2010年08月14日

中山道・倉賀野宿−日光例幣使道との追分

中山道には幾つかの目ぼしい追分があるが、これは日光例幣使道との追分。
写真の左側が例幣使道、右側が中山道。

20070515倉賀野追分s-.jpg  20070515倉賀野追分常夜灯s-.jpg


日光東照宮は初め東照社と呼ばれていたが、正保2年(1645)朝廷から宮号を賜り、東照宮と改称され、このことを伝えるため勅使が京都から日光へ派遣された。
以後これに習い、家康の命日の祭礼に「金の幣」を奉じる為に、例幣使が京都の朝廷から毎年一回明治維新まで221年間途切れる事無く続いた。

京を立ってから草津で中山道を経由して、倉賀野で日光例幣使道に入り日光の鉢石宿までを十四泊十五日で行う旅だった。

例幣使は街道で暴虐の限りを尽くしたといわれるが、街道ものをよく手がけていた平岩弓枝の「はやぶさ新八御用旅・日光例幣使道の殺人」などはその辺の事情がよく表されていて面白い。

倉賀野宿の追分には文化10年(1814)建立の立派な常夜灯があり、側面には寄進者として相撲の雷電為衛門、歌舞伎の団十郎の名も彫られている。
なお雷電は善光寺街道の牧家に生まれ、そこには佐久間象山による顕彰碑が建っていた。
何故か街道に縁のある相撲取りだ。

20070515倉賀野追分常夜灯s-.jpg  20070515倉賀野追分常夜灯名前s-.jpg


posted by 遊戯人 at 18:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 追分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今年に入ってから、どういうわけかこの偉業を成し遂げたお相撲さん「雷電」の名前をよく見かけるようになりました。
きっと今までも見ていたのでしょうが、意識の外だったのかもしれません。
先日も赤坂を歩く機会があり、またもや「雷電」の名を。
そういえば「報土寺」は雷電の墓所のあるお寺なのでしたね。
Posted by Rie at 2010年08月14日 20:00
氷川神社あたりまでは行きましたが、報土寺は知らなかったので、課題が一つ増えました。

倉賀野の常夜灯はよく見ると柏戸利助の名前も刻まれていて、この相撲取りは谷風、雷電に次ぐ成績を収めた大関だったと言うことです。

常夜灯一つでも色々語ってくれますね。
Posted by 遊戯人 at 2010年08月14日 22:43
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