2013年08月14日

初期中山道

現在の旧中山道は、下諏訪宿から木曽に出るには塩尻峠を越えて塩尻宿を経由するが、中山道開設時にはそのルートより南側の、小野峠(三沢峠)、小野宿、牛首峠を通る道筋が中山道となっており、1601年から1613年までの間利用された。
これを通称初期中山道と言っており、下諏訪から木曽桜沢まで全長20数キロで気軽に歩くには手頃な距離なので辿ってみた。

本筋は下諏訪宿の追分からだが、少し省略して岡谷からスタート。
ここには金唐紙などで有名な重文の旧林家住宅があるので、それを見学してから街道へ。

街道は県道の一筋上を辿るが、あちこちに石造物が多く、程なく江戸より五十七里の三沢一里塚。
桜沢までに4つの一里塚がある。

20130807林家住宅s-.jpg  20130807御嶽社横石造物群s-.jpg  20130807三沢一里塚s-.jpg


小野峠へまず結構急な坂を上るが、振り返ると富士が見える。
塩尻峠へのルートは、峠へ上り詰めるまでは諏訪湖、八ヶ岳、南アルプスそして勿論富士も見え、上り詰めたら西に北アルプスの眺望も楽しめるのだが、こちらの初期中山道は景観の楽しみは殆ど無い。
塩尻峠は標高1055m、小野峠は標高1075mなので僅かに高い。

20130807富士遠望s-.jpg


林道の分岐に、万治の大仏に似ているという石がある。要所要所には初期中山道の案内標識が設置されて心強い。
真新しい堰のところで舗装路は消滅し、その先は踏み跡の殆ど無い荒れた草藪の道になる。肝心のこの部分には標識が無く、正しい道かどうかとかなり疑心暗義。

20130807宿返しの石s-.jpg  20130807草藪道s-.jpg


程なく切通しの小野峠(三沢峠)に着くが、中部北陸自然歩道の標識があるだけで肝心の峠の掲示が見当たらず、注意しないと通り過ぎてしまう。
街道と直交するこの中部北陸自然歩道を少し上ると、三郷の辻があり、ここに夫々の村の方向を向いて建てられている三つの小さな石祠がある。
峠からほんの少し下ると塩嶺王城パークラインに出て、初期中山道の案内看板と旧中山道小野峠の碑がある。さらに下ると入会地の分割を記しているという楡沢の割石。風化していて読めない。

20130807小野峠s-.jpg  20130807三郷の辻s-.jpg  20130807楡沢の割石s-.jpg


天然記念物のシダレグリ自生地があり、白骨化した樹形が緑の中で一際印象的だ。
周辺はしだれ栗森林公園となっており、色々な施設が散在している。
くぼみの水が絶えると雨が降ると言われる、日本武尊縁の沓掛石が道端にある。
快晴だったが、水が溜まっていた。

五十八里目の楡沢の一里塚は両塚が残っており、本来の道筋を見ることが出来る。

20130807シダレ栗自生地s-.jpg  20130807沓掛石s-.jpg  20130807楡沢の一里塚s-.jpg


単に石が基壇上になっているだけの、珍しい様式の富士塚がある。
登ってみても、勿論富士は見えないが、方向は合っているのだろう。

20130807富士塚s-.jpg


小野宿に入ると本棟造りの町並みとなり、立派なスズメおどしのある県宝指定の旧小野家住宅や、現役の小野酒造店などの豪壮な家が残っている。旧小野家住宅は年に数回は内部公開されているようだった。
小野宿は塩の道の一つの伊那街道の宿場でもあるので、今度は南北方向の街道も気掛かりだ。
南塩終点の地の真新しい碑があった。

20130807小野家住宅s-.jpg  20130807小野酒造s-.jpg  20130807南塩終点の碑s-.jpg


小野宿を横切ると、牛首峠への緩やかに上る長寛な道になる。田畑はイノシシの被害がひどいらしく、高圧電流を流しているところが多かった。
五十九里目の飯沼塚原の一里塚跡の碑が畑の際に建っている。
石造物も相変わらず多く、石祠型の珍しい庚申石祠がある。

