2013年11月19日

日光東往還(その1:南柏〜野田)

日光に通じる街道を日光街道、日光例幣使街道、壬生道、御成道と歩きこれが5つ目の日光への街道になる、
日光東往還は、水戸街道の南柏付近の追分から分岐して、石橋宿と雀宮宿の間で日光街道に合流する。行程は80km程度と近場の街道としては手ごろな距離だ。

南柏で6号線との交差点に「旧日光街道入口」の交通標識がある。
この辺は幕府の馬の放牧地の小金牧の一部で、水戸街道との分岐付近にも新木戸というバス停がある。
地名は町村合併などで昔日の名前を残していないものも多いが、バス停や道路標識で街道を確認出来る事は少なくない。

20131113旧日光街道標識s-.jpg


街道沿いの稲荷神社に豊四季開拓百年記念碑があり、明治維新後の失業・窮民対策としての原野開拓の歴史が記されており、今は初富から始まって、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉から十余三まである町々がその美称と裏腹に苦難の連続であったことが知れる。

街道沿いはあまり見るべきものがないが、流山おおたかの森駅そばのきらら公園に一里塚の碑があり、これはと思わせた。
しかし説明を見ると、付近に一里塚があったと言う史実はないが、それをイメージした築山を造ったと書かれている。造るのは結構だが、誤解を招きそうだ。

この公園には放射能測定数値の掲示があり、福島以外ではすっかりニュースから消え去っている原発事故や放射能のことを改めて思い出させる。
柏、流山、松戸、三郷は高濃度放射能汚染があったホットスポットとして知られるが、報道されなくなったからといってその事実が消えた訳ではなく、事故の影響は今も深く進行している。他の多くの公園でも測定数値が掲げられていた。
除染した土壌は国による最終処分場が決まっておらず、多分公園敷地内に暫定的に埋められているだけのようだ。解決には程遠い。

20131113豊四季記念碑s-.jpg  21131113一里塚s-.jpg  20131113放射能測定値s-.jpg  


常磐道と交差する橋が「日光街道大橋」と言う名称で、傍らの公園の名前が「日光橋公園」となっている。
道路公団の手にかかると、日光街道の本街道も脇往還のこの東往還も一つの日光街道になってしまう、

20131113日光街道大橋s-.jpg  20131113日光橋公園s-.jpg


先ほどのきらら公園付近や、江戸川台駅手前に見事な枡形があるが、城下町でもないのになぜ枡形なのかはよく分からない。野馬土手を避けるためとか、村境がそうなっていたとか諸説あるようだ。
江戸川台駅を過ぎて流山街道と合流する手前にまた枡形があり、「旧日光街道」と記されたこの街道で初めて見かけた説明版がある。
街道自体の存在証明を探すことも、興味の対象になる。

20121113旧日光街道説明版s-.jpg


歩道上に道標を兼ねた立派な青面金剛塔があるが、何の説明もない。この辺はずっと流山市だが、こういう史跡に全く無関心なようで、行政の姿勢がうかがわれる。

お雇い外国人のムルデルによって明治23年に開削された、利根川と江戸川を結ぶ利根運河を越え流山市から野田市に入る。
利根運河というものも知らなかったが、陸上交通網の発達によって昭和16年に政府に買い取られて使命を終えた。

運河の前の道端に、福の神と彫られたビリケンさんがいる。
アメリカから日本に渡来して、通天閣のものが有名だが、関東で見かけたのは初めてだ。

20131113青面金剛塔s-.jpg   20131113利根運河s-.jpg   20131113ビリケンさんs-.jpg


この街道の最初の宿場の山崎宿に入ると、民家の塀の一部に良いお顔の地蔵が祀られているが、説明が見当たらない。
その先に立派な塀を持った、いかにも旧家らしい家がある。
本陣の吉岡家の前の歩道には、木製の常夜灯が残っているがこれも説明が見当たらない。

20131113地蔵s-.jpg  20131113旧家s-.jpg 20131113木製常夜灯s- .jpg


花井神明神社には青面金剛の庚申塔が林立している。この街道には、由緒正しい青面金剛が多い。

20131113青面金剛s- .jpg


街道を離れ、野田のキッコーマンで有名な醸造家の茂木家が屋敷が集まる地域に寄り道。
これらの屋敷は公開されていないが、明治から昭和にかけての様々な塀や建物の外観だけでも楽しめ、醸造家が設立した興風会館と言う建物も興味深かった。

20131113茂木家1s-.jpg  20131113茂木家2s-.jpg  20131113興風会館s-.jpg


ジャスコが経営している「もりのゆうえんち」が街道沿いにあり、場違いな巨大な観覧車が回っている。それに乗れば利根川が見えるだろうか。
この辺から、野田市役所に掛けて街道右側には昔ながらと思わせる林が続き、かなりの長さで野馬土手が残存している。野馬土手に関しては水戸街道沿いのあちこちでも説明板があったが、これほど明確なものを見たのは初めてだ。
いかにもバブルの残骸と思われる野田市役所の前に、野馬土手の説明と少し所在なさげに掲示されたに日光東往還の説明板があった。流山市の単に「旧日光街道」と示されていたプレート比べれば的確な説明だ。

20131113観覧車s-.jpg  20131113野馬土手s-.jpg  20131113街道説明版s-.jpg


日暮れも早く、野田で寄り道をしたこともあり距離は少なめだが、愛宕駅で歩き終える。


posted by 遊戯人 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日光東往還 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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