2007年06月24日

禁断の奥州街道(その6:花巻宿〜渋民宿)

歩いた道沿いはずっと盛岡藩で飢饉こそ頻発したが、戦乱や大きな歴史的出来事、史跡も少なく、北上川に付かず離れず、岩手山を眺めながらの淡々とした街道歩き。

花巻を出ると石鳥谷宿だがこの辺は、14kmに亘って一直線の道が続く。旧道自体が直線で、いかに障害物・起伏が無い土地柄かが良く顕れている。提灯の灯りで道路線形を測ったとか。
歩いた街道の中では旧街道では一番長い直線路。

20070623i石鳥谷直線路s-.jpg


日詰郡山宿では、何故か銭形平次にちなんだ碑などが。聞くと野村胡堂がこの地の出身。
互違いの窓が付いている、不思議な雨戸のある由緒ありそうな建物。平井邸と言い、原敬の来訪のために建てたとか。一切の説明がないのは残念だ。

20070623平井邸s-.jpg


盛岡に近づくと徳丹城の史跡。
大和朝廷が東北支配のため813年に最後に築いた北の砦だが、柱の跡だけが示されて古の便を示していた。

20070623徳丹城s-.jpg


盛岡市内は新旧の見所の多い建物が多く、屋根のない博物館といわれている。
辰野金吾設計の旧盛岡銀行本店が有名だが、旧九十銀行もロマネスク調の素晴らしい建物で、設計は横濱勉。
今は啄木・賢治青春館となって動態保存されていて、二人が同じ盛岡中学に学んだことを知る。

20070624旧九十銀行s-.jpg


盛岡でゆっくりしすぎて、急ぎ足で渋谷村へ。
2年前登った岩手山が、暮れ行く空に現す南部富士の名に恥じぬ優雅なシルエットも、啄木の歌を思い出させる。

 かにかくに渋民村は戀しかり おもいでの山おもいでの川

20070624岩手山s-.jpg


啄木記念館では啄木が教えた旧校舎や、間借りしていた家が保存展示されている。
足元に北上川を眺める渋民公園にある、全国第一号の啄木の碑には

 やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

20070624啄木碑s-.jpg

その歌の通り、北上川の岸辺には新緑の柳も風にそよいでいた。

20070624北上川(渋民村)s-.jpg


当時はまだ渋民駅はなく、好摩駅が啄木が様々な思いを抱いて乗降した駅。
暮れなずむ中、好摩駅まで歩いて旅を終えた。

 霧ふかき好摩の原の停車場の 朝の虫こそすずろなりけれ

20070624好摩駅s-.jpg


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 奥州街道(白河以北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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