2012年09月11日

羽州街道(その3:上山宿〜山形宿)

上山宿は昔から温泉で名を成して、競馬場もありバブルの頃は賑やかだったらしい。
こういう宿場は、得てして街道は陽の目を見ずに放置されている。

町一番の繁華な交差点にポケットパークがある。
通常こういう場所には街道の説明版が設置されている事が多いが、当然のごとく無視されて何の説明もない。
傍にある本陣跡は島津酒店となっている。

上山城は土岐氏の時代奥州の名城と謳われたが、転封に伴い1692年に跡形もなく破壊された。
今のものはコンクリートの模擬天守で、歴史資料館となっているが、多分姿形も往時と全く違うものだろう。

20120911上山宿本陣s-.jpg  20120911上山城s-.jpg


上山藩主松平重忠が1624年に庶民に公開したといわれる浴場は、現在もレトロで懐かしい姿で下大湯公衆浴場として存続している。
その向かいに鶴泉園があり、上山藩と山形藩の境界石が復元されて設置されている。
下大湯公衆浴場の直ぐ先の小高い所ところにあるのが観音寺で、下大湯を管理していたところから湯の上観音とも言われる。
温泉を管理していた寺と言うのは他にあるのだろうか?甲州街道の下諏訪手前に温泉寺と言う寺があったのだが。

20120911下大湯公衆浴場s-.jpg  20120911鶴泉園s-.jpg  20120911観音寺s-.jpg


上山宿を抜けて花立て坂を上ると、蔵王連峰が良く見える。
藩境の峠に地蔵が立っているが、この付近はUR都市機構が「山形ニュータウン蔵王見晴らしのおか」として大規模開発しており、その為に旧道の道筋は全く消失し、地蔵も移設されていた。
鎌倉街道を歩いた時の多摩ニュータウン、木下街道を歩いた時の千葉ニュータウンも道筋は消失し同じ状況だった。

20120911蔵王連峰s-.jpg  20120911花立坂地蔵s-.jpg  20120911山形ニュータウンs-.jpg


ひたすら、新しく出来た無味乾燥な道を下りニュータウンの外れに辿り付くとUR都市機構の現地事務所があり、そこで職員の方が親切に開発区域のもてなしの広場という所に新設された歩道として残存している道筋を教えくれた。
しかし、昔のよすがを示す看板一つ設置されていないのは残念だ。

20120911ニュータウン内旧羽州街道s-.jpg


間の宿の黒沢宿、松原宿は単調な一本道だが、問屋を務めた渡辺家の黒塀等が残る。一里塚などの史跡は真新しいが黒御影の碑で判りにくい。

20120911黒沢宿渡辺家s-.jpg  20120911黒沢一里塚s-.jpg


山形宿に入ると湯殿山の行者宿として栄えたという八日町、一番の繁華街の十日町には比較的古い建物が残るが、山形市は空襲には遭わなかったものの明治44年の大火で消失したものが多いと言う事を初めて知る。

十日町にかつて紅花商人であった長谷川家の蔵が「山形まるごと館 紅の蔵」として活用されている。
特産の紅花にちなんだのか赤瓦が使われて折り、一際を眼を引く建物だ。

20120911旅籠?s-.jpg  20120911紅の蔵s-.jpg


本陣の跡は現在は山形銀行本店となっているが、それを示す碑等は設置されていなかった。
突き当たりに旧県庁・県議事堂で現在は資料館となっている文翔館があり、イギリスルネサンス様式の雄姿を見る事ができる。
ボランティアガイドの方が内部を丁寧に案内説明してくれたが、山形と言う町を誇りに思っている事が言葉の端はしに見てとれて、自分自身も道筋を歩きながら程よいスケール感と、新旧建物の混在の心地よさを感じ、さもありなんと思えた。

20120911文翔館s-.jpg  20120911文翔館中庭s-.jpg


遠雷が聞えるなか、足早に山形駅に戻り着き歩き終えると、待ち構えたように夕立がやってきた。


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2012年09月09日

羽州街道(その2:滑津宿〜上山宿)

羽州街道を滑津大滝から歩き継ぐが、山に分け入っていく道筋は歩く期待を高めてくれる。

20120909街道風景.JPG


部分的に旧道が残り、わらじ街道と名付けられている。
その名称の故か、街道の名前があとか不明だが、昔の親子松があった跡に 旅人の安全祈願として巨大なわらじが設けられている。

滑津小滝も水が少ないが、蕎麦の花が美しい。
この街道は、七ヶ宿そば街道とも名付けられている。どう街道名を付けようが勝手だが、見かけた名称はそば街道、わらじ街道以外にも、みちのくおとぎ街道や、部分的ではあるが滑津花街道などもあった。
夫々つけた名称の由来は意味はあるわけだが、想像力の貧困さが残念だ。

20120909親子松s-.jpg  20120909滑津小滝s-.jpg  20120909蕎麦の花s-.jpg  


滑津宿から先は、一里一尺と言われたほどの雪の量だった。
峠田宿あたりから、北国では当たり前の二重玄関が現れるがかなり簡易な作りのものが多い。
藩境最後の宿の、湯原宿の東光寺の薬医門が味がある。

