2009年06月30日

禁断の奥州街道(エピローグ:龍飛岬)

旅の終わりは旅の始まり、感慨と共に早速次の旅に思いを馳せるのは、旅人の業でもあり本能だ。
奥州街道は三厩が終着点だが、「風の岬」の龍飛岬まで足を伸ばした。
これは、新しい旅の始まりだ。

司馬遼太郎が「街道をゆく―北のまほろば」に太宰治の「津軽」から本歌取りして、龍飛岬をこう書いている。

・・・江戸時代の千住を出発すると奥羽街道が、関東と奥洲をながながとつらぬき、ついに津軽半島にいたって松前街道と名がかわり、半島の先端の三厩村(竜飛崎)で尽きる。古街道としては、墨痕一筋というべき雄大さをもっている。・・・ 日本中の道という道の束が、やがて一すじのほそいみちになって、ここで尽きるのである。・・・

「街道を行く」全43巻の中でも、津軽の土地と奥州街道を、僅かな言葉で示しきった畢竟の名文と言える。

本歌である太宰治の「津軽」の
「ここは,本州の袋小路だ。・・・そこに於いて諸君の路は全く盡きるのである」の一文が刻まれた碑を見て、盡きた路から反転して、日本唯一の階段国道を上り詰めると、風の岬の名前に相応しい強風が迎えてくれる。

20090630竜飛港s-.jpg  20090630階段国道s-.jpg  20090630竜飛灯台s-.jpg

龍飛崎は龍が飛ぶかの如く、1年中強い風が吹いている事から名付けられたとも言われるが、まさにその通り。

チベットには空中歩行が出来る「風の行者」と言う修行僧がいて、矢の様に早く歩きながらも、無意識的に周辺の全てを捉え、そこに新しい意識状態が形成され、ひいては、世界についての考え方が変わる修行をしていると言う。

風の行者の域に辿り着けないが、また新しい旅を始め、歩くことを通じて、何時までも爽やかな風を感じていたいものだと、風の岬で海峡の潮の流れを見つめつつ思いを込めた。

20090630竜飛岬俯瞰s-.jpg


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禁断の奥州街道(その26:三厩宿)

三厩の街中を歩くと直ぐに、厩石公園になる。

ここは義経伝説があり、義経寺や厩石にその伝説が残る。
三厩の地名自体も、義経が蝦夷に渡るときに天候回復を祈念すると三匹の竜馬が現われ、それがつながれた場所と言うことで三馬屋と言われ、更に三厩に変わったという。
松前街道最終地点の碑がある傍には「源義経 渡道の碑」も建てられていた。

20090630松前街道碑s-.jpg  20090630義経碑s-.jpg  20090630義経寺s-.jpg 


これで五街道は完歩だが、特にこの奥州街道は800kmほどあり、その長さと共に道中の様々な光景、出会い、町々の持っている歴史等を思い出し、一際感慨深いものがある。

最終地点の碑は何処にでもある変哲のないものだが、旅の終わりの一抹の寂しさを感じながら、その前にしばし佇んだ。
 
20090630三厩宿s-.jpg
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2009年06月29日

禁断の奥州街道(その25:蟹田宿〜三厩宿)

津軽半島の奥州街道は、蟹田から今別までは鉄道と街道は全く離れるので、その間を一気に歩かねばならない。
「風のまち」の案内板を横目に、風のように足早に歩き出す。

蟹田町もご多分に漏れず、町村統合で町名は廃止され、外ヶ浜町になってしまった。
風のまちの交流プラザ、トップマストもなにやら侘しく改修中。

200906029トップマストs-.jpg 


平舘宿では、1847年オランダの捕鯨船員が上陸した事に端を発して、幕命で作られた台場が残っている。
道には出来ても、海に関所は作れない。

20090629平舘台場s-.jpg


淡々とした海岸沿いの道が続くが、突如として巨大なコンクリートの構造物が出現。石崎無線中継所。
NTTがマイクロウェーブで、北海道へ電話回線を繋いでいたときの遺物とか。
時代は変わり、海底ケーブルの設置で使命を終え、不思議な巨体を晒し続けている。巨大構築物マニアには喜ばれそうだ。