20130807長寛な道s-.jpg  20130807飯沼塚原一里塚跡s-.jpg  20130807庚申石祠s-.jpg


道筋に屋号入りの蔵が多いが、屋号を妻壁のセンターに、何故か窓をセンターから外すのがこの辺の流儀らしい。

20130807蔵s-.jpg


飯沼集落を過ぎて牛首峠への峠道から振り返ると、夏草の中に遥かに富士が見える。
峠手前に前山の一里塚、牛首峠の名前の謂れの牛首塚がある。
峠には、中部北陸自然歩道のそっけない標識があった。

20130807富士遠望s-.jpg  20130807牛首塚s-.jpg  20130807前山の一里塚s-.jpg


峠を過ぎると、沢沿いに林道をひたすら下り、桜沢で木曽側の中山道と合流し、終着点の日出塩駅へ。
日出塩駅前を通っている中山道は丁度10年前に歩いているが、勿論記憶から綺麗に消え去っている。
駅前に勿論何も無く、打ち上げビールは御預けに。

20130807牛首峠からの下りs-.jpg  20130807日出塩駅s-.jpg


ところで、中山道は開設者の大久保長安が亡くなった翌年1614年に、初期中山道から塩尻峠のルートに変わったが、その理由として説明看板などでは二つの峠越えで、谷川沿いの難路であったからと記されている。
しかし、そればかりではなさそうだ。
難路が理由なら、1696年に標高1522mの地点を通る木曽谷と伊那谷を結ぶ権兵衛街道が、開削された事などの説明が難しい。
こういうものは、物資の運搬の容易さなどもさることながら、結構ルートからの眺望なども大きな要素ではないか。
塩尻ルートは諏訪湖が眼下に見え、塩尻峠では八ヶ岳、富士、さらに北アルプスの闊達な景色が楽しめるが、初期中山道は、眺望が開ける所は殆どない。
風景も打上げビールと同様に、街道の楽しみの大きな要素なのは今も昔も変らない。

来年は中山道の街道ルート変更400周年と言う事で、関係市町村の下諏訪、岡谷、塩尻で合同で記念事業が計画されているようだ。
旧中山道と初期中山道のどちらがメインなのか分らないが、歩き終わって初期中山道にもスポットが当たれば良いと思った事だ。



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2007年01月13日

中山道打上旅(その4:武佐宿〜草津宿)

何故か書き残していた、中山道の最後の日、かつ五街道最後の日。
この日は、近江八幡から街道に戻り、武佐宿から。

行程は20KM弱の短距離なものの、季外れだが「様々の事思い出す桜かな」と言う歩みだった。

武佐宿を過ぎると間の宿、鏡。
ここは義経の元服の地で有名だが、それよりも鏡神社の神官との謂れの鏡王の女が額田王、この方が興味が引かれる。
諸説あっても、それはそれ。

20070113鏡神社s-.jpg  20070113義経元服の池s-.jpg

日本人が一番好む万葉集の歌が、額田王の
「紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」
返歌、大海人皇子
「紫草のにほえる妹を憎くあらば 人妻ゆえにわれ恋ひめやも 」


野洲川を渡り、草津宿手前の最後の宿、守山宿に入る。

20070113野洲川s-.jpg  20070113守山宿s-.jpg

「京立ち守山泊り」と言われたように、大宿場だが、駅前に近いため相当建替えられて古いものは多くは無い。
稲妻型屋敷割りなどが珍しい。


日本橋から草津まで129箇所あった一里塚。その128番目の今宿一里塚。草津は指呼の間。

20070113今宿一里塚s-.jpg


旅の最後の神社の、伊砂砂神社、一間社流造の美しい建物。
雨乞いに霊験あらたかとか。
今までの旅の無事とこれからも続くだろう別の旅の安全、その他諸々を祈念して、しばしお参り。