二位宿街道との追分に七ヶ宿街道最大といわれる庚申塔を兼ねた道標がある。
「右ハもがみ海道 左ハ米沢海道」

20120909二重玄関s-.jpg  20120909東光寺山門s-.jpg  20120909追分道標s-.jpg


間の宿千蒲を過ぎると、白石川源流の鏡清水までの旧道が残っているが殆ど踏みあとがない。
街道では、時々源流の史跡に遭遇する。奥州街道を歩いた時に、北上川源流の弓弭の泉を見た事を思い出した。

20120909鏡清水への旧道s-.jpg  20120909鏡清水s-.jpg


鏡清水を過ぎると金山峠、ここを越えると出羽の国に入る。
峠から東北自然歩道として旧道が整備されて筈だが、降り口を見過ごして自動車道を歩く羽目に。
カーブが多く退屈な自動車道を、ブユに悩まされながら下る。

20120909金山峠s-.jpg  20120909峠道s-.jpg


峠道を下り終わり、何気なくある金山宿を過ぎると楢下宿。
この町は、川を渡る二つの橋でコの字型の町の作りとなっている珍しい道筋で、旧家も数多く残っており興味深い宿場となっている。
宿場の入口に一里塚の石碑があり、羽州街道12番目の一里塚との記述がある。
この街道では、一里塚跡は桑折で見ただけで、あとは旧跡や標識としても一切見かけていないのが不思議だった。
移築された脇本陣滝沢屋が一里塚の傍にある。

20120909楢下一里塚s-.jpg  20120909脇本陣滝沢家s-.jpg


道筋に沿って、旧武田家、遠藤家、現役の佐藤家、アーチ状の石橋の眼鏡橋を渡り、庄内屋、大黒屋などが次々現れれ、見学して飽きる事がない。
再びアーチ状の石橋の覗橋を渡って街道は続く。
この町の極端な形状は、藩の防衛上の理由なのか自然の地形からそうなったのかは不明。
会津で有名な大内宿のような観光地ではないが、移築もして無住の旧家を維持している町の努力に頭が下がる。

20190909旧武田家s-.jpg  20120909眼鏡橋s-.jpg  20120909脇本陣庄内屋s-.jpg

20120909大黒屋s-.jpg  20120909覗橋s-.jpg


楢下宿からは、退屈な一本道で暑さに閉口しながら気息奄々。
雨水側溝のグレーチングに、ユーモラスなプレートが付いているのに慰められる。

上山宿手前の、三本松の追分に板碑があり道標を兼ねている。
「右ハよ年さわ 左ハ江とみち」と彫られているというが、磨耗していて読めない。

上山宿に近づくと、スカイタワー41と言う名前の異様な超高層マンションが眼にはいる。
1999年に竣工して、既に13年も経ているが山形県一高い建物らしい。
周辺環境に全くそぐわない白日夢のような建物が、どういう経緯で建てられれて、どういう人が住んでいるのだろうか。
山形と言うと、美しいアルカディアと言う売り言葉があるが、そういう事とは無縁のようなこの超高層はかなり薄汚い経緯を踏んでいるようだった。

20120909グレーチングプレートs-.jpg  20120909道標s-.jpg  20120909高層マンションs-.jpg

ここまでの所、13の大名が歩いたという羽州街道に見るべき史跡は比較的少なく、晴渡った空の下の自然が一番のご馳走だった。

9月9日の重陽の日に歩いたが、菊の節句の菊を愛でる余裕なく、気恥ずかしくなる平仮名の名前の「かみのやま温泉駅」で歩き終えた。
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2012年09月08日

羽州街道(その1:桑折宿〜滑津宿)

何時になっても暑さが収まらない今年の夏、秋が来ないので痺れを切らし、羽州街道に乗り出した。
この街道は奥州街道の桑折宿から分岐し、山形、秋田と続いて青森の油川宿でまた奥州街道に合流する500km程度の街道だ。
奥州街道を歩いた時に、この二つの追分を通過し、いつか間を結んで歩くつもりだったがようやく思い立って出かけて来た。

上ノ山宿から先はイザベラ・バードが歩いた道筋と重なるので、明治に女性が一人で旅した時から、何が変り何が変らないのかを確かめるのも興味の一つ。

桑折宿は2007年9月に通過しており5年ぶりだ。
追分は道標、柳の木、御休所等などがこの年に復元され、手づくり郷土賞を取っているが、5年間の時間の経過を感じさせずよく整備されていて町の人々の思いが伝わってくる。

直ぐに一里塚跡の碑があるが、追分からほんの僅かで基点がどこかが気にかかる。

20120908羽州街道追分1s-.jpg  20120908k羽州街道追分s-.jpg  20120908桑折宿一里塚s-.jpg


生野銀山、佐渡金山と並んで日本三大鉱山の一つとして江戸時代に隆盛を極めたという半田銀山跡がある。周辺には坑道も多数残存しているようだが、生野や佐渡のように観光施設として売り出す気配は皆無。
僅かに、明治天皇行幸碑や女郎橋と言う名の橋桁跡等が残る。

