八王子は古来桑都といわれ、絹織物産業が盛んだった。
開国の頃、街道の村の鑓水に生糸の商いをする鑓水商人といわれる人々が現われ、開港された横浜港に生糸を運び財をなした。
新年に相応しく、1996年文化庁「歴史の道百選」に選ばれて、絹の道という美称も持っている浜街道を歩いて見た。
八王子八日町の、懐かしい甲州街道と16号線の交差点がスタート地点。
西行も苦笑しながら、桑都商事も頑張っている。
浅川を渡れば富士の影清く 桑の都に青嵐吹く (西行)


分譲住宅地を抜けて鑓水峠入口へ。昔の道は跡形も無く急な階段が迎えてくれる。

登り切ると、高尾から奥多摩の山並が目を楽しませ、絹の道の碑の奥には鑓水商人が作った道了堂跡がひっそりと残っている。



山道の核心部は1KM弱だが、木漏れ日の中を枯葉の音が心地よく、下りきると鑓水商人八木下要右衛門の屋敷跡に絹の道資料館が建っている。
畑の、どんと焼きの準備も愉しげだ。


都の有形文化財の小泉家屋敷は、茅葺屋根が懐かしい。
まだ実際に住まわれているが、玄関に架かっている、府中の大国魂神社の烏団扇が何となくユーモラス。


この付近に鑓水板木という地名があり、板木は「伊丹木」に由来し、これはアイヌ語の「きれいな清水が湧き出る所」の意で、この付近にはアイヌが住んでいたと思われる、との説明版があった。
南東北まではよく聞く話だが、東京にもとは予想外。
街道は、多摩ニュータウンの南大沢の一角に入る。完全に造成されて跡形も無いが、しかし、街道の痕跡を残そうという開発事業者の気持が見える。


町田街道の脇に、ストーンサークルの田端遺跡がある。
付近で発見された4500年から2800年前の、縄文中期から後期にかけた遺跡の一つ。
この場所からは南西に富士と丹沢を望み、冬至には丹沢主峰の蛭ヶ岳山頂に夕陽が落ちる。
縄文人の祭祀が行われた場所で、本物は盛土保存され、今は復元されたものを見る事が出来る。
復元物とはいえ、その不思議な造形や線状の刻印に思わず襟を正す。



これも何故ここに木曽か、という地名の木曽町で奥州古道と交差し、奥州古道側に木曽一里塚がある。
徳川家康の遺骸を久能山から日光に改葬するにあたり、大久保長安によって造られたものとか。
鎌倉街道上道を歩いた時に、奥州古道とは小野路でも交差し、そこにも小野路一里塚があった。
家康は死しても、一里塚を作らせたわけだ。

縄文から現代まで、予想外に歴史綾なす浜街道、とっぷりと日も暮れて、町田駅前の絹の道の碑を見て終わる。

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