20070113伊砂砂神社s-.jpg


中山道と東海道の分岐点がある草津宿。
2002年からの中山道が足掛け6年掛かって終了した。そして五街道も。
追分の常夜灯を眺めて今までの、そしてとりわけ今回に、様々に想いを巡らして長い旅を終えた。

20070113草津追分s-.jpg
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中山道打上旅(サイドメニュー:近江八幡)

中山道も草津まで残す所僅かだが、近江八幡へ寄り道。
近江八幡は豊臣秀次が安土城の城下をそっくり移してきたのが起源で、琵琶湖に繋がる八幡堀などの水路と町屋が美しい。

近代的な都市の姿と、歴史的なものの保存を上手に棲み分けて、望ましい都市の姿の見本のようだ。

番町通り
200701113近江八幡1s-.jpg

八幡堀
20070113近江八幡八幡堀s-.jpg


日本全国に建物を残した建築家のヴォーリズは、ここ近江八幡に事務所を置いた。
街中にも多くの建物が残っており、ヴォーリズ行脚の趣がある。どの建物も古さを感じさせず、優しくヒューマンなデザインが息づいている。

20070113ヴォーリズ住宅s-.jpg

20070113ヴォーリズ学校s-.jpg

近江八幡のような町は、住んでいる人々も心豊かに違いないと思いつつ街道に戻った。
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2007年01月12日

中山道打上旅(その3:醒井宿〜武佐宿)

三日目は、醒井宿から武佐宿までの40KM近くの長丁場。
当初から、日暮れまでに目的の武佐宿まで間に合わないので、走りを入れる事を覚悟で、またも日の出と共に醒井を立つ。

番場宿では架空の人物、番場の忠太郎が有名だ。
聖徳太子建立といわれる蓮華寺には、架空でない元弘3年、南北朝の争いで北条仲時以下432名が自刃し、裏山にはそれらの墓碑と言われる無数の五輪の塔、山門前には血の川と名づけられた川がある。
ここにも血なまぐさい歴史がある。

蓮華寺


道は程なく登りとなり、磨針峠。
中山道一の眺望を誇ると言う望湖堂からはあいにく、琵琶湖は霞の中。

磨針峠


峠を下り終わると鳥居本宿に入り、彦根市のモニュメントが迎えてくれる。

彦根モニュメント


宿には赤丸神教丸本舗が、大店舗でまだ営業を続けている。

赤丸神教丸本舗


街道から外れて2kmほど行くと彦根城だが、又の機会を楽しみに先を急ぎ、高宮宿へ。ここは比較的宿場の面影を残しており、多賀大社への一の鳥居が見事。

20070112多賀大社一の鳥居.JPG


愛知川宿手前は保存問題でゆれている、ヴォーリス設計の豊郷小学校がある。

20070112豊郷小学校.JPG

すでに新しい学校は裏手に造られて供用されているが、いかにも今風の安っぽさだ。

この辺は近江商人が輩出し、伊藤忠・丸紅の創始者の屋敷跡などあり。

20070112伊藤忠生家.JPG


”平将門この場所にて歌につまり倒れし”と言う歌詰橋を渡ると愛知川宿。
明治時代のものを模した「書状集箱」が郵便局の敷地にあり、ポストとして使われている。遊び心。

20070112愛知川宿ポスト.JPG


五個荘は近江商人の発祥の地で、てんびんの里と銘打っており、豪勢な屋敷が多く残る。

20070112天秤の里像縦.JPG

てんびんの里の美術館など見学しているうちに時間が過ぎ、近江路の日の入りと競うように先を急ぐ。

20070712夕陽.JPG


何とか人気の無い武佐宿にたどり着き、一寸寄り道してねぐらの近江八幡へ向かう。見所多いが長い一日だった。

20070112武佐宿縦.JPG
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2007年01月11日

中山道打上旅(その2:赤坂宿〜醒井宿)

