どこもそうだがJRを外れると街道歩きの不便さは尋常ではなく、一日たった一便しか出ていない町営バスで寄居本郷へ。
のどかな道を歩くとすぐに関八州と奥州を分ける峠に差し掛かり、栃木側と福島側にそれぞれ境明神がある。ここを過ぎると本当の奥州路。
能因法師の歌でも有名な白河の関は、ここからは離れているが今は公園風に整備されてしまって風情はないとか。
すぐに白坂宿となり、そこを抜け一般庶民に開放した日本最古の公園といわれている、藩主松平定信が作庭の南湖公園に寄り道。
灌漑用水は分かるが、藩士の水練場も目的と言う豪気さで、200年を経ても風雅は失っていない。
終着点白河宿では戊辰戦争の爪あとが深い。
小峰城も落城焼失したが、現在は再建されその美しいプロポーションを示している。
宿中に小原庄助のものといわれる徳利を擬した墓があり、戒名米汁呑了信士。
辞世:朝によし昼になほよし晩によし 飯前飯後その間もよし
奥州街道は官制の街道としては白河で終わるが、広義の街道はその先は延々と津軽半島の三厩まで続く。
とりあえずは途上の中山道に戻り、これはまた何時の日かの宿題。
小原庄助に習い、旅後なほよし と一献傾けた。