2012年11月25日

三国街道(その3:中山本宿〜猿ヶ京宿)

三日目は中山本宿までバスで戻り、街道に二筋ある道筋の中山新田宿へ向う。
道すがら意外なことに、西に浅間山が良く見えて目を楽しませる。

20121125浅間s-.jpg


新田宿は本宿の12年後に開かれたが、近道だったためこちらの方が栄えたと言う。本陣の平形家の長屋門は郵便局などに使用されたが今は住宅門屋として登録文化財となっている。
水平方向に伸びやかなこの建物は、格子窓、手摺などの細かい分割されたプロポーションも美しく、心地よいリズムを刻む。

20121125住宅門屋s-.jpg  20121125手摺s-.jpg


中山集落の先に「街道一の清水」があるが、その名に反して残念ながら水は枯れている。

20121125街道一の清水s-.jpg


赤根トンネルの手前で街道は林道になり、中部北陸自然歩道の標識に出ている金比羅峠への道を辿る。
坂を上って行くと直ぐに塩原太助の馬つなぎの松。此処に来るまでうかつにも、塩原太助が三国街道の知名人とは露知らず。
往時の松は樹齢300年を越えたらしいがそれは枯れて、二代目の松が植えられている。

20121125分岐点s-.jpg  20121125塩原太助馬つなぎの松s-.jpg


林道で高山村と旧月夜野町の境界が金比羅峠、そこからは山道に入り程なく不動峠の小さな石宮があり風光明媚なこの地に長岡藩主が旅人の道中安全を願って立てた、と説明板に書かれている。
あいにく、木々が視界を遮っているが松林越しに上越国境の雪景色の山々が美しい。

20121125金比羅宮s-.jpg  20121125上越国境山s-.jpg


石宮からは踏み跡がほとんどない斜面を下り、途中の野仏に慰められながら程なく林道に合流する。
林道の途中に展望台があり、谷川岳のトマの耳、オキの耳をはっきりと視界に捉えることが出来る。昔登って、多分もう登らない山だが懐かしい。

20121125野仏s-.jpg  20121125谷川岳s-.jpg


林道を少し下ると、何の標識もない左に入る山道があり、これが旧道となっている。
後日地図で確認すると1/25000の国土地理院のものには破線表示されていたが、足を踏み入れるにはちょっと勇気のいる道だ。この辺は街道歩きの人にも結構な難関で、パスする人も多いのか地元の好事家以外に三国街道として歩いた記録を見かけていない。
道には、紛らわしい分岐が一箇所あるがそれ以外はさほど迷うことない。
南中山道、東月夜野道と刻まれた比較的新しい標石がある。五街道の中山道にはあまりにも遠いので、中山宿の中山だろうか。
途中に立派な石垣の跡があるが、もちろん何の説明板も見当たらず後日調べても不明だった。山城の跡にしては規模が小さすぎるので、昔の茶屋跡だろうか。

20121125塚原への旧道s-.jpg  20121125道標s-.jpg  20121125石垣s-.jpg


溜池を横に見て野仏の見守る塚原宿へ入る。
塚原宿は僅か300mほどの宿場だが、緩やかな道沿いにゆったりとした雰囲気が漂う。
宿の入り口に三国街道の説明碑が埋め込まれた塚原宿の石碑が建っている。たまたま居合わせたご老人に山中の石垣の事を伺ったがご存じないようだった。

20121125塚原宿野仏s-.jpg  2012125塚原宿s-.jpg


街道は此処から赤谷川へ向かい、桃野発電所の付近から船渡しで対岸に渡るが、現在は道は途切れているので県道で下新田宿に向かう。
下新田宿には塩原太助翁記念公園があり、銅像やら、記念館やらが集まっている。傍に今は普通の民家の太助の生家跡、隣に問屋跡がある。

20121125塩原太助公園s-.jpg  20121125塩原太助生家s-.jpg


今宿、布施宿とあまり見るべきものはなく、足を急ぎ、河岸段丘を上って須川宿へ辿りつく。
この宿は「たくみの里」として観光展開を行っていて、寂れ行く地方で頑張っているのが目に付いた。

街道の宿場で観光地化して有名なものは東海道の関宿、中山道の馬籠宿、妻籠宿、善光寺街道の海野宿などがあるが、これらは何れも鉄道路線から外れたことが結果的に古いものを残す事になり、それを逆手に取った観光地化・宿場整備が行われている。

須川宿もほぼ似た状態で、鉄道こそ近くを通っていないが、明治になって近くの宿場をショートカットする道路が出来た事によって寂れる一方だった。
ところが、周辺にある素朴な野仏を人集めに使う企画の村おこしが1980年代始まって、次に宿場内の街道を群馬県唯一の歴史国道として指定・整備し、さらに街道周辺に「たくみの里」として体験型の施設を多数展開して現在に至っている。

