歴史があることになる。
平成雁木は何時まで持つだろうか?せいぜい20年ではないかと思いながら、ホテルに入った。