2013年04月29日

大山街道中原豊田道

大山街道中原豊田道は平塚から北上し、伊勢原の上谷で柏尾道と糟屋道に合流、更に下糟屋で青山道に合流する。
平塚では、部分的に中原街道とも重複し、この日も昔歩いた道に数多く懐かしく出会った。

平塚駅から東海道を西に向う。この道を歩くのは2001年以来で、その時の様相を全く覚えていない。
見付跡、脇本陣跡や高札場跡の碑が残る。
見附台公園横に、崇善公民館‎があり威容を放っている。昭和25年に建てられて議事堂として使われた建物だが、残念ながら平成27年までに解体されてしまうようだった、

20130429江戸見附s-.jpg  20130429高札場跡s-.jpg  20130429崇善公民館s-.jpg


大山街道に入る手前バス停に、豊田道という停留所名が残っている。
地名は町村統合で、全く無味乾燥な歴史を伝えないものに変わってしまうが、バス停は昔の名前のものが残っていること多く、辛うじて歴史を伝えてくれる。

道は東海道を離れて中原豊田道になるが、少し道筋を離れ平塚の塚に立ち寄る。
桓武天皇の三代孫高見王の娘政子が天安元年この地で逝去し、墓が築かれたがその塚の上が平らになったのが平塚の地名の由来という。
塚の付く地名の由来には、赤塚もそうだが墓に起因するものが多い。

20130429豊田道バス停s-.jpg  20130429平塚の塚s-.jpg


街道は直ぐに大山街道矢崎道と重なり、更に中原街道とも重なる。
中原街道の高札場跡を過ぎると、家康が中原御殿鎮護のために作った日枝神社がある。

20130429中原街道高札場跡s-.jpg  20130429日枝神社s-.jpg


日枝神社の真新しい絵馬に、中原御殿の家康の鷹狩りの由来が描かれていた。
ここには東照大権現もあり、さすが家康の歴史の色が濃い。
境内には「平塚ステーンショ道」と刻まれた、大山街道の道標を兼ねた珍しい庚申塔もある。

20130429絵馬s-.jpg  20130429東照大権現s-.jpg  20130429庚申塔s-.jpg


渋田川を渡ると、見慣れた大山が姿を現す。

豊田に入ると「豊田本郷駅」と表示されたバス停がある。
神奈川中央交通が国鉄と連携輸送を行っていた時はこのバス停で国鉄の切符も販売していたとの事で、駅という名称が残っている。これも歴史を残すバス停名称の一つ。
神奈川には他にも大山駅、愛甲田代駅が残っているそうだ。

20130429大山s-.jpg  20130429豊田本郷駅バス停s-.jpg


端午の節句が間近なので、祝う幟が舞っている。
今の季節は街道を歩いても、風にはためく鯉幟を見かける事がめっきりと減り、地方でも子供が少なくなっている事を如実に感じる。

20130429幟s-.jpg


新幹線手前の青雲寺は、家康鷹狩りの折のお茶を入れた名水で有名と言い、「おちゃやてら」の石碑がある。
境内には見慣れた不動明王の大山街道道標もあり、やはり大山は不動明王だ。

20130429おちゃやてらs-.jpg  20130429不動明王道標s-.jpg


この辺の畑では、時たま懐かしいれんげ畑を見ることが出来る。
散発的にしか見かけないのは、農家の方が趣味的に残しているのだろうか。

20130429れんげ畑s-.jpg


小鍋島の八幡神社は、震災の被害だろうか、鳥居が単管で補強されていて悲しい姿となっていた。

20130429小鍋島八幡神社s-.jpg


渋田川手前で、少し前に歩いた大山街道田村道に交差する。ここからは渋田川沿いの道となる。
下谷に八幡神社があり、立派な不動明王道標と珍しい「衜祖神」と彫られた道祖神がある。

20130429八幡神社不動明王道標s-.jpg  20130429八幡神社不動明王s-.jpg  20130429道衜神s-.jpg


渋田川は芝桜の名所で、なかの橋あたりから河畔に植えられており、花の盛りは終わっていたが何とか残り花を楽しむ事が出来た。

20130429芝桜1s-.jpg  20130429芝桜2-.jpg


ここの芝桜は、地区の故鈴木健三氏が奥多摩から一株の芝桜を持ち帰って植えた事が始まりとされている。
関東には秩父の羊山公園や本栖湖の富士の芝桜、秦野の引地川の芝桜など多くの芝桜の名所があるが、自治体が整備したり、民間の施設が有料で公開してるものが多い。