須川宿は特産もなく、かといってみやげ物ばかりを売る観光施設の集積でもなく、昔の宿場の雰囲気が良く再現されているわけでもないのだが、街道・宿場の活用の一つのあり方として興味が持てた。

20121125須川宿s-.jpg  20121125須川宿本陣跡地s-.jpg  20121125野仏巡りs-.jpg


須川宿を出ると、例の自然歩道の標識が途切れ途切れに現れる。赤谷川にある気恥ずかしい名前の「あいのわたし」橋を越えて浅地集落、杉の巨樹の御神木のある日枝神社、主幹が欠落して無残な上杉謙信ゆかりの逆さ桜など見物。

20121125日枝神社s-.jpg   20121125逆さ桜s-.jpg


街道は相股宿から猿ヶ京宿へ繋がるが、現在は赤谷湖の水の底。
赤谷湖の、左奥に気に掛かるのは三国峠だろうか。右には上越国境の谷川岳から仙ノ倉、平標山が雪化粧。

20121125赤谷湖s-.jpg  20121125平標山s-.jpg


日暮れ前に何とか猿ヶ京宿に辿りつき、またしても温泉に入る時間が見当たらず、本格的な冬に入ろうとしている侘しく見える温泉街を後にした。

三国峠を越えるのは何時の日か、と思いつつ。

20121125猿ヶ京関所跡s-.jpg  20121125猿ヶ京宿s-.jpg


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2012年11月24日

三国街道(その2:渋川宿〜中山本宿)

雪の付く前に三国峠の手前まで歩こうと思い立って、一年ぶりの三国街道へ。

渋川宿でまず旧渋川公民館を見学。
近世復興式と言う聞きなれない様式だが、比較的端正な表情をしている。
昭和6年に渋川信用組合の建物として建築され、幾多の変遷を経て今は無住の建物となっている。
市と商工会議所が協力し、平成26年までに敷地内で移築して商工会議所の事務所として保存活用を図る計画があって、寄付を募っていた。
そう簡単な話でもなさそうだが、歴史的建造物を大切に維持していくと言う心意気は頼もしい。

この建物の斜め前に登録有形文化財の堀口家があるが、こちらは何の説明もなく、旧渋川公民館と対照的だ。
蕎麦屋の店先に渋川村の里程元標の復元されたものが立っている。尺まで記されていて、その厳密さがうかがい知れる。

20121124旧渋川公民館s-.jpg  20121124堀口家s-.jpg  20121124里程元標s-.jpg


金井宿に入るとつるべ井戸が残っている。
金井本陣跡は児童公園となっており、往時の建物は無く地下牢跡だけが残されている。このような本陣は初見だったが、佐渡送りへの罪人の道でもあった三国街道独特のものだろう。

20121124つるべ井戸s-.jpg  20121124地下牢s-.jpg


南牧地区に入って、吾妻川へ降りてゆくと杢ヶ橋関所跡の田中邸がある。この建物自体は関所でなく定番屋といわれた役宅との事。
三国街道には猿ヶ京とこの関所しか設けられなかった。意外と言えば意外。

20121124杢ヶ関跡s-.jpg


次の北牧宿へは吾妻川を刎橋で渡ったが、今はその道筋はなく大きく迂回して北群馬橋で渡るしかない。
北牧宿は吾妻川から三筋の宿があり、その一つの新田宿が景観整備されている。ここから吾妻川まで降りる事が出来る。
対岸には、刎橋の土台に使われた思われる穴の穿たれた大石が望める。

20121124北牧宿s-.jpg  20121124基礎の石s-.jpg


丘陵を上がると、三国街道の道標がある。説明版によると「右江戸道」と一方だけを示している珍しいものと言うが、判読できない。
横掘宿に入ると、下宿に下宿地蔵尊がある。いわゆる首切り地蔵だが、中山宿の男が馬の荷のバランスを取るために地蔵の頭を取って重石としたら、その後厄災続きとなったので新しいものを寄贈したとの謂われ。
二体が首無し、新しい一体が首のある普通の地蔵だが、どれがどれだろうか。

20121124三国街道道標s-.jpg  20121124下宿地蔵s-.jpg  


宿場中ほどにある、雀脅しをもつ立派な建物は飯塚家本陣跡だがさほど古いものではなさそうだ。今は佐藤家が酒屋を営んでおり、軒先に珍しい長細い杉玉が掲げられていた。
宿には、三国街道で二つ目の一里塚もある。

