奥州街道は三厩が終着点だが、「風の岬」の龍飛岬まで足を伸ばした。
これは、新しい旅の始まりだ。
司馬遼太郎が「街道をゆく―北のまほろば」に太宰治の「津軽」から本歌取りして、龍飛岬をこう書いている。
・・・江戸時代の千住を出発すると奥羽街道が、関東と奥洲をながながとつらぬき、ついに津軽半島にいたって松前街道と名がかわり、半島の先端の三厩村(竜飛崎)で尽きる。古街道としては、墨痕一筋というべき雄大さをもっている。・・・ 日本中の道という道の束が、やがて一すじのほそいみちになって、ここで尽きるのである。・・・
「街道を行く」全43巻の中でも、津軽の土地と奥州街道を、僅かな言葉で示しきった畢竟の名文と言える。
本歌である太宰治の「津軽」の
「ここは,本州の袋小路だ。・・・そこに於いて諸君の路は全く盡きるのである」の一文が刻まれた碑を見て、盡きた路から反転して、日本唯一の階段国道を上り詰めると、風の岬の名前に相応しい強風が迎えてくれる。



龍飛崎は龍が飛ぶかの如く、1年中強い風が吹いている事から名付けられたとも言われるが、まさにその通り。
チベットには空中歩行が出来る「風の行者」と言う修行僧がいて、矢の様に早く歩きながらも、無意識的に周辺の全てを捉え、そこに新しい意識状態が形成され、ひいては、世界についての考え方が変わる修行をしていると言う。
風の行者の域に辿り着けないが、また新しい旅を始め、歩くことを通じて、何時までも爽やかな風を感じていたいものだと、風の岬で海峡の潮の流れを見つめつつ思いを込めた。
