木戸宿は建設省が選んだ24箇所の歴史国道の一つという事で、楽しみにしていたが期待外れ。
国交省の四国道整備事業とは「・・・本事業は、歴史上、広域的な道路として利用され、国として特に重要な歴史的・文化的価値を有する道路について、その整備保存、復元及び活用を図るものです」
と示されており、尤もな選定基準も幾つかあるようだが、他の宿場と比べて何故木戸宿が、感は否めない。
若干の古い建物が残り、用水路もあるにはあるのだが。
あまり見かけた事の無いピンクの彼岸花が、道端を飾る。



季節は巡って、豊葦原の瑞穂の国。街道沿いには稲掛けも稀に見受けられる。


稲の実りを見る以外はあまり史跡や、見所もなく、そういう時は一里塚が目標物だが、井出一里塚、清水一里塚と現道と離れていたり、生繁る草に足元を阻まれたりした為に諦めた。

富岡宿はこの地方の中心的な町だが、ご多分に漏れず人気の無い町並みで、悲しくなるくらい衰退する地方都市の典型だ。
町を抜けてしばらく行くと松並木も少し残存し、さらに今度は現道に面して江戸から66番目の新田町一里塚が残っていて、少し街道らしい雰囲気を見ることが出来る。



富岡宿を抜けると夜ノ森という珍しい地名があり、気に掛かった。
そのあたり一帯を岩城氏と相馬氏が領有権を争って「余(=我)の森」を主張し、その境界線となったことに由来するとか。
街道も岩城氏の領土から相馬氏の領土に入ったわけだ。
更に進むと熊川宿。6号線に面しているが、往時の建物がかなり残っている。
6号線の250kmの標識を越え、大野駅でこの日を終えた。実りの秋の稲穂を見る旅だった。