20090629海岸の道s-.jpg  NTT電波塔s-.jpg


今別町に入ると、岩屋観音、だるま滝、赤根沢のベンガラを採った赤岩、景勝の高野崎などがあり、見ものは海岸だけの単調な旅路を少し慰める。

20090629岩屋観音s-.JPG  20090629だるま滝s-.JPG  20090629赤岩s-.jpg 

20090629高野崎s-.jpg


アイヌ語由来か不思議な響きの袰月(ほろづき)集落では、伊能忠敬が二度の蝦夷地測量で泊ったという標柱がある。
第一次測量は、三厩まで23日間で歩ききっているので、測量しながらという事を考えるとその速さに驚く。

20090629伊能忠敬宿泊碑s-.JPG

伊能忠敬効果か、予定の今別宿を過ぎ、「風の岬へようこそ」と迎えてくれる三厩宿まで、軽々と歩き着く。
最終地点への僅かな距離を翌日の楽しみに取り置いて、風のまちから風の岬へ、寸止めでこの日を終えた。

20090629風の岬へ看板s-.jpg  20090629三厩駅s-.jpg
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2009年06月28日

禁断の奥州街道(その24:青森宿〜蟹田宿)

一冬越えて懐かしい青森駅から、松前街道とも言われる奥州街道最後の行程に足を踏み出す。

直ぐにルネッサンス様式の森林博物館。旧青森営林局庁舎。
青森市は空襲で焼き尽くされ古い建物は殆ど残っていない。
この建物は青森市にある数少ない明治時代の建物だが、よく保存されていて、明治の山林局の設計技師の心が伝えられている。

油川宿に入るとイタリア館と言われる、1923年イタリア人ジュセップ・ファブリーにより、いわしの缶詰工場として建設された洋館の一部が残っている。
イタリア人は、異国の陸奥湾で何を見たのか。

20090628森林博物館s-.jpg  20090628イタリア館s-.jpg


油川宿の西田酒造にある、「こみせ」と言われる、アーケード状の通路が珍しい。
その直ぐ隣に、奥州街道と桑折で分岐して日本海側を通ってくる羽州街道との合流点がある。
この道は497kmもあり、イザベラ・バードや菅江真澄も通っている。次の街道候補としてかなり気に掛かるが、脚を運ぶ事があるのかどうか自問自答。

20090628西田酒造s-.jpg  20090628羽州街道合流地点s-.jpg


神社の網の形の注連縄が眼を引いて、ケンゼンというらしいがその由来が不明。
あちこちにあるお地蔵さまは、雨風を凌ぐ為小さなお堂に入っていて、綺麗な衣装をまとっている。これも何故か。宿題のみが増える。

20090628注連縄s-.jpg  20090628お地蔵さまs-.jpg  20090628おじ像様大s-.jpg


松前侯が贈った盆栽の松がそのまま大きくなったと言われる、昇竜の松。確かにそのようだ。

20090628昇竜の松s-.jpg


蓬田宿を淡々と歩き、蟹田宿で打ちどめる。
駅前には「風のまち」の案内版が立てられている。太宰治がこの地を「風のまちだね」と言ったからだとか。
碑には「はじまりは 風がめくった 一ページ」の魅力的な言葉が流麗な文字で彫られていた。

20090628海岸沿いs-.jpg  20090628蟹田碑s-.jpg
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2008年12月17日

禁断の奥州街道(その23:小湊宿〜青森宿)

