直ぐにルネッサンス様式の森林博物館。旧青森営林局庁舎。
青森市は空襲で焼き尽くされ古い建物は殆ど残っていない。
この建物は青森市にある数少ない明治時代の建物だが、よく保存されていて、明治の山林局の設計技師の心が伝えられている。
油川宿に入るとイタリア館と言われる、1923年イタリア人ジュセップ・ファブリーにより、いわしの缶詰工場として建設された洋館の一部が残っている。
イタリア人は、異国の陸奥湾で何を見たのか。


油川宿の西田酒造にある、「こみせ」と言われる、アーケード状の通路が珍しい。
その直ぐ隣に、奥州街道と桑折で分岐して日本海側を通ってくる羽州街道との合流点がある。
この道は497kmもあり、イザベラ・バードや菅江真澄も通っている。次の街道候補としてかなり気に掛かるが、脚を運ぶ事があるのかどうか自問自答。


神社の網の形の注連縄が眼を引いて、ケンゼンというらしいがその由来が不明。
あちこちにあるお地蔵さまは、雨風を凌ぐ為小さなお堂に入っていて、綺麗な衣装をまとっている。これも何故か。宿題のみが増える。



松前侯が贈った盆栽の松がそのまま大きくなったと言われる、昇竜の松。確かにそのようだ。

蓬田宿を淡々と歩き、蟹田宿で打ちどめる。
駅前には「風のまち」の案内版が立てられている。太宰治がこの地を「風のまちだね」と言ったからだとか。
碑には「はじまりは 風がめくった 一ページ」の魅力的な言葉が流麗な文字で彫られていた。

