中原街道や、田村道と交錯するのも中原豊田道と同じで、兄弟ルートともいえるが、地方からの舟便を利用した人向けの参詣ルートといえる。
須賀湊の外は馬入川で、河口直ぐに太平洋の景観が広々と。
舟を下りると直ぐに大山の姿が見えて、古の旅人も心が弾んだろう。
今は平塚漁港が設けられており、近所の魚屋には活きのよい地物の魚が売られているが、これからの旅の時間を考えると持ち帰れないのが残念。



札の辻から、平塚駅までは直線的に他の道と45度の方向に交差する道筋となっており、昔からそうだったようで、その理由は不明。

真新しく立派な長楽寺で四臂青面金剛の庚申塔を見る。ニ猿を従えており神奈川県内に6体しかないと言う珍しいもの。
少し先の三嶋神社は大山祇命・事代主命が祭神で事代主命はえびす様。本殿の前に大きな像がある。
ここも戦災で消失し、木材の入手が困難な折に大山から苦心の末に調達して仮社殿を建てたと言う碑があった。


平塚駅を越えて、駅前交差点には一等地の道の両側二区画を同じデザインの東横インが占拠していて、残念な景観だ。

直ぐに平塚八幡宮に突き当たる。
ここはHPではトップページに「相模國一國一社の神社」を標榜しているが、奇異な感もする。
「一国一社の八幡宮」ではあるが、相模の国の一宮は言わずと知れた寒川神社と鶴岡八幡の筈。この辺の事はよくわからない。
五月五日がここの相模国府祭で、僅かのところで見逃すことになる。

あまり見所もなく淡々と歩いて、気掛かりな地名の真土でお馴染みの中原街道と交差する。
真土神社の参道を中原街道が横切っており、立派な碑が建っている。7年前にさらりと中原街道を歩いたの時もあったに違いないのだが。
真土神社の鐘楼に珍しい四神の蛙股があり、”西の白虎は女性に子宮と安産を授けて夫婦円満を導く、(この白虎はおなかが大きい)”との説明がある。
女性に子宮と安産と言うのは、子宝と安産の間違いだろう。確かにおなかが大きいが、どの白虎もそうなのだろうか。



横内で新幹線を過ぎると、大山の景観が開ける。

明後日が端午の節句なのに、この街道で一つも見かけなかった鯉幟。ようやく元気にはためく姿を見てほっとする。
少子高齢化の日本とはいえ、北関東の街道ではあちらこちらで見かけたが、南関東はすこし風習が違うのかもしれない。

歌川を源氏橋を渡ると、前面に大山が広がる畑の中の気持ちの良い道筋となる。
そばに「あやめの里」があるので立ち寄ってみた。
あやめと言いながら実際は花菖蒲を植えており、6月にあやめ祭りが開かれて賑わうようだ。
ここは減反政策の一つとして、昭和60年から米作を止める替わりに花菖蒲を植えて観光農業をしている。
まだ菖蒲には早いが、手入れをしていている方に話を伺うと、手入れをする人も高齢化して、放棄している部分も出始めており、市の助成も減って毎年の2週間のあやめ祭りが今年から1週間に縮小されたとの事。
ほんの一筋向こうが渋田川だが、渋田川の芝桜も話のついでに出て、やはり最近は手入れもお座なりになり貧相になってしまったという事だった。
あやめ園から見える大山は、人さまの事情に関係なく素晴らしかったのだが。

道筋は渋田川に突き当たり、道標が建っている。ここが先日歩いた中原豊田道との合流点になる。

あれもこれも、五月晴れのなかの日本の姿と思いながら、先日と同じに、愛甲石田駅まで歩いて旅を終えた。