20120908女郎橋s-.jpg


道筋にある旧名主の早田家などを眺めながら、追分から最初の宿の小坂宿に入る。この宿は坂道にあり少し古い雰囲気も残している。

20120908早田家s-.jpg  20120908小坂宿s-.jpg


県道に萬歳稲荷の鳥居が超法規的に建てられており、意味不明の水車などもある。水車は隣の小屋に休憩所という文字が見えるので、町が何か補助金で作ったのだろうが、良くある無駄使いの典型的パターン。

20120908万歳稲荷鳥居s-.jpg  20120908水車s-.jpg


奥州山脈を横断する道筋の最初の峠が小坂峠。
登るのが産みの苦しみと同じほどと言う事から名付けられた、産坂の旧道登り口で喉を潤して、山道に入っていく。
途中小坂峠古道と慶応年間以降の小坂峠新道に更に分岐する。新道の方が緩くて上り易いようだが踏み跡が少ない。
峠は441mとさほどの高さでもないが、眼下の信達平野の景観が美しい。

20120908産坂分岐s-.jpg  20120908小坂峠s-.jpg


峠からは、また自動車道になり、ほど無く萬歳稲荷神社。萬歳と言う信仰深い馬方が建てたという。
境内は狭いが、鳥居の連なるアプローチが長い。

20120908万歳稲荷鳥居s-.jpg  20120908万歳稲荷-.jpg


上戸沢宿に入る。
羽州街道の小坂峠から金山峠までの間を七ヶ宿街道と呼び、上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原の七つの宿があったことから名付けられた。この名称は数ある街道の中でもかなり魅力的。
しかし渡瀬宿は今はダムで出来た七ヶ宿湖の水の底。

上戸沢宿に七ヶ宿街道が日本の道100選に選ばれたという碑があるが、既に25年も経っているので、街道の姿も大きく姿が変っていることは間違いない。
それでも僅かに残る茅葺屋根。

I20120908日本の道百選碑s-.jpg  20120908茅葺農家s-.jpg


上戸沢宿から下戸沢宿までは退屈な道が続く。蒲の穂が眼を和ませる。

20120908蒲の穂s-.jpg


下戸沢宿の方が上戸沢宿よりも規模が大きく、昔の姿が多く残っているようだ。
ヒダリマキガヤという国の天然記念物のカヤがある。確かに左巻き。

20120908上戸沢宿s-.jpg  20120908上戸沢宿1s-.jpg  20120908ヒダリマキガヤs-.jpg


七ヶ宿ダムのために街道は湖底に沈み、新しく出来た湖岸の道の方へ高巻いて大きく迂回する。
ダムは今年の渇水で、平年よりも10mも水位が下がっているが、それでも十分山の緑を映し、30分毎の噴水の演出なども行われて、眼を楽しませる。
しかし、渡瀬宿の標識が「湖底」と記されているのに心が痛む。

20120908七ヶ宿湖s-.jpg  20120908噴水s-.jpg  20120908渡瀬宿看板s-.jpg


湖周辺には、水源地域対策特別措置法による金をばら撒くためだけの目的で作られたような、広大な公園や施設、更には補償金で建てたのかお城のような住宅があり、違和感を感じるのはいつもの事。

20120908七ヶ宿公園s-.jpg  20120908水と歴史の館s-.jpg


関宿に入るが、特段宿の名前のような関の跡はない。
東海道の名ある本陣に比べても遜色なかったと言う本陣跡は、庭園の一部が侘しく残るのみ。

20120908関宿本陣庭園s-.jpg


滑津宿に初秋の残照が美しい。
ここは立派な茅葺の本陣安藤家が残っているが、当主は残念ながら今年家を出て今は無住の空き家となっている。

20120908滑津宿看板s-.jpg  20120908滑津宿s-.jpg  20120908安藤家s-.jpg


滑津宿には振袖地蔵がある。
秋田藩の殿様佐竹氏が参勤交代の折、地元の娘を見染めて帰国の時に召そうとしたが、娘はすでに病に倒れ、それを惜しんで供養のために建てたという。
関宿には関の地蔵があり、これは殿様の身代わりといわれ、この二つは相対しているという。

振袖地蔵の傍に、ほんの僅かな間、旧道がわらじ街道の名称で石畳で復元されている。こういう事業は無意味ではないが、ここでは全く的を得ていない。
滑津宿の滑津大滝で、歩き終える。この滝も渇水で本来の姿ではないようだった。

20120908振袖地蔵s-.jpg  20120908旧道s-.jpg  20120908滑津大滝s-.jpg


初日の羽州街道の七ヶ宿街道部分の印象は、史跡が少なく、どの街道でも止むを得ない事とは言え、思ったほど宿場の古い景観も残っていないのが残念だった。
後日に期待したい。
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