古川宿の次の荒谷宿は、千葉周作に所縁のある斗瑩稲荷神社があるが、通り過ぎる。

高清水宿では奥州善光寺に詣でる。
奥州藤原氏第二代の基衡が父清衡を弔う為に信濃善光寺を摸して建てたといわれるが、何故この地にという疑問は多い。
今の善光寺とは形も規模も似ても似付かず、信州善光寺も昔はこうだったのか。
しかし、信濃善光寺の分身「阿弥陀如来像」のお姿はたおやかだった。


高清水宿を抜けると、事前に1/25000の地図で確認してもあやふやだった、旧街道が良い状態で保存されているという場所に差し掛かる。
入り口に何の標識も無く不親切の極みだが、それらしい分岐を辿ると雰囲気のある道が現れる。
道は噂どおりの佇まいで、積み重なる枯葉が紅葉の頃はさぞやと思わせた。
この道は力石の史跡で自動車道と交差している。
参考文献では、先は廃道状態と書かれているが、先まで辿る事が可能で、しばらく行くと畦道になる。国道まで辿れそうな気配だが、時間不足で途中で切り上げた。
現道をずっと迂回して、四号線を行くと築館インター手前の右の農道の先に、旧奥州街道の碑があり、足元を刈り込まれて整備された道が奥まで続く。
道を辿った出口らしき所にも旧奥州街道の碑があり、この先は力石からの道に接続しそうだが、これも時間切れ。

道を急ぎ、築館宿の杉薬師といわれる双林寺へ何とか明るいうちに辿りつく。
姥杉、豪壮な瑠璃光殿、左甚五郎作と伝わる軽妙な鐘楼など見所が多い。



冬至も近く、日の入り4時15分。
寂しい街中では、薄暗がりでは見るべきものも無く、早々に宿へ引きこもった。