魚市場は面白そうな建物で少し前まで使われていた気配だが、今は閉鎖されており、中を見ることは出来ない。
双林寺以外殆ど観光資源の無い築館宿なので、有効な活用方法が見出せれば良いが、地震の後始末でそこまでの手がとても回らないか。
例によって、人気の無い街道風景の宮野宿。
雪景色の栗駒山を道連れとして、沢辺宿へ。
沢辺宿を抜けると、2007年3月廃線になった「くりはら田園鉄道」の廃線と駅舎がわびしく目に入る。
宮城内陸地震で亡くなった地域プランナーの麦屋さんが、この鉄道の保存活用のアドバイザーだったことを思い出す。
すぐ傍には、廃線をあざ笑うように、誰の為にか信じられない程豪華な金成町役場。
ここも官が栄えて民が衰退する象徴のような建物だ。
金成宿で、今は歴史民族資料館として活用されている旧金成小学校の姿を見てホッとする。
隣の金成ハリストス正教会も美しい。函館ハリストス正教会を設計した河村伊蔵が監督し、昔の人の志は今も生き続ける。
金成宿のそばには、奥州街道のあちこちに姿を現す金売吉次の親の炭焼藤太の墓があるが、街道から大きく外れる為に立寄りを断念。
金成宿を出ると道は、夜盗坂という怪しげな坂を登り、高速道路で大きく分断。ようやく一里塚のある旧道を見つけて有壁宿へ辿り着く。
有壁宿の見ものは旧本陣の佐藤家だが、内部改修中ということで見学できなかったのは残念。
有壁宿からは一関側へ山越えの道が旧道だが、現在は地図にも記載が無く、諦めて国道へ迂回する。
国道沿いに一関藩主の菩提寺の祥雲寺の巨大な一切経蔵などを見学して、二年ぶりの一関に辿り着く。
これでようやく、虫食い状態だった奥州街道が一本に繋がった。
流石に陽が落ちるのが早く、時間切れで毛越寺再訪が果たせなかった事に悔いを残して、明日の足掛かり八戸へ向かう。

