今回は、上北沢付近から、大宮八幡を抜けて練馬城へ北上、更に赤塚城への経路を歩いて見た。
上北沢付近の甲州街道に、鎌倉街道入口の交通標識がある。
道筋が鎌倉街道と認識されているのは、少し嬉しい。
直ぐに真新しい庚申堂があり、中の庚申塔、馬頭観音が街道の面影を伝えている。


神田川の横にある塚山公園には縄文時代の復元住居があり、川に掛かる橋は鎌倉橋の名称と鎌倉街道の碑も設置されている。



西永福駅を越えると人見街道の終着点だった大宮八幡で、最後の七五三に公孫樹の黄葉が彩りを添える。
松ノ木遺跡では、こんどは時代が新しい古墳時代の復元住居。
この辺は遺跡のメッカ。


阿佐ヶ谷の、スズラン通りとパールセンターというアーケード街が鎌倉街道。
今はアーケードを撤去している商店街が多いが、1999年に竣工したここはまだ元気なようだった。


鷺宮の地名の由来となった、鷺宮八幡。この辺は白鷺と言うような美称の地名もあって名前はゆかしい。
「日本で最初の交通の地蔵尊」と碑に刻まれている地蔵尊が妙正寺川の横にあり、昭和12年建立。
この頃から交通事故を悼む人が増えたのか。


いかにも古道らしい雰囲気の残る道を辿ると、いきなり豊島園の入り口に出る。
豊島園は昔の練馬城だが、勿論遺跡は殆ど残存しない。


街道から少し外れて白山神社の大欅を見に行く。
都内最大の欅のといわれ国の天然記念物だが、指定された1940年から時が過ぎ、樹勢は無惨に衰えて痛々しい。
この程度のものは、地方に行くと幾らでも見られるので、どういう理由で国の天然記念物なのかもかなり疑問。
それでも、樹齢800年と言われる樹の存在感は残存する。

光が丘の団地で道を見失うが、地下鉄赤塚駅の横に鎌倉古道の碑が設置されている。
何の説明も無いが、練馬の教育委員会が設置したものか。同じ像が赤塚中央通りにも見受けられ、騎乗の武者は誰かが気に掛かる。
脚を伸ばして、日本で三番目の大きさを誇るという東京大仏で有名な乗蓮寺に行く。残念ながら拝観は4時までで、大仏を遠望するだけ。
千葉自胤が築城した赤塚城も遺構は見受けられないが、夕暮れの中子供達が楽しげに遊ぶ場所に生まれ変わり、豊島園には負けてしまうが城跡も本望だろう。



更に辿れば、荒川の早瀬の渡しに行き着くが、日もとっぷりと暮れたので初冬の街道を終えた。
都内の鎌倉街道も奥が深い。
阿佐ヶ谷のアーケードが鎌倉街道とは初めて知りました。ありがとうございます?
鎌倉街道中道も、都内には三筋ほどあるようです。
阿佐ヶ谷のアーケードのように、意外なところが旧道だと知ることも、街道歩きの楽しみの一つですね。