本厚木駅から街道に戻り、迷う筈のないところであれこれ道迷いしながら、愛甲宿へ出る。
入り口に、左大山道と書かれた道標を兼ねた庚申塔がある。ここは地名は何故か愛甲宿でなく宿愛甲。


大山の姿も近くなるが、折りしもの強風に煽られ、またしても道迷い。
何とか東名高速を越え、東〆引の道標へたどり着く。ここからは一本道なので一安心。
道標に書かれている「七五三引村」の七五三でシメと読む地名は初めてで、興味を引く。
いわれはしめ縄で、今のしめ縄は、まん中の太くなった横紐に、3本の縄をぶら下げるが、かつては、同じ太さの横紐に、3本、5本、7本の縄をぶら下げた。
そのため、しめ縄のことを「七五三縄」とも書き、それから七五三をシメと発するようになったとか。
この道標は明和9年(1772)のものなので、それ以前から七五三はシメだったわけだ。


洞昌院に立ち寄り、太田道灌の墓を詣でる。思ったより質素な姿だ。

三の鳥居を過ぎると、門前町で講中の宿が立ち並び名物の豆腐料理の店も多い。


ケーブルをやり過ごし、当然足で登り、女坂でまず大山寺へ。
元々は大山阿夫利神社と大山寺は一体のものだったが、明治の神仏分離で分かれたとか。

大山阿夫利神社下社では、白いものがちらほら。
山頂の本社、奥社は何度も訪れているので今回は遠慮して、ここで歩き終える。
大山寺、阿夫利神社下社にあれこれ願い事多し。
20kmほど歩いて、700mほど登ったので、それに免じて少しはご利益があることを期待したい。