20121124飯塚家跡s-.jpg  20121124横掘宿一里塚s-.jpg


道は高度を上げて白水ゴルフ場を過ぎると旧道らしきものが林の中に見えるが、降り口が見当たらない。
八木沢林道も少し辿って見たが、不明なので諦めて県道を歩く。
中山峠手前で薙刀坂の歌碑がある。
  杖をだに重しといとふ山越えて 薙刀坂を手ふりにぞゆく 道興准后

中山峠はゴルフ場の敷地に挟まれて、何の説明もなくまことに味気ないが、ゴルフ場越しの小野子山の姿が美しい。

20121124旧道?s-.jpg  20121124長刀坂歌碑s-.jpg  20121124中山峠s-.jpg

20121124小野子山s-.jpg 


この付近に国民宿舎わらび荘がある筈と、道端のお店の方に伺うと、客も減り耐震改修に多額の費用がかかるために、今年廃業したとの事。
三国街道沿いでこの辺では格好の宿となっていて、利用した人も多かったようだが残念。

中部北陸自然歩道の標識があり、三国街道の旧道を少しの間歩くことが出来る。気持ちの良い落葉の道だ。

20121124中部北陸自然歩道s-.jpg  20121124旧三国街道s-.jpg


道筋は中山本宿へ向うものと中山新田宿に向うものに分かれるが、バス便のある本宿へ向う。
本陣跡、問屋跡があるが、本陣は雷による火事で失われ解説板があるだけだった。

20121124中山本宿本陣跡s-.jpg


予定よりも早く中山本宿に着いたものの、バスは1時間半もなく、寒さをしのぐ店もなく、小野子山に夕陽が落ちてゆく中を宿泊地の沼田まで道筋を辿ったことだ。

20121124夕陽小野子山s-.jpg
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2011年11月12日

三国街道(その1:高崎宿〜渋川宿)

中山道を歩いた時、鎌倉街道上道を歩いた時に夫々立ち寄った高崎の城址公園の櫓に挨拶し、暫くは中山道を歩く。
繁華街の駐車場に中山道絵巻の看板が設置されている。
ここは2002年4月に歩いており、看板は同じ年の3月に設置されているので見ている筈だが記憶にない。思えば遠くに来たものだ。

20111212高崎城櫓s-.jpg  20111212中山道看板s-.jpg


中山道との追分の本町一丁目には中山道高崎宿の貧弱な標識があるが、三国街道はさらに冷遇され見当たらない。
県道表示も渋川街道となっており、信越本線の踏切でようやく三国街道踏切の表示に出会うことができる。

20111212高崎宿標識s-.jpg  20111212渋川街道標識s-.jpg  20111212三国街道踏切s-.jpg


飯塚町から旧道に入り、下小島町の先に「右越後」と刻まれた立派な道標があり、ようやく旧街道らしくなる。

20111212三国街道碑s-.jpg


豪壮な畔見邸、立派な三ッ寺公園、群馬町中央公民館にある県内最古と言う三国街道標識など確認しながら歩く。

21111212畔見邸s-.jpg  20111212三ッ寺公園s-.jpg  20111212県内最古三国街道道標s-.jpg  


高崎宿から最初の宿場の金古宿に入ると、道は再び県道25号線となるが、道の左右には昔の養蚕農家と思われる旧家が散在する。
代官所だった神保家は荒廃しているが、まだ人が住んでいるようだった。栄枯盛衰世の習い。

20111212神保家s-.jpg  20111212金古宿旧家s-.jpg 


清野町に入ると道の東側の住居は道に面して土蔵が多いが、榛名山からの西風を防ぐためにそういう配置となっているという。

20111212金古宿蔵s-.jpg


再び旧道は県道を外れ野田宿に入るが、これは伊香保街道の宿場。
伊香保街道との交差点には、東を向いて比較的新しい感じの双体道祖神があるが、意外にも安永2年のもの。
多分道の拡幅で移設されたものだろう。この辺は双体道祖神が多い。

吉岡町付近では左に榛名、右に赤城と二つの山塊が目を楽しませる。この景観は今も昔もこれからも変わらない。

20111212双体道祖神s-.jpg  20111212榛名山s-.jpg  20111212赤城山s-.jpg


三国街道で始めて眼にする、野田の一里塚は二代目。

20111212野田の一里塚s-.jpg


見事な防風垣のある立派な旧家を過ぎて、馬頭峠で四頭の馬が守っている珍しい馬頭観音を見る。江戸時代に篤志家が寄贈したと。
ここからは日の入る前の残照の赤城を眺めながら、利根川の河岸段丘を下って渋川駅は一息だった。

20111212旧家s-.jpg  20111212馬頭観音s-.jpg  20111212赤城夕時s-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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