二日目は、早朝赤坂に戻り、眠い眼をこすりながら日の出とともに歩き継ぐ。

まずは、中山道唯一の現存する御茶屋屋敷跡を拝見。
牡丹の名所だがあいにく寒牡丹は霜枯れて終わってる。

20070111御茶屋屋敷.JPG


善光寺如来の由来を残す昼飯町辺りには、照手姫の史跡が多く、相模から流れてきたとか。
伝墓、水汲み井戸など拝見。

美濃国分寺の壮大な遺跡跡に寄り道する。
礎石が1300年前の栄華を髣髴とさせ、かえって見えぬものへの想像力を飛翔させる。

20070111美濃国分寺.JPG


次の垂井宿では、歌枕の垂井の泉を拝見。
 「葱白く洗いあげたる寒さかな」 芭蕉

20070111垂井の泉.JPG


関ヶ原近辺になると松並木が整備され、家康の最初陣地桃配山には幟がたつ。

20070111家康陣地縦.JPG


町自体は昔の面影は無いが、宿場内には東首塚と西首塚が。
塚の周りには、関ヶ原合戦でのもののふ達の怨霊が今も漂うようだ。

20070111東首塚.JPG


この辺から、壬申の乱や平安時代の戦乱にちなんだ史跡も数多く現れ、一層寂寥の感が増す。
昔日の趣は無く珍妙な庭が造られているが、まずは歌枕でも有名な不破の関。

 「人住まぬ不破の関屋の板ひさし 荒れにしままにただ秋の風」
                    藤原良経 


不破の関


壬申の乱の戦乱のあと、その名も不気味な黒血川を過ぎると、ひっそりと打ち捨てられた、義経の母常盤御前の墓に遭遇する。

 「義朝の心に似たり秋の風」 芭蕉

常盤御前墓


鄙びた今須宿外れには、二条良基が不破の関を訪れようとして、葺き替えを知り牛車をもどしたという車返しの坂。

「葺きかえて月こそもれぬ板ひさし とく住み荒らせ不破の関守」
                       二条良基

風雅の極みです。

車返しの坂


溝一つで美濃と近江が分かれる寝物語の里に入ると、柏原宿。
宿には伊吹もぐさの本舗の伊吹亀屋左京が、まだ残って営業している。

寝物語の里


中世の関所跡の小川の関跡をすぎ、ひたすら歩くと高速道路と鉄道にはさまれた醒井宿に着く。
町は居醒の清水などのある清らかな流れに沿って、水の宿の美しい佇まいを見せていた。

醒井宿  居醒めの清水


次の宿の番場宿の交通の不便さのため、醒井宿で今日の旅を終える。
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2007年01月10日

中山道打上旅(その1:河渡宿〜赤坂宿)

青春18切符を使ったので、前回の河渡宿近辺から歩き始めたのは1月10日の14時近く。
空は晴れているものの周りの山には雪がつき、吹きさらしの中、冷たい風が身にしみる。

20070110七曲付近.JPG

揖斐川を渡り、美江寺宿をやり過ごし、今日の目的地赤坂宿へ。
町並みは比較的昔の姿を残し、港跡なども再建整備されている。

20070110赤坂宿1.JPG

20070110赤坂宿2.JPG

とっぷり日の暮れた中、誰も乗っていない列車で、ねぐらの大垣に向かい一日目を終わる。

20070110美濃赤坂駅.JPG
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2006年10月23日

一年ぶりの中山道(その4:鵜沼宿〜河渡宿)

4日目は、木曽川から長良川へと、濃尾平野を横滑り。

鵜沼宿には宿屋が無かったためやむを得ず泊った犬山で、国宝の犬山城を見学。
と思ったら、朝早くて城門も開いておらず、木曽川から白帝城と言われる優美な姿を眺めたのみ。

この城は平成16年まで日本で唯一、もとの城主成瀬家が個人所有、今は財団法人に所有が移っているものの本当のお殿様。

20061013犬山城s-.jpg


犬山ホテルに隣接して、現存する国宝茶席三名席の一つ、茶人なら知らぬものはない織田有楽斎の如庵がある。
ここも残念ながら、時間前で門のみ拝見する。

20061013如庵s-.jpg


足を元に戻し、鵜沼宿へ。
ここは明治24年の濃尾地震で殆どの建物が被災し、歴史的なものはあまり残存していないが、それでもその後再建された元の脇本陣を営んでいた坂井家の分家などは、往年の佇まいを感じさせる。

