2006年10月18日

一年ぶりの中山道(その2:中津川宿〜細久手宿)

二日目は、天気予報が見事に外れて一日中雨。
この日は”十三峠におまけが七つ”と言われている難所の山の中、中津川宿、大井宿、大湫宿、細久手宿を歩く。

宿場は少ないものの距離は30km、雨降りしきる石畳の歩きにくい道は、なかなか辛いものがあった。

中津川宿の庄屋屋敷は塗込で卯建の立派な造り。
街道にある今井屋は栗きんとんで有名だが、朝早くて味わえ無かったのは残念。

20061011中津川庄屋屋敷s-.jpg


雨の中、四季桜の薄墨色が目を慰める。

20061011四季桜s-.jpg


大井宿に入ると、立派な本陣や庄屋のひし屋などが残っている。

20061011ひし屋s-.jpg


大井宿を過ぎるといよいよ三里半続く十三峠。
五街道の整備を行った大久保長安が、西からの軍勢の防御のため、わざわざきつい峠道を街道にしたといわれている。

上り始めてすぐ、伝西行塚がある。
西行の墓は河内の弘川寺だが、他にも日本各所に伝説的に存在し、ここもその一つ。

「伝」西行塚と示してあるだけ控えめだが、桜に生き、桜に死したような西行には相応しい場とは思えない。

20061011西行塚s-.jpg


山中で、NHK-BSで放映している「街道てくてく旅」の勅使川原郁恵さんたちとも遭遇。
数分会話を交わして、エールを送る。
スケジュールが決まっているので、一日一宿とはいえ、雨が降ろうが槍が降ろうが歩き続けるのはご苦労様。

大湫宿手前、あまりの急坂に大名行列も乱れ、旅人の息も乱れ、女性の着物の裾も乱れたのが由来、と言う乱れ坂を抜けると乱れ橋。

20061011乱れ橋s-.jpg


中山道は東海道に対する姫街道であり、特に降嫁した皇女和宮にちなんだ史跡が多い。

十三峠を抜けた大湫宿には「遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり」の御歌の碑。

20061011和宮歌碑s-.jpg


大湫宿を過ぎると再び山中へ。ここは現存する古い石畳が日本一長いという琵琶坂へ。

20061011琵琶坂s-.jpg


琵琶峠には京都に後ろ髪引かれる、皇女和宮御歌
「住み馴れし 都路出でて けふいくひ いそぐもつらき 東路のたび」の碑など。

雨の中、日暮れ前ようやく細久手宿へ到着。

宿は大黒屋。
細久手宿唯一残った旧家で、元の尾張本陣、今は旅館を営んでいる。
中津川宿から御嵩宿までの間は交通不便で、大黒屋は今や中山道を歩く旅人の必須の宿となっている。

20061011大黒屋s-.jpg

他に誰一人宿泊者のいなかった当日、次の間付きの座敷を独り占めし、TVもない長い夜を静かに過ごす。


posted by 遊戯人 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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