官制の奥州街道は白河までの190km、その先青森の三厩までは更に590kmとか。東海道が492kmだからそれに余りある。
最終地は津軽海峡を渡っての松前。
「白河以北 一やま百文」といわれていたが、今はどうか?
ついに踏み出してしまった禁断の奥州街道白河以北。
足の便も悪く何年かかるか分からないが、季節季節に歩きたい。
今日の行程、南会津は戊辰戦争の傷跡が深く、宿場は殆どが戦火で焼失し味わい深さは見当たらない。
しかし、田園は刈入れ前の稲穂の輝きが美しい。
根田宿では娘道成寺で有名な安珍・清姫の安珍の墓が木立の中に埋もれていおり、さすがに恨みで焼き殺した清姫も、これでは不憫と思いそう。
踏瀬宿では福島随一といわれる明治時代の松並木が良く保存されている。
元はおよそ200年前、白河藩主の名君松平定信が植えたものの。
根田宿、小田川宿、太田川宿、踏瀬宿、大和久宿、新田宿、矢吹宿、久来石宿と歩き継ぎ、笠石宿で禁断の旅の初日を終える。
鬼が住むか蛇が住むか、陸奥の街道は官制から外れるため、宿場の規模も小さく歴史の題材も侘しい。これからの旅に期待したい。