日本橋から水戸までの117kmで昔は二泊三日だが、梅雨、夏の暑さ、冬の寒さと季節は巡り、今年の歩き納めで無事終了。
この日は、小幡宿の奥の谷に戻って歩き継ぐ。
小鶴の佐久間米店の庇下の社殿風飾りと、亀甲の漆喰模様が面白い。
長岡宿の修復されたらしい、茅葺屋根が美しい脇本陣木村家住宅は、残念ながら立ち入り出来ず。


水戸市内に入るとその名も一里塚という地名の所に、一里塚が保存されている。
土地の人の話では、水戸から数えて一里目の一里塚、昔は二里塚、三里塚という地名もあったと言っていたがどうだろうか。
桓武天皇の勅願が由来の薬王院本堂は、室町期の建物としては関東瑞一とか。
堂々とした屋根は小気味が良い。


町中の備前掘の銷魂橋の袂に、江戸街道起点の碑がある。
本当は本四丁目にある、陸前浜街道起点の碑の場所が水戸街道の終点とも。
どちらの碑も水戸街道という言葉を使っていない。
明治以降は東京から奥州街道の岩沼宿までを陸前浜街道と言ったので、真新しく造られた陸前浜街道起点の碑は、東京までの水戸街道のことを指しているのか、それとも岩城相馬街道とも言われる水戸以北の部分を指しているのか意味不明。
何れにせよ岩沼宿は奥州街道で通過しているので、この街道も食指が動き、また何時の日か足を踏み入れそうだ。


水戸宿は、空襲に遭って古いものが何一つ残っていなかったのは残念だが、春は桜が美しそうなその名も桜川沿いに水戸駅に出て、黄門様、助さん格さんの像を見て水戸に別れを告げた。