一転北上して、八戸に宿を取り翌日小湊宿から青森宿を目指す。
数日前の寒波で雪が降り、足元にやや不安有り。

小湊駅は朝日に輝くが、空は曇天。
小湊宿を抜けると国道歩きとなり、気温は1度、足元にも雪が残る中、寒さに耐えつつ歩き行く。

20081217小湊駅s-.jpg  20081217雪s-.jpg  20081217一度s-.jpg


寒冷地でしか見られない、スノーポールも珍しい。

20081217スノーポールs-.jpg


浅虫温泉では、海岸沿いの公園に巨大オブジェが鎮座して気に掛かる。三台丸山の巨大な掘立柱の遺跡を思い出す。

一風呂浴びる余裕は無いが、青森のシンボルの岩木山、津軽半島も彼方に見え、三厩までの道を想像する。

20081217巨大椅子s-.jpg  20081217岩木山s-.jpg
 

善知鳥崎は今は隧道で抜けられるが、昔は親不知・子不知と並ぶ二大険路とか。
そもそも善知鳥は鳥の名前でなぜ、善知鳥を「うとう」と読むのかは諸説あるようだが、
・・・ウトウに善知鳥の字をあてたるは、葦をアシともヨシとも唱ふるより、アシには悪字を書し、ヨシには善字を書し、葦原の中に住む千鳥ゆえ悪千鳥、善千鳥と書し、善知鳥となった。・・・
とその一つの説を青森の善知鳥神社では説明する。

20081217善知鳥崎s-.jpg


野内宿では、久方に残っている松並木を見る事が出来る。

20081217野内宿松並木s-.jpg


合浦公園を抜けると青森宿。
青森の発祥の地といわれる善知鳥神社前には、真新しい「奥州街道終点記念の碑」がある。
地元の人は、ここから先は松前道・外浜道などと言っているようだが、いきなり終点といわれても困惑する。

20081217奥州街道終点の碑s-.jpg


善知鳥神社で年末に向けて設けられた大祓えの茅輪で、纏わり付いた穢れを落とし、青森駅に辿り着く。
夕闇の中、馴染みになった青函連絡船を眺めるが、最後の三厩までの街道に、もう一度来るのは雪解けのあとの来春か。

二度目の、津軽海峡冬景色。

20081217善知鳥神社茅輪s-.jpg  20081217青函連絡船s-.jpg
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2008年12月16日

禁断の奥州街道(その22:築館宿〜一関宿)

陽も昇りきらぬ朝まだき、今日もまたやや道に不安のある山越えを控え、築館宿で昔の魚市場の建物を見て早々に歩きだす。
魚市場は面白そうな建物で少し前まで使われていた気配だが、今は閉鎖されており、中を見ることは出来ない。
双林寺以外殆ど観光資源の無い築館宿なので、有効な活用方法が見出せれば良いが、地震の後始末でそこまでの手がとても回らないか。

20081216築館魚市場s-.jpg


例によって、人気の無い街道風景の宮野宿。
雪景色の栗駒山を道連れとして、沢辺宿へ。

20081216宮野宿s-.jpg  20081216栗駒山s-.jpg


沢辺宿を抜けると、2007年3月廃線になった「くりはら田園鉄道」の廃線と駅舎がわびしく目に入る。
宮城内陸地震で亡くなった地域プランナーの麦屋さんが、この鉄道の保存活用のアドバイザーだったことを思い出す。
すぐ傍には、廃線をあざ笑うように、誰の為にか信じられない程豪華な金成町役場。
ここも官が栄えて民が衰退する象徴のような建物だ。

20081216沢辺駅1s-.jpg  20081216栗電s-.jpg  20081216金成町役場s-.jpg
 

金成宿で、今は歴史民族資料館として活用されている旧金成小学校の姿を見てホッとする。
隣の金成ハリストス正教会も美しい。函館ハリストス正教会を設計した河村伊蔵が監督し、昔の人の志は今も生き続ける。