渋田川の芝桜は、愛好会が管理している様だが、原則は自分の家の前のものはその住人が整備するという事になっているらしく、いかにも土地に根ざした良い方法に思える。
そのためか、逆にあまり人気のなさそうな家の前の芝桜の手入れはおざなりだったような気配もした。
数年前よりも、芝桜が貧弱になっているというネットでの書き込みも見受けられ、美しく咲く花の裏にも良くも悪しくも人の営みが見えてくると考えさせられる。

今は有名になった相模原新戸芝桜は、渋田川の芝桜の苗を譲り受けて育てた事が始まりとされて、渋田川の芝桜も栄枯盛衰しているようだった。

渋田新橋で柏尾道に合流し、少し先の柏尾道道標をやり過ごしてから何時ものように青山道で愛甲石田駅まで戻って歩き終えた。

20130429柏尾道道標s-.jpg


沢山の大山街道と出会ったが、あと何百年先にも残るものは道標かなと思いながらの、春の一日ではあった。


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2013年04月18日

大山街道田村道

大山から江ノ島に繋がる田村道は、大山に参拝した人々が帰りに使うことが多かった。
この道は江ノ島弁財天を詣でるが、それは片詣を避けるためとも言われている。
今までは大山街道は大山方向へ歩いたが、今回は慣わし通りに大山に背を向けて石倉橋からスタートした。ここは青山道との追分になる。

石倉橋周辺は県道603号線の整備のために仮囲いが設けられており、石像も移設されている。
腰掛不動と額の掛かった真新しい建物に、彩色も鮮やかな不動尊が祀られている。移築の際に新たに着彩されたのだろうか。

20130418石倉橋仮囲いs-.jpg  20130418石倉橋石像群s-.jpg  20130418腰掛不動尊s-.jpg


青山道との追分を過ぎて二の鳥居があり、鳥居を通して真正面に大山が見える。
この鳥居は関東大震災で倒壊し再建されているが、鳥居の向きが現在の道でなく、旧道に沿った方向となっており、交差点先の山王中学校沿いにその道が残存しているらしかった。

20130418青山道追分s-.jpg  20130418二の鳥居1s-.jpg  20130418二の鳥居-.jpg


直ぐ傍に国指定の登録有形文化財の旧代官の山口家住宅があり、旅人のために門を開放して水を供したという巽の井戸や、雨岳文庫資料館も敷地内にある。
日曜しか開館しておらず、外観を見る事しか出来なかったのは残念。

20130418山口家s-.jpg  20130418巽の井戸s-.jpg


伊勢原駅に近づくと歩道がレンガタイルとなり、花の鉢のための気の利いた支持台や綺麗に手入れされた花が植えられており、環境に対する市の姿勢が垣間見える。
 
20130418花鉢用台s-.jpg


伊勢原大神宮を詣でる。
伊勢原の地名は、伊勢の国の山田曾右衛門が大山詣の後、そのままこの地に住み着き、故郷の伊勢神宮を勧請・奉祭し、そのため地名も伊勢原となったと言う。

この神社には、銀杏、楠、欅の3本の御神木がある。
その一本の欅の枝が無惨に伐られており、境内をご奉仕で掃いていた方に伺うと、落ち葉のせいと言う。
落葉樹の落ち葉は当たり前の事だが、敷地外の住宅の樋に詰まるものを、ご奉仕の人が掃除していたが、皆高齢化して樋に取り付く高所作業が出来なくなって宮司が伐ることに決めたとの悲しい話を聞かされた。
人の寿命はせいぜい100歳だが、何百年も生き永らえるだろう御神木は無惨な姿と成り果てた。

20130418伊勢原大神宮s-.jpg  20130418伊勢原大神宮の欅s-.jpg


伊勢原駅前に立派な鳥居があるが、これは一の鳥居でもなく、この鳥居から伸びる道が大山道でもないと言う少し不思議な鳥居。

20130418伊勢原駅前の鳥居s-.jpg


駅を抜けて直ぐの、三福寺の子の権現社には草鞋が。八重桜の散る鉢には大賀ハスが植えられていた。

20130418山福寺子の権現s-.jpg  20130418三福寺蓮s-.jpg 


日向道との分岐の直角に折れるT字路に、地蔵が載った珍しい道標がある。
普通は大山道は不動の筈だがと思ってよく見ると、首から上が挿げ替えられている。この道筋で同じような道標を数点見たので地蔵信仰が強いのだろうか。

