阿豆佐味天神社の手水鉢は、唐子が担いでおり珍しい。名工飯島吉六の作と。
この神社はここに祈願すれば、迷い猫が帰ってくるというで「猫返し神社」としても有名らしい。
不思議な社名だが、梓弓などの由来とか諸説あり特定されていないようだ。


大山街道の碑が草に埋もれてある。
砂川村の名主だった砂川家の屋敷は街道に面した屋敷林の欅や、前庭の刈込みは見たことの無いような立派さだ。門の前には砂川分水すら引き込まれている。
明らかに自分のためというよりも、それを目にする人のためにも維持管理されている。



再び玉川上水を渡り、殿ヶ谷新田あたりで電線の障害物扱いされ、惨めに刈り込まれた欅並木に遭遇する。
さらに行くと、横田基地に突き当たり大きく迂回させられる。青梅街道を歩いた時も迂回させられ、街道歩きの障害物。
この基地は年明け早々にフロストバイトというマラソンが行われ、アメリカンな雰囲気で走り初めにする人が多く、何度か行ったものだった。
全くアバウトな距離表示と、お楽しみの参加賞のトレーナーが懐かしい。


福生市民会館前庭にある道しるべ。
「右江戸 左きよと」と彫られているが、何の説明もなく打ち捨てられている。
多摩川に近づき、河川敷の公園に石濱渡津跡の碑がある。横には牛浜の渡の標識。
牛浜の渡は、五日市街道の渡だが、石浜は太平記に出てくる古戦場でそれが牛浜ではないかという事らしい。


多摩川を渡り二宮宿に入るが、宿場の面影はない。
あきる野市の庁舎が無意味に豪華なのは、地方行政のいつものことだが空しさが募る。
あきる野市は秋川市と五日市町の合併で出来、市名は秋川市の主張する秋留と,五日市町が主張する阿伎留で決着がつかず平仮名の名前になったと言う馬鹿馬鹿しい経緯を持つ。
坂のかなたに、奥多摩の山々が見えてくる。
道を外れて秋川のほうへ下り、サマーランドの隣の六枚屏風岩をみる。



武蔵五日市駅で打ち止めとしたが、街道は更に秋川沿いに檜原街道を名前を変えて続く。
この辺は街道よりも山登りで楽しみたい領域で、山岳レースの長谷川恒の下見で走った懐かしい山々を思いだす。
昔を振り返る事も多かった街道だった。

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