2011年11月15日

品川道・筏道(その1:府中〜二子玉川)

品川道・筏道は府中の国府から、品川へ至る古道で「品川道」の名称は大國魂神社の祭礼に使う清めの水を品川の海から運んだ事によるといわれている。
この祭礼は暗闇祭りで、今も品川の海で水を汲む行事は「品川海上禊祓式」として受け継がれている。

筏道の名称は、近世多摩川の筏乗りが、多摩川上流から材木を運びその帰りに使ったという事から名づけられており、帰りには、長い竿を担いで戻ったということだ。

古来から府中といわれていながら、武蔵国府跡が特定されたのは比較的最近で昭和50年以降の発掘調査により、大國魂神社とその付近が跡とされている。
現在は国衙部分が史跡となっており公開されている。
まず、ここを見てから大國魂神社へ。

大國魂神社は起原が西暦111年といっているので、国府の設置よりもはるかに古いことになり、この辺はどうだろうか。

随神門が新築されていて白木が美しいが、以前はどのような門だったのか記憶がない。
11月は酉の市が行われているため、周りも何となく賑々しい。

20111115国衙跡s-.jpg  20111115随神門s-.jpg


京所道という道を歩き始める。
京所道は”きょうづみち”と読み、国府の写経場があった経所(きょうしょ)の名残という。

府中競馬場を過ぎると、八幡道といわれる武蔵国府八幡宮への道になる。八幡宮は「一国一社の八幡宮」だが、小ぶりで広い境内の中にひっそりと佇んでいる。

20111115京所道s-.jpg  20111115武蔵国八幡宮s-.jpg


京王線をわたると「品川街道」と表示されたの標識が現れ、すぐに常久一里塚跡。
案内板に古地図が掲載され、「古道但し品川海道」と記載されている。
さらに説明には「この常久一里塚跡は、江戸初期に整備された甲州街道の日本橋から七里のところに設けられた一里塚の跡と伝えられているものである」とあって、かなり混乱する。
この説明だと、品川道は旧甲州街道と同じものということになるが、旧甲州街道は一筋北のルートを通っていて、整合しない。
五街道の整備以前に既に一里塚はあったので、多分府中市の説明は誤解に基づくものだろう。

20111116品川街道標識s-.jpg  20111115常久一里塚s-.jpg  20111115説明板s-.jpg


府中第四小学校の敷地の角に東品川道、西府中道、北車返村と刻まれた庚申塔がある。
「車返」という地名が珍しいが、頼朝の奥州征伐のときの藤原秀衡の持仏の移動時のお告げによって乗せていた車を返した事に由来するというから侮れない。

20111115庚申塔s-.jpg


調布市に入ると道路標識が「旧品川みち」に変わる。
調布の地名自体が租庸調の調として苧麻などを原料として織った布を生産したとこから由来し、この辺は飛田給という地名もあり、これも悲田院の給田の「ひでん」が飛田と変わって、更に読みが「とびた」となったという説がある。
いずれにせよ、曰くのある地名が続いている。

20111115旧品川みち標識s-.jpg


旧道と新道の分岐もいかにも旧街道で、なぜか楽しい。

伊豆美神社に寄り道する。伊豆美は付近の地名の和泉の美称という。
狛江市の石造鳥居では一番古いという珍しい背の低い鳥居があり、領主の一族の石ヶ谷貞清が、由井正雪・丸橋忠弥らを討伐した奉斎として寄進したものという。丸橋忠弥の墓は鎌倉街道沿いの都内の金乗院で見た事を思い出した。

29111115街道分岐s-.jpg  20111115伊豆美神社鳥居s-.jpg


狛江市では道路標識は更に「品川道」に変わる。
世田谷区に入ると、今度は史跡などでの表記はまたまた「いかだ通」に変貌する。
夫々の自治体の見識があるのだろうが、他と変えたいという、狭い了見ばかりが鼻に付く。

20111115品川道標識s-.jpg


世田谷通りを越えると、文政4年に女念仏講中によって建てられたという珍しい念仏車がある。車には「南無阿弥陀仏」と彫られていた。

20111115念仏車s-.jpg


砧南小学校の前に不思議な道標があった。
真新しい碑に「みきハ京ミち ひ多りハふしミみち」と彫られている。
何の解説版もなく、何故ここにこのような碑があるのか全く不明。

日も暮れて二子玉川へ急ぎ、以前大山街道を歩いた時に「筏道」と記された碑があったこと思い出し探したがこれも闇にまぎれて不明。

煌々と明るい二子玉川のライズで一気に現代に戻り、トリビアなことで興味が湧いた今日の街道を終えた。

砧南小学校前碑s-.jpg  二子玉川ライズs-.jpg


ところで、この街道は、荻窪圭という方が書いた「東京古道散歩」という本を参考にして歩いていた。
念仏車の先の喜多見付近で道迷いし、本を片手に通りすがりの人に道を聞いていると、「その本は私が書きました」といって、ビアンキに乗った荻窪圭ご本人が忽然と現れたのには驚いた。

立ち話をして、街道と同時にT系も堪能ということも知ったが、「古地図と巡る東京歴史探訪」という本も書かれているということで早速購入。
笑顔の素晴らしい方で、きっとまた面白い視点の街道の本を出してくれるのではないかと期待している。


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 品川道・筏道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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