20130418地蔵道標s-.jpg


傍の八坂神社には入口に田村道の道標があり、境内にはご神木だった天王松の巨根が、往時の写真と共に屋根を掛けて保存されている。
目通り6Mの巨木だったそうだが、惜しくも昭和49年に枯れたとの事。まだ生きているのに枝を無惨に刈り払われた伊勢原大神宮の欅とは大違いだ。

20130418田村道道標s-.jpg  20130418天王松s-.jpg  20130418天王松写真s-.jpg


東円寺にある「こがの渡し舟つなぎ松」の碑を見る。
大きな川もないのに不思議に思えるが、この辺は今も水田のある低湿地で、昔は舟でないと渡れなかった事から東西に舟繋ぎの松があり、西が東円寺、東が小鍋島の長島にあったらしい。

レンゲ畑を眺めながら、下谷で豊田道と交差してから渋田川の自然堤防の上をのんびりと歩く道は長寛だ。

20130418舟繋ぎ松跡s-.jpg  20130418れんげ畑s-.jpg  20130418渋田川s-.jpg


旧田村十字路に十王堂や田村道の道標がある。
田村の地名は坂上田村麻呂がここに一時逗留した事から来ているといわれるが、この由来の地名も日本全国にある。
田村の渡跡碑を見てから、相模川を渡り寒川町に入る。

20130418田村の渡し跡s-.jpg  20130418相模川s-.jpg


一宮緑道として旧相模線支線が緑地化され、西寒川駅跡が八角広場として整備されている。
街道の左右に軌道跡もかなりの長さで残存して、少し前まではお祭りの時に列車も走らせたそうだが、今は何の説明版もなく置き去りにされていた。
枕木が一本一本割れを防ぐために、鉄輪が打ち込まれているのが興味深い。

20130418一宮緑道s-.jpg  20130418軌道敷s-.jpg


この先少しの区間、中原街道とラップしているが、勿論記憶にない。
新湘南バイパスを越えて暫く行くと、赤羽根神明神社があり、参道が新湘南バイパスと地上道に挟まれた空中参道となっている。

四ツ谷辻に大山不動一の鳥居が、更にお堂に大山不動の道標があり東海道方面から大山を目指す人には心強い。ここからは藤沢橋までは旧東海道と同じルートとなる。

20130418赤羽根神明神社空中参道s-.jpg  20130418大山不動一の鳥居s-.jpg  20130418不動道標s-.jpg


交通量の多い道を進み、メルシャンの少し先におしゃれ地蔵がある。
道祖神だが、女性の願い事を叶え、叶った時は白粉を塗ってお礼をすると言う事で、心なしかやや化粧が剥げ落ちている気配ではあった。

20130418おしゃれ地蔵s-.jpg  


藤沢の市街地に入ると、マンションの敷地に隣接して源義経首洗い井戸がある。
首実検した後、鎌倉打越の海岸に打ち捨てられた義経の首が境川を遡り、この付近で村人に拾われてこの井戸で首を清めたという。奥州街道平泉の高館と、藤沢は一繋がり。

20130418首洗い井戸s-.jpg


藤沢駅を越えると道も江の島道となり、杉山検校が立てた道標が要所要所に立っている。
一切衆生、二世安楽。

諏訪神社上社の長い階段からは、江の島方面が良く伺える。
密蔵寺は新四国霊場を創設しようと88体の弘法大師像を作ろうとしたが、関東大震災で中断。
それまでに製作された像が26体境内に並べられており、壮観だ。

20130418江の島道道標s-.jpg  20130418諏訪神社上社石段s-.jpg  20130418密蔵寺弘法大師像s-.jpg


さらに、常立寺にはフビライ・ハーンの国書を持って渡来した元の使者が処刑された事を弔う供養塔があり、その前には青い布が巻かれた五輪塔がある。
モンゴルは白と青の色を大切にして、青は英雄を意味するらしく、モンゴル出身の力士が巡業の折りにこの寺を訪れ青い布を巻いていると。

20130418元使者供養塔s-.jpg


江の島付近は見所が多く、日もとっぷりと暮れようとしているがようやく弁天橋に辿り着く。
この橋の歩行者専用部分は、最近強風時に係留していた漁船が衝突して橋桁を損傷して修復中で通行止だったが、橋からは遥々歩いて来た大山が薄っすらと眺められる。

20130418江の島s-.jpg  20130418弁天橋s-.jpg  20130418通行止s-.jpg


夜の帳も降りようとする頃、それでも最後はやはり江島神社の辺津宮に参拝して、風も強く見所多くて予想外の時間が掛かったが、今日の無事の街道歩きをお礼した。

20130418江の島弁天-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 大山街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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