丹荘からすぐに、埼玉県と群馬県の境となる神流川に到達する。
街道筋に橋は無く、人も通れるようになっている八高線の鉄橋を、こわごわ渡るが、列車が来たらかなり恐ろしい。

本郷の土師神社には、日本三辻の一つの相撲辻がある。
古代この付近には埴輪製作集団の土師部が住み付いて、土師神社の祭神は野見宿禰というつながり。
付近には埴輪を焼いた窯跡もある。

木曽義仲の妻だった葵御前に由来する、小さな祠の葵八幡が畑の中に祀られている。何故ここに。

鮎川は今度こそ、橋が遥か遠くにしかなく、街道歩きで水量は少ないものの初めての徒歩渡り。
水はまだまだぬるんでいない。

稲荷山古墳、皇子塚古墳、七興山古墳と古墳が立続けに現われる。
街道筋にある藤岡歴史館で出土品の大刀が展示されていて、その細工の美しさに息を呑む。
5世紀前半から6世紀後半の時代にこれら大刀は、何処から来たのか、誰が作ったのか、古代史の謎は尽きない。



七興山古墳は桜の名所で、そのなだらかな姿とは裏腹に無惨に首を切り落とされた五百羅漢に衝撃を受ける。
何の説明版も見当たらないが、明治の廃仏毀釈の残骸だ。
文化や歴史に対する無差別で暴力的な行動も、人々の心の現われ方の一つだが、無批判で集団的な催眠状態に陥りやすいのは今も昔もこの国の形かもしれない。


さらに、脚を進めると伊勢塚古墳。
外見は変哲のなさそうな佇まいで、石室が無造作に公開されていて、模様積みという積み方で石が積まれている。
暗闇の中に、死者を弔う心配りか、石を積んだ人々の装飾への意思か、その不思議なパターンは心を奪う。


古墳巡りの旅も面白そうと思いつつ、高崎市に入る。
本殿裏側からも参拝できる、珍しい造りの山名八幡宮は色鮮やか。

終着は高崎城の乾櫓。
直ぐ隣にはレーモンドの群馬音楽センターが、47年の歴史を感じさせない新鮮さで夕陽を受けて輝いていた。


中山道と鎌倉街道が高崎でつながり、旅も終わる。