20081216金成小学校s-.jpg  20081216ハリトリス教会s-.jpg


金成宿のそばには、奥州街道のあちこちに姿を現す金売吉次の親の炭焼藤太の墓があるが、街道から大きく外れる為に立寄りを断念。

金成宿を出ると道は、夜盗坂という怪しげな坂を登り、高速道路で大きく分断。ようやく一里塚のある旧道を見つけて有壁宿へ辿り着く。

20081216新鹿野一里塚s-.jpg


有壁宿の見ものは旧本陣の佐藤家だが、内部改修中ということで見学できなかったのは残念。

20081216有壁宿本陣s-.jpg


有壁宿からは一関側へ山越えの道が旧道だが、現在は地図にも記載が無く、諦めて国道へ迂回する。

国道沿いに一関藩主の菩提寺の祥雲寺の巨大な一切経蔵などを見学して、二年ぶりの一関に辿り着く。
これでようやく、虫食い状態だった奥州街道が一本に繋がった。

20081216一切経蔵1s-.jpg  20081216一関駅s-.jpg 

流石に陽が落ちるのが早く、時間切れで毛越寺再訪が果たせなかった事に悔いを残して、明日の足掛かり八戸へ向かう。
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2008年12月15日

禁断の奥州街道(その21:古川宿〜築館宿)

師走の晴れ間に、虫食い状態だった古川宿から一関宿を繋ぎ、ついでに一転北上して、小湊から青森宿まで。

古川宿の次の荒谷宿は、千葉周作に所縁のある斗瑩稲荷神社があるが、通り過ぎる。

20081215千葉周作s-.jpg


高清水宿では奥州善光寺に詣でる。
奥州藤原氏第二代の基衡が父清衡を弔う為に信濃善光寺を摸して建てたといわれるが、何故この地にという疑問は多い。
今の善光寺とは形も規模も似ても似付かず、信州善光寺も昔はこうだったのか。
しかし、信濃善光寺の分身「阿弥陀如来像」のお姿はたおやかだった。

20081215奥州善光寺s-.jpg  130803s-.jpg


高清水宿を抜けると、事前に1/25000の地図で確認してもあやふやだった、旧街道が良い状態で保存されているという場所に差し掛かる。
入り口に何の標識も無く不親切の極みだが、それらしい分岐を辿ると雰囲気のある道が現れる。
道は噂どおりの佇まいで、積み重なる枯葉が紅葉の頃はさぞやと思わせた。

20081215旧奥州街道.JPG

この道は力石の史跡で自動車道と交差している。
参考文献では、先は廃道状態と書かれているが、先まで辿る事が可能で、しばらく行くと畦道になる。国道まで辿れそうな気配だが、時間不足で途中で切り上げた。

現道をずっと迂回して、四号線を行くと築館インター手前の右の農道の先に、旧奥州街道の碑があり、足元を刈り込まれて整備された道が奥まで続く。
道を辿った出口らしき所にも旧奥州街道の碑があり、この先は力石からの道に接続しそうだが、これも時間切れ。

20081215級奥州街道碑(築館インター)s-.jpg


道を急ぎ、築館宿の杉薬師といわれる双林寺へ何とか明るいうちに辿りつく。
姥杉、豪壮な瑠璃光殿、左甚五郎作と伝わる軽妙な鐘楼など見所が多い。

20081215姥杉s-.jpg  20081215瑠璃光殿1s-.jpg  20081215双林字鐘楼s-.jpg

冬至も近く、日の入り4時15分。
寂しい街中では、薄暗がりでは見るべきものも無く、早々に宿へ引きこもった。
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2008年10月15日

禁断の奥州街道(その20:吉岡宿〜古川宿)

明日晴れて、吉岡宿を早立ち。

宿の外れに芭蕉も通った中山越えのある、出羽海道との追分がある。
境田までは全くの山の中だが、それでも海道。

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朝靄の中の、稲束が美しい。何となく感じる日本の佳き田園風景。