20061013坂井家分家s-.jpg


近くの津島神社には皆楽座と言う回り舞台をもった拝殿がある。この手のものは街道を歩いていると、あちこちにあるが大部分は打ち捨てられている。

ここの農村舞台は立派に活用されていて、地方文化の伝承にかける人々の取り組みが力強い。

20061013皆楽座s-.jpg


鵜沼宿を出ると、新加納を過ぎ退屈な国道歩きが続く。
ようやく今の岐阜市、加納宿に入る。
国道は繁華だが、昔の街道は対比的に人気のない侘しい姿をさらしている。
本陣跡も僅かに石碑が一つ残るのみ。

20061013加納宿s-.jpg  20061013加納宿本陣跡s-.jpg


意外と見ものが少ない加納宿をやり過ごし、清流長良川を渡って河渡宿へ。

2061013長良川s-.jpg


河渡宿は大河に近い宿場のご多分に漏れず、洪水の被害夥しく、文化10年、幕府からの貸付金によって5尺の土盛りがされたという。
町の姿はここも人っ子一人現れず、寂しい。

20061013河渡宿s-.jpg


次の美江寺宿まで行く予定が、やや時間切れとなり途中エスケープして、JR穂積駅から帰路につく。

今回はここで一段落。
草津まで残る宿場は13宿、距離的には90KM程度。年内あと一回旅に出て、予定通り五街道完歩したい。
posted by 遊戯人 at 16:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 中山道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月20日

一年ぶりの中山道(その3:細久手宿〜鵜沼宿)

3日目は打って変わって快晴。

大黒屋をあとにして、相変わらずの山道をたどる。
切られが洞、唄清水、謡坂、牛の鼻欠け坂などユニークな地名や名所を過ぎるとようやく平地に出て、井尻集落の田園風景が妙に懐かしい。

20061012井尻集落s-.jpg


街道は国道となり、傍らに和泉式部の墓が。
和泉式部も日本あちこちに伝墓があるが、これもその一つ。

辞世「生くべくも思ほえぬかな別れにし 人の心ぞ命なりける」 

20061012和泉式部碑s-.jpg


御嶽宿に入り、竜安寺の石庭の前身といわれている愚渓寺の見事な庭を拝観する。

20061012愚渓寺庭s-.jpg


次の宿、伏見宿には本陣跡の碑が一つ残るのみで、往年の風情はない。

脚を進めて妻籠の手前で別れた木曽川と、太田の渡しで再会。
「木曽のかけはし太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と謳われたが、いまも木曽川に架かる橋は歩道が無く、街道歩きには車から身を避ける場所のない難所。

20061012太田の渡しs-.jpg


木曽川を渡った太田宿は、何度も洪水にあっているが、それにもかかわらず古い建物をよく整備しており、人々の町に対する愛着と、歴史に対する誇りが感じられる。

20061012太田宿s-.jpg


木曽川に沿って歩き、夕陽に光る川面を眺めつつ、
名所の日本ラインを堤の上から堪能する。


20061012木曽川s-.jpg


夕闇のなか、うとう峠を越え、ゴールの鵜沼宿は今は宿も無く、余分な足を伸ばして犬山へ。
ここが当日の宿泊地。天気晴朗なれどもあちこち歩いて40km、脚痛し。
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2006年10月18日

一年ぶりの中山道(その2:中津川宿〜細久手宿)

