2008年06月08日

鎌倉街道下道(その3:綱島〜新橋)

都会の中の街道は、風物を楽しみながらの歩き旅にはなり難い。
しかし、僅かに残っている昔の便を目にすることや、近くにありながら一度も立ち寄ったことの無いものに、巡り合う楽しさもある。

綱島には昔の名主の立派な飯田家住宅が、解体修復され動態保存されている。
都会でまだこのような建物が活きた形で使われているの見るのは嬉しいが、住む人も大変な努力が必要だろう。

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この街道で、二つ目の鎌倉街道の碑。日吉のそばの駒が橋。
最近立てられているが、どのような組織が作ったのか。

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武蔵中原手前で、道は丸子橋を過ぎるまで以前歩いた中原街道と重なる。
都内に入ると、大井までは池上を通るルートと、洗足池を通るルートの二つの説がある。
後者はその2/3位が中原街道で、既に踏破済みなので今回は池上ルートを選ぶ。

多摩川を挟んで川崎側には二ヶ領用水、東京側には六郷用水があった。
二ヶ領用水はかなりの部分が残っており、今でも市民に憩いの場を提供しているが、六郷用水は残念ながら殆ど埋め立てられて、緑道や歩道になってしまった。
公園化されて、僅かに残るせせらぎが昔の名残を留めている。

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大森では名前だけは誰でも知っている大森貝塚に立ち寄り、モース博士の功績をしのぶ。
縄文という言葉はモース博士が発掘した土器をCord Marked Pottery と報告したことに由来するということを知る。

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大井からの道は殆ど消失し、大井操車場に沿うしかない。
御殿山を抜けると、再び中原街道で通った尾根道になる。ここは色々史跡や気を引く建物が多く、何度歩いても楽しめる。

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三田を過ぎ、芝公園の醜いプリンスホテルのすぐ傍には丸山古墳。
都心のこんな所に古墳があるとは初めて知り、挨拶に。

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愛宕山を越え、東京駅までは一寸届かずに、西新橋で打ち止めた。


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉街道下道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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