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吉岡宿から駒場集落までの旧道は、レジャーランドやダムが出来て失われ、大きく迂回する。
久しぶりに出あった東北自動車道を右左に縫いながら、三本木宿へ。
この辺でも明治天皇の足跡は健在だ。

20081015明治天皇碑s-.jpg


僅か8500人の人口規模にしては、不釣合いに立派で大きい町役場。
街中にある旧家に、少し補助金をつけて観光資源として整備すれば良いと思うが、見に来る人もいなさそうだ。
新建材で作られた、当たり前の店に変わってしまうのも時間の問題。
官が栄えて民が縮む地方都市。

20081015三本木町役場s-.jpg  101729s-.jpg


火炙りの処刑者を弔う為に、仙台広瀬川の石で建立したという大豆坂地蔵尊。今は延命子育て地蔵。
この程度のものはあちこちにあると思うが、日本一の大きさとうたっている。

20081015大豆坂地蔵s-.jpg


古川宿に入り白玉姫の歌枕の緒絶橋。
 みちのくの緒絶の橋やこれならん ふみみふまずみ心まどはす(藤原道雅)
今日11月23日は、いいふみの日。

20081115緒絶橋s-.jpg


大正デモクラシー指導者、吉野作造の学んだ古川小学校は懐かしい木造校舎が現在も使われていた。
吉野の号は古川学人。

古川小学校s-.jpg


この先は交通の便が極端に悪いので、昼を少し過ぎたばかりだが早々と打ち止めた。
次はいつか。
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2008年10月14日

禁断の奥州街道(その19:長町宿〜吉岡宿)

長町宿から仙台宿へ入り、伊達家の廟の瑞鳳殿へ立ち寄る。
戦災で消失し再建されているものだが、十分に往時の華麗さを偲ばせる。

伊達家三代の華麗な廟に比して、若くして亡くなった公子公女の墓群が哀れを誘う。

20081014瑞鳳殿1s-.jpg  20081014瑞鳳殿3s-.jpg  20081014公子公女墓s-.jpg


街道へ戻り、広瀬通りの手前の芭蕉の辻。

20081014芭蕉の辻s-.jpg

場所の辻が訛ったとも、芭蕉の樹があったからとも言われているが、いずれにせよ松尾芭蕉とは無関係。
碑には「南 江戸 日本橋迄六十三次 奥州街道」「北 津軽三厩迄 四十五次 百七里二十二丁 奥道中」、という事でここが奥州街道の仮の終着点で、これから奥は奥道中。

結構、ポイントになる碑なのだが、当然の如く街の人に所在を聞いても知らない人ばかりだったのは少し残念。

北山一帯には京都の東山五山に倣った北山五山があり、輪王寺の立派な庭園など見学に忙しい。
光明寺の支倉常長の墓は、うら寂しいが。

20081014輪王寺庭園s-.jpg  20081014支倉常長墓s-.jpg


仙台を抜けて、バブル期の残骸の買い手の付かない造成地ばかりが目に付く、結構な国道歩きのあと、鄙びた富谷宿。

20081014造成地s-.jpg  20081014富谷宿s-.jpg


仙台でのんびりし過ぎて、今日も日が暮れる。
天気予報は明日は雨だが、夕焼けが美しい。

20081014富谷宿s-.jpg

明日晴れるか。
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2008年10月13日

禁断の奥州街道(その18:槻木宿〜長町宿)

小湊宿から一転南へ戻り、槻木宿から一関宿までの間を繋ぐ旅を再開。

槻木宿では逢隈旅館が昔の風情を残している。

20081013遭隈旅館s-.jpg

逢隈は阿武隈の異称で、日本第6位の大河、阿武隈川は槻木宿の直ぐ傍を流れている。

 人知れず濡れにし袖の乾かぬは 阿武隈川の水にや有るらむ(貫之)

