鶴ヶ峰では畠山重忠の六ツ塚へ立ち寄る。
鎌倉街道では畠山重忠はあちこちに足跡を残すが、この近辺は鎌倉幕府の北条時政に謀られた畠山重忠が、北条義時の万余の大軍と戦い玉砕し、万騎が原の地名も残っている。
六ツ塚は畠山重忠の主従が葬られているという場所で、近くには駕籠塚もある。
重忠の妻は急を聞いて、駕籠で駆けつけたが、この地で重忠の戦死を聞き駕籠中で自害した。駕籠塚それを弔うもの。


さて、今日の街道は殆どが開発された変哲の無い住宅地の中に残る道、もしくは全く消失した道を辿る事になった。
僅かにそれらしい雰囲気を残しているのは、鶴見川を越えて荏田との境界辺りまで。
新興住宅地の中の道も、尾根道が多いという事が、鎌倉街道らしいと言えば鎌倉街道らしかった。

荏田に入るとまたまた大規模住宅団地で、報いの少ない歩きとなる。
荏田宿からは溝口まで、嘗て歩いた大山街道を辿ることになるので、まだ陽が高いが暑さにもめげて、早々と打ち止めた。
