2011年11月12日

三国街道(その1:高崎宿〜渋川宿)

中山道を歩いた時、鎌倉街道上道を歩いた時に夫々立ち寄った高崎の城址公園の櫓に挨拶し、暫くは中山道を歩く。
繁華街の駐車場に中山道絵巻の看板が設置されている。
ここは2002年4月に歩いており、看板は同じ年の3月に設置されているので見ている筈だが記憶にない。思えば遠くに来たものだ。

20111212高崎城櫓s-.jpg  20111212中山道看板s-.jpg


中山道との追分の本町一丁目には中山道高崎宿の貧弱な標識があるが、三国街道はさらに冷遇され見当たらない。
県道表示も渋川街道となっており、信越本線の踏切でようやく三国街道踏切の表示に出会うことができる。

20111212高崎宿標識s-.jpg  20111212渋川街道標識s-.jpg  20111212三国街道踏切s-.jpg


飯塚町から旧道に入り、下小島町の先に「右越後」と刻まれた立派な道標があり、ようやく旧街道らしくなる。

20111212三国街道碑s-.jpg


豪壮な畔見邸、立派な三ッ寺公園、群馬町中央公民館にある県内最古と言う三国街道標識など確認しながら歩く。

21111212畔見邸s-.jpg  20111212三ッ寺公園s-.jpg  20111212県内最古三国街道道標s-.jpg  


高崎宿から最初の宿場の金古宿に入ると、道は再び県道25号線となるが、道の左右には昔の養蚕農家と思われる旧家が散在する。
代官所だった神保家は荒廃しているが、まだ人が住んでいるようだった。栄枯盛衰世の習い。

20111212神保家s-.jpg  20111212金古宿旧家s-.jpg 


清野町に入ると道の東側の住居は道に面して土蔵が多いが、榛名山からの西風を防ぐためにそういう配置となっているという。

20111212金古宿蔵s-.jpg


再び旧道は県道を外れ野田宿に入るが、これは伊香保街道の宿場。
伊香保街道との交差点には、東を向いて比較的新しい感じの双体道祖神があるが、意外にも安永2年のもの。
多分道の拡幅で移設されたものだろう。この辺は双体道祖神が多い。

吉岡町付近では左に榛名、右に赤城と二つの山塊が目を楽しませる。この景観は今も昔もこれからも変わらない。

20111212双体道祖神s-.jpg  20111212榛名山s-.jpg  20111212赤城山s-.jpg


三国街道で始めて眼にする、野田の一里塚は二代目。

20111212野田の一里塚s-.jpg


見事な防風垣のある立派な旧家を過ぎて、馬頭峠で四頭の馬が守っている珍しい馬頭観音を見る。江戸時代に篤志家が寄贈したと。
ここからは日の入る前の残照の赤城を眺めながら、利根川の河岸段丘を下って渋川駅は一息だった。

20111212旧家s-.jpg  20111212馬頭観音s-.jpg  20111212赤城夕時s-.jpg


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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