短い距離だが、新旧色々な見所多くあちこち立ち寄りながら飽きずに歩くことが出来た。
三軒茶屋からの東急世田谷線は、都内で都電の荒川線と共に数少ない軌道線。僅か5kmの営業だが二両編成でゆっくり動く姿を見ると、心が和む。

街道から少し外れて松陰神社へ。
小塚原回向院から改葬された松陰の墓がここにある。萩の松下村塾も再現されている。
辞世
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂
享年僅か30歳。

円光寺では境内に、踏切まである立派な軌道が。
鉄道好きの付属幼稚園の園長さんが作ったらしいが、残念ながら移転でレールの跡だけが残る。

ボロ市が開かれる通りにある、立派な屋敷は井伊直弼で有名な近江彦根藩世田谷領の代官であった大場氏が勤めた代官屋敷。
つい最近まで世田谷区長だった大場啓二氏は、その末裔。代官屋敷の保存も行き届いている訳か。

ちなみに井伊直弼の墓は、松陰神社のすぐそばの豪徳寺にあり、幕末の安政の大獄の弾圧した側とされた側が、すぐ傍に眠るという歴史の皮肉。
弦巻の公園に一服している旅人の像が。
さして有名でもない街道に、このような像を設置した人の遊び心が楽しく、弦巻商店街も「大山街道の通る道」の幟を掲げている。

用賀商店街を通り抜け多摩川に近づくと、玉川神社、玉川寺、玉川大師と玉川の名を冠した社寺が固まっている。
玉川大師は善光寺のような暗闇の地下霊場があり、四国88箇所と、西国33番が同時に巡礼できる有難さ。
街道歩きをする人は一度は行かねばなりますまい。

多摩川を二子橋で渡る。
多摩川を車で渡ることは多いが、歩いて渡る人は多くない。
東海道の六郷橋、甲州街道の日野橋、中原街道の丸子橋、それにこの二子橋の4箇所で多摩川を渡った事になる。
二子橋を渡ると、大山街道をテーマに街おこしが行われており、商店の口上や、看板に意気込みが感じられ、大山街道ふるさと館もある。
地域にはゆかりの文化人も多く岡本かの子、岡本太郎、濱田庄治、国木田独歩などが楽しめる。
濱田庄治の「巧工不留跡」の碑を見て、日も落ちた。