などの歌を知ると、古びた旅館も優雅に映る。


岩沼宿では、小野篁が陸奥守として着任した時造営したという竹駒神社。

20081013竹駒神社s-.jpg

日本三大稲荷の一つと自称しているが豊川稲荷、笠間稲荷、祐徳稲荷の本家三大稲荷に比べてどうですか。
京都にある小野篁の墓の隣には紫式部の墓があり、愛欲を描いて地獄に落た紫式部を閻魔にとりなしたからだとか。


すぐ傍には歌枕で有名な武隈の松(二木の松)。

武隈の松はこのたび跡もなし 千歳を経てやわれは来つらむ(能因法師)
枯れにける松なき跡の武隈は みきと言ひても甲斐なかるべし(西行)

奥の細道、三ヶ月掛かってたどり着いた歌枕の地。
旅立ちの時の餞別吟。
 武隈の松みせ申せ 遅桜(挙白)

武隈の松にこそ、め覚る心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。
       (奥の細道) 
 桜より 松は二木を三月越し(芭蕉)

20081013武隈の松s-.jpg

芭蕉の見たものは、5代目、現在のものは7代目と言われている。
ただの松でなく、二股に分かれたものなので、相応しい姿をしたものを探して受け継ぐのも大変そうだ。
能因法師や西行は、見る事が叶わなかったが、その二人を追い続け、5代目を眼にした芭蕉の気持は如何ばかりか。


増田宿では例によって、明治天皇巡幸時に命名されたと言う、衣笠の松。
樹齢600年と言うがとてもそうは思えない。この日は松づくし。

20081013衣笠の松s-.jpg


日もとっぷりと暮れるが、距離を稼ぐ為に歩き続ける。

交差点中央に吊り下げられた、歩行者と車用の信号を兼ねた信号機には驚いた。
何故か仙台には多いようだ。

20081013懸垂式信号機s-.JPG


まるで蝋燭のような三本のTV塔を見ながら夜の名取川を渡り、長町で歩き終えた。
 
20081013仙台TV塔s-.jpg
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2008年09月06日

禁断の奥州街道(その17:七戸宿〜小湊宿)

七戸を出ると2010年に開通すると言う、建設中の新幹線七戸駅が見える。
町からはかなり離れているので、七戸町への直接的な経済効果は疑問があるが、十和田湖へのアクセスは良くなりそうだ。

20080906新幹線七戸駅s-.jpg


直ぐに、奥州街道には珍しい立派な松並木が見えてくる。
しかしこれは明治時代に植えられたもので、街道用でなくて牧場の軍馬の風除けだったとのこと。
源平合戦の宇治川先陣争いの名馬「いけずき」は七戸産とかで、その歴史を引き継いで、牧場が多い。

20080906七戸松並木1s-.jpg


道は途中で奥州街道下道と上道に分かれるが、上道の方を辿り、千曳の日本中央の碑歴史公園で伝・壷の碑の「日本中央」と刻された碑を見る。

20080906壷の碑s-.jpg

壷の碑に字を刻したとされる坂上田村麻呂は、ここには来ていないそうだが付近の地名が坪であったり、東奥紀行で「壺の碑は南部藩の七戸壺村にあり」とか記されていたりして、多賀城のものより比定するのに確度が高そうだ。

日本中央の字は大らかに描かれており、坂上田村麻呂が鏃で刻んだものではないにしても古代のロマンを感じさせるに十分だ。


野辺地手前では七戸と野辺地を繋いでいた南部縦貫鉄道のレールが、まだ草生す中に残っているのも、ひときわ侘しく見えた。

20080906南部縦貫鉄道s-.jpg


野辺地港で奥州街道で初めて海に出る。
ここまではひたすら内陸部で結構な山道も多く、海を見る感慨もひとしおだ。

20080906野辺地港常夜灯s-.jpg


野辺地からは今までとは一転して海岸沿いの道となる。
遥かここまで影響を及ぼしている戊辰戦争の跡や、津軽藩と南部