二日目は、天気予報が見事に外れて一日中雨。
この日は”十三峠におまけが七つ”と言われている難所の山の中、中津川宿、大井宿、大湫宿、細久手宿を歩く。

宿場は少ないものの距離は30km、雨降りしきる石畳の歩きにくい道は、なかなか辛いものがあった。

中津川宿の庄屋屋敷は塗込で卯建の立派な造り。
街道にある今井屋は栗きんとんで有名だが、朝早くて味わえ無かったのは残念。

20061011中津川庄屋屋敷s-.jpg


雨の中、四季桜の薄墨色が目を慰める。

20061011四季桜s-.jpg


大井宿に入ると、立派な本陣や庄屋のひし屋などが残っている。

20061011ひし屋s-.jpg


大井宿を過ぎるといよいよ三里半続く十三峠。
五街道の整備を行った大久保長安が、西からの軍勢の防御のため、わざわざきつい峠道を街道にしたといわれている。

上り始めてすぐ、伝西行塚がある。
西行の墓は河内の弘川寺だが、他にも日本各所に伝説的に存在し、ここもその一つ。

「伝」西行塚と示してあるだけ控えめだが、桜に生き、桜に死したような西行には相応しい場とは思えない。

20061011西行塚s-.jpg


山中で、NHK-BSで放映している「街道てくてく旅」の勅使川原郁恵さんたちとも遭遇。
数分会話を交わして、エールを送る。
スケジュールが決まっているので、一日一宿とはいえ、雨が降ろうが槍が降ろうが歩き続けるのはご苦労様。

大湫宿手前、あまりの急坂に大名行列も乱れ、旅人の息も乱れ、女性の着物の裾も乱れたのが由来、と言う乱れ坂を抜けると乱れ橋。

20061011乱れ橋s-.jpg


中山道は東海道に対する姫街道であり、特に降嫁した皇女和宮にちなんだ史跡が多い。

十三峠を抜けた大湫宿には「遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり」の御歌の碑。

20061011和宮歌碑s-.jpg


大湫宿を過ぎると再び山中へ。ここは現存する古い石畳が日本一長いという琵琶坂へ。

20061011琵琶坂s-.jpg


琵琶峠には京都に後ろ髪引かれる、皇女和宮御歌
「住み馴れし 都路出でて けふいくひ いそぐもつらき 東路のたび」の碑など。

雨の中、日暮れ前ようやく細久手宿へ到着。

宿は大黒屋。
細久手宿唯一残った旧家で、元の尾張本陣、今は旅館を営んでいる。
中津川宿から御嵩宿までの間は交通不便で、大黒屋は今や中山道を歩く旅人の必須の宿となっている。

20061011大黒屋s-.jpg

他に誰一人宿泊者のいなかった当日、次の間付きの座敷を独り占めし、TVもない長い夜を静かに過ごす。
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2006年10月15日

一年ぶりの中山道(その1:妻籠宿〜中津川宿)

気候不順の今年、ようやく晴れ間が続きそうと言うことで10月10日〜10月13日と丁度一年ぶりに中山道へ続きの旅を再開する。

NHK-BSで勅使川原郁恵の中山道踏破する「街道てくてく旅」が始まっているので、昨年の東海道編に引き続き、街道歩きも少しは知られる楽しみになってきているかも。

妻籠は何時行っても、「来た観た撮った」という感じの人が多いが、滞在時間の短いツアー客の人にはそれでも十分な満足かもしれない。

20061010妻籠s-.jpg


妻籠を出てしばらく行くと、大妻籠。
こちらの集落は小規模だが建物自体は江戸時代のものもあり、妻籠より古い。

20061010大妻籠s-.jpg


更に山の中へ脚を進めると昔旅人が涼を取った、男滝・女滝。写真は女滝。

20061010女滝s-.jpg


苔むした石畳を歩いて、馬籠峠へ出る。標高790m。
碑には正岡子規の句「白雲や青葉若葉の三十里」

20061010馬籠峠子規碑s-.jpg


ここからは峠集落を過ぎ馬籠宿までのんびり下り、視界が開けると馬籠宿。馬籠宿上陣屋跡から恵那山が良く見える。

20061010恵那山s-.jpg


坂道と島崎藤村の宿、馬籠も好天に恵まれ観光客で一杯で観光と保存の接点を考えさせられながら、藤村の墓に詣でて足早に通りすぎる。

20061010馬籠宿s-.jpg


馬籠を過ぎると木曽路も終わり、美濃路の広々とした風景が広がる。
昔の旅人もほっとしただろう。

20061010美濃路光景s-.jpg


のんびり歩きすぎて、日没が迫り、落合宿を急ぎやり過ごし、中津川宿に入ると日はとっぷりと暮れ、高札場も闇の中。

20061010中津川高札場s-.jpg

宿について、近くの小料理屋で飲酒の取締りが厳しくなっていつも御茶っぴき、と言う女将のぐちを聞きながら夜が更けた。
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2006年09月04日

中山道を歩く(その3:鴻巣宿〜深谷宿)

3日目は2002年3月30日、鴻巣宿〜深谷宿。

丁度桜の頃で、あちこち目を楽しませながらの歩き旅。
野仏も花の季節を歓んでいる。

20020330野仏.JPG


熊谷宿は、一の谷の戦いで平敦盛を討ち取ったことで有名な熊谷直実の父、熊谷直貞に因んでいる。
残念ながら戦災に遭い、宿場の趣はない。

本陣竹井家の別邸だったと言う星渓園は、新旧入り混じっているが建物と庭の調和が美しい。

20023030星渓園.JPG


深谷宿の入り口には名物の見返りの松。昔旅人が飯盛り女との別れを惜しんだ場所。
残念ながら、今は松くい虫で弱って切り倒されてしまった。

20020330見返りの松.JPG


深谷は煉瓦の町。
今日の終着点深谷駅も東京駅を模してクラシックに建替えられているが、その外観だけの芸の無さに驚く。
設計者はJR東日本高崎支社。

20020330深谷駅.JPG
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中山道を歩く(その2:浦和宿〜鴻巣宿)

二日目は2002年3月2日、雛の節句の前日。浦和〜鴻巣までの武州路。

埼玉副都心は、無意味に暴力的な埼玉スーパーアリーナがあたりを睥睨し、ビルの谷間のケヤキ広場も寒々しい。
広場の設計者のピーターウォーカーも、早くケヤキよ育ってくれと思っているだろう。

20020302ケヤキ広場.JPG


大宮宿はもともと氷川神社の門前町。八世紀に既に「武蔵一の宮」と定められた。
昔は参道自体が中山道だったという。

20020302氷川神社.JPG


上尾宿と進み、桶川宿の大雲寺で、背中に鎹のある女郎買い地蔵など見る。
この地蔵は夜な夜な女郎を買いに出かけるので、住職が出かけられないよう鎹を打ち込んだとの謂れ。

20020302女郎買い地蔵.JPG


鴻巣は今はお雛様で有名で、明日の雛祭りを祝って駅構内に綺麗な雛壇が作られていた。
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中山道を歩く(その1:日本橋〜浦和宿)

そろそろ中山道を再び再開と言うことで、昔の記録整理。
2002年に日本橋〜塩尻、2003年に塩尻〜薮原、2005年に藪原〜妻籠。

まずは2002年1月26日の日本橋〜浦和の街道歩き。

御茶ノ水付近では、極色彩の神田明神と黒一色の湯島聖堂・昌平校が相対している。
神田明神のほうが歴史は古いが、色彩でも官的なものと民的なものの対比が面白い。

20060126神田明神.JPG

20060126昌平校.JPG


おばあちゃんの原宿で有名な巣鴨。
とげぬき地蔵の高岩寺は大賑わいだがすぐ傍の真性寺には、江戸六地蔵の一つの大きな地蔵さんが鎮座する。

20020126真性寺地蔵.JPG


板橋宿では日本橋から初めての志村の一里塚。
ありふれた物だが中山道では、ここと関が原近くの垂井一里塚の二つだけが国指定史跡になっているとか。

20020626志村一里塚 .JPG


寒風吹きすさぶ荒川を渡り蕨宿を過ぎ浦和宿へ。
陽が短く調神社の珍しい兎の狛犬?などを見て初日の旅を終える。

20020626兎の狛犬.JPG
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2005年10月16日

中山道中膝栗毛:サイドメニューの御嶽山登山

中山道のサイドメニューとして御嶽山を登る。

シーズンオフなので登山口の田の畑へのバスは一日二便、行きと帰りの時間差は5時間半。標準コースレートだとぎりぎりなのでやや不安を残しながらバスに揺られる。

高原は残念ながら紅葉にはまだ早いが、天気は標高が上がるつれて雲を突き抜け晴天に。

ほぼ直登の比較的高度の稼げるコースで登り2時間、下り1時間半とやや慌しく上り下り。

頂上では雲の彼方に、中央アルプスの木曽駒、空木、彼方に甲斐駒から白峰三山。乗鞍の後ろには北アルプスの槍、穂高、さらに遠くには八ヶ岳、富士もすこしだけ顔を覗かせる。西には加賀の白山が。
一時の眼福を楽しむ。

20051016御嶽山.JPG

ピストンでは御嶽山の本当の良さはわからなさそう、少なくとも池巡りくらいはしたかった。少し山の神に恐縮しつつ帰路につく。
ラベル:御嶽山
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2005年10月15日

中山道中膝栗毛:野尻〜妻籠

今日の木曽道は雨模様。その中を野尻から三留野、妻籠と歩き継ぐ。

ここも三留野までは殆ど国道歩き、そこを過ぎてからは木曽の核心部、鉄道から外れたために寂れてしまった妻籠、馬籠への静かな道。

歴史的景観保存地区として再生し、ツアー客は千客万来だがさすがに雨の街道を歩いている人は見当たらない。

妻籠の入り口から急に観光客で賑わい、静かな街道とは別世界。
来た、見た、撮ったと慌しく帰っていく人が多い。
街外れのギャラリーの経営者の話では、例によって住人が高齢化しているが、規制が多く空家が出てもどうすることも出来ない状態になりつつあるとのこと。
観光地としての地歩は揺るがないだろうが、今後の街のあり方に一抹の不安を残す。

20051015鵠狷.JPG

雨脚が繁くなり、馬籠への道を残して宿に戻る。
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2005年10月14日

中山道中膝栗毛:福島〜野尻

福島〜上松〜須原〜野尻と歩き続ける。
殆どが木曽川とJRに挟まれた国道歩きで、宿場近辺だけが旧道と言うコース。

上松では左手に中央アルプス、かって登った木曽駒、宝剣がよく見えてその先の空木などへも思いをはせる。

寝覚の床を上から眺め、須原へ入る。木曽の宿はどこも水音が豊か、須原では多くの水船が残り日常に使われている。

20051014寝覚の床.JPG

木曽の清水寺とでも言うべき岩出観音堂と木曽の名刹定勝寺を拝観。途中道に迷いながら野尻へ急ぐ。
迷った分だけ時間が足らず、何しろ列車は1時間半に一本しかない。
禁じ手の走りを3km位入れて何とか駅に滑り込み。

夕なずむ木曽谷の野尻のホームは人影無し。

20051014野尻駅.JPG
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2005年10月13日

中山道中膝栗毛:薮原宿〜福島宿

中山道薮原宿で止まっていた膝栗毛を2年越しに再開。
すっかり馴染みになった鈍行を乗り継ぎ、1時少し前に薮原駅に到着。例によって時間はずれの木曽路の駅で降りる人は皆無。

次の宮ノ越宿手前までは大部分退屈な国道歩き。宮ノ越宿は木曽義仲、巴御前ゆかりの地。巴ヶ淵や二人の墓のある徳音寺など歴史の見所が多い。

義仲の墓は大津の義仲寺にもあり、芭蕉の墓と隣り合わせている。
東海道を歩いた時の「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」と言う又玄の句を思い出す。

20051013義仲館.JPG

宮ノ越宿から福島宿の間点が中山道の中間地点。味気ない掲示板のみがある。

福島宿はいわずと知れた4大関所の一つ。旧街道の面影は少ないが関所は復元されている。
箱根、新居、碓井とここ福島、全て歩き旅で通り抜けた。
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