この日は、後者のルートを歩いてみた。
二子玉川から用賀までは大山街道と重なるので省略し、上町から。
豪徳寺の楓が見頃で、勿論ここに奉られている井伊直弼の墓にも詣でる。
直ぐそばの松陰神社には吉田松陰の墓があり、安政の大獄の幕府側と刑死した側が近くに眠るのも歴史のいたずらか。
歳末商戦で賑やかな十号坂商店街。不思議な名前だがこの辺には六号坂商店街というのもあって、水道道路が昔水路だった時に掛かっていた橋の名前に由来するとか。
中野区に入ると、住宅地の中に昔懐かしい竹垣の家が残る。
この家は、懐かしい童謡の「たきび」の歌の発祥の地。
作詞者の巽聖歌が、付近を毎日のように散歩して作詞した言われている。
かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜ ぴいぷう ふいている
江戸時代の名主を勤めた旧家だが、童謡の心を伝える美しい竹の垣根を維持する気持に頭が下がった。
伐採された樹をなだめるように竹垣があつられているが、ふしぎな縄飾りが。
よく見ると、少し尾が摺り切れたり形が崩れたりしているが、鶴と亀。まだこのような職人の遊び心が生きていた。
新井薬師に寄り道する。願い事は例によって色々だ。
境内には巣鴨の刺抜き地蔵と同じように水をかける願い地蔵があり、願を掛ける人が列を成す。
哲学堂。井上圓了が作った建物が元になっているが、おどろおどろしい名称のものが多い。
四聖堂、六賢臺などまでは良いが、髑髏庵、鬼神窟、無盡藏などとなると中々井上の精神構造は窺い知れ無い。
早々に、常識門から退散した。
新青梅街道を越えると野方配水塔がある。関東大震災の後作られたが、巨大でその独特の様相は今も見る人を驚かせる。
昔は板の橋で出来ていて、板橋の地名の起こりとも言われている山中橋で石神井川を越えると日はとっぷりと暮れ、分かり難い道をひたすら歩く。
何とか、別ルートと合流する赤羽の宝憧院まで辿り着く。
馴染みの道標は「西 西国富士道、板橋道」、これが歩いた道。
この日の街道は、バラエティ豊かな見所があり、小春日和の近場の街道歩きにはかなりお勧めだ。


