2013年08月14日

初期中山道

現在の旧中山道は、下諏訪宿から木曽に出るには塩尻峠を越えて塩尻宿を経由するが、中山道開設時にはそのルートより南側の、小野峠(三沢峠)、小野宿、牛首峠を通る道筋が中山道となっており、1601年から1613年までの間利用された。
これを通称初期中山道と言っており、下諏訪から木曽桜沢まで全長20数キロで気軽に歩くには手頃な距離なので辿ってみた。

本筋は下諏訪宿の追分からだが、少し省略して岡谷からスタート。
ここには金唐紙などで有名な重文の旧林家住宅があるので、それを見学してから街道へ。

街道は県道の一筋上を辿るが、あちこちに石造物が多く、程なく江戸より五十七里の三沢一里塚。
桜沢までに4つの一里塚がある。

20130807林家住宅s-.jpg  20130807御嶽社横石造物群s-.jpg  20130807三沢一里塚s-.jpg


小野峠へまず結構急な坂を上るが、振り返ると富士が見える。
塩尻峠へのルートは、峠へ上り詰めるまでは諏訪湖、八ヶ岳、南アルプスそして勿論富士も見え、上り詰めたら西に北アルプスの眺望も楽しめるのだが、こちらの初期中山道は景観の楽しみは殆ど無い。
塩尻峠は標高1055m、小野峠は標高1075mなので僅かに高い。

20130807富士遠望s-.jpg


林道の分岐に、万治の大仏に似ているという石がある。要所要所には初期中山道の案内標識が設置されて心強い。
真新しい堰のところで舗装路は消滅し、その先は踏み跡の殆ど無い荒れた草藪の道になる。肝心のこの部分には標識が無く、正しい道かどうかとかなり疑心暗義。

20130807宿返しの石s-.jpg  20130807草藪道s-.jpg


程なく切通しの小野峠(三沢峠)に着くが、中部北陸自然歩道の標識があるだけで肝心の峠の掲示が見当たらず、注意しないと通り過ぎてしまう。
街道と直交するこの中部北陸自然歩道を少し上ると、三郷の辻があり、ここに夫々の村の方向を向いて建てられている三つの小さな石祠がある。
峠からほんの少し下ると塩嶺王城パークラインに出て、初期中山道の案内看板と旧中山道小野峠の碑がある。さらに下ると入会地の分割を記しているという楡沢の割石。風化していて読めない。

20130807小野峠s-.jpg  20130807三郷の辻s-.jpg  20130807楡沢の割石s-.jpg


天然記念物のシダレグリ自生地があり、白骨化した樹形が緑の中で一際印象的だ。
周辺はしだれ栗森林公園となっており、色々な施設が散在している。
くぼみの水が絶えると雨が降ると言われる、日本武尊縁の沓掛石が道端にある。
快晴だったが、水が溜まっていた。

五十八里目の楡沢の一里塚は両塚が残っており、本来の道筋を見ることが出来る。

20130807シダレ栗自生地s-.jpg  20130807沓掛石s-.jpg  20130807楡沢の一里塚s-.jpg


単に石が基壇上になっているだけの、珍しい様式の富士塚がある。
登ってみても、勿論富士は見えないが、方向は合っているのだろう。

20130807富士塚s-.jpg


小野宿に入ると本棟造りの町並みとなり、立派なスズメおどしのある県宝指定の旧小野家住宅や、現役の小野酒造店などの豪壮な家が残っている。旧小野家住宅は年に数回は内部公開されているようだった。
小野宿は塩の道の一つの伊那街道の宿場でもあるので、今度は南北方向の街道も気掛かりだ。
南塩終点の地の真新しい碑があった。

20130807小野家住宅s-.jpg  20130807小野酒造s-.jpg  20130807南塩終点の碑s-.jpg


小野宿を横切ると、牛首峠への緩やかに上る長寛な道になる。田畑はイノシシの被害がひどいらしく、高圧電流を流しているところが多かった。
五十九里目の飯沼塚原の一里塚跡の碑が畑の際に建っている。
石造物も相変わらず多く、石祠型の珍しい庚申石祠がある。

20130807長寛な道s-.jpg  20130807飯沼塚原一里塚跡s-.jpg  20130807庚申石祠s-.jpg


道筋に屋号入りの蔵が多いが、屋号を妻壁のセンターに、何故か窓をセンターから外すのがこの辺の流儀らしい。

20130807蔵s-.jpg


飯沼集落を過ぎて牛首峠への峠道から振り返ると、夏草の中に遥かに富士が見える。
峠手前に前山の一里塚、牛首峠の名前の謂れの牛首塚がある。
峠には、中部北陸自然歩道のそっけない標識があった。

20130807富士遠望s-.jpg  20130807牛首塚s-.jpg  20130807前山の一里塚s-.jpg


峠を過ぎると、沢沿いに林道をひたすら下り、桜沢で木曽側の中山道と合流し、終着点の日出塩駅へ。
日出塩駅前を通っている中山道は丁度10年前に歩いているが、勿論記憶から綺麗に消え去っている。
駅前に勿論何も無く、打ち上げビールは御預けに。

20130807牛首峠からの下りs-.jpg  20130807日出塩駅s-.jpg


ところで、中山道は開設者の大久保長安が亡くなった翌年1614年に、初期中山道から塩尻峠のルートに変わったが、その理由として説明看板などでは二つの峠越えで、谷川沿いの難路であったからと記されている。
しかし、そればかりではなさそうだ。
難路が理由なら、1696年に標高1522mの地点を通る木曽谷と伊那谷を結ぶ権兵衛街道が、開削された事などの説明が難しい。
こういうものは、物資の運搬の容易さなどもさることながら、結構ルートからの眺望なども大きな要素ではないか。
塩尻ルートは諏訪湖が眼下に見え、塩尻峠では八ヶ岳、富士、さらに北アルプスの闊達な景色が楽しめるが、初期中山道は、眺望が開ける所は殆どない。
風景も打上げビールと同様に、街道の楽しみの大きな要素なのは今も昔も変らない。

来年は中山道の街道ルート変更400周年と言う事で、関係市町村の下諏訪、岡谷、塩尻で合同で記念事業が計画されているようだ。
旧中山道と初期中山道のどちらがメインなのか分らないが、歩き終わって初期中山道にもスポットが当たれば良いと思った事だ。



posted by 遊戯人 at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 中山道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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