その途中の若柴の金竜寺。一見変哲もない寺だが新田義貞の墓があるというので立ち寄った。
残念ながら、それらしいものは見つからず、後になって堂の裏手にひっそりと佇んでいたことを知る。
寺にも何の案内もなく、それも一つの見識だが、歴史上の有名人への扱いとしてはやや疑問。
この寺の昔の住職智雲が食後寝る習慣があって牛になり、恥じて沼に沈み、その沼が牛喰沼さらには牛久沼、というあまり有難くない由来もあるので遠慮しているのか。
牛久宿は小川芋銭の河童でも有名だが記念館はパスして、昔は牛久シャトーと言われた、シャトーカミヤに足を伸ばす。
シャトーカミヤの記事は→こちら。


名前の由来が不思議な荒川沖宿では、屋根の曲線が美しい藁葺きの民家が残っている。中村宿を過ぎその名もゆかしい桜川を渡ると土浦宿。
彼方には筑波山も迎えてくれる。
つくばねの峰よりおつるみなの川 こひぞつもりて淵となりける


枡形が多い土浦宿では、中城町付近に古い建物が集積している。
その活用も町おこしの一環に見受けられるが、かなり力不足だ。
平城で且水城の特徴を持つ土浦城を、思いのほか小規模な感を抱きつつ見物して、土浦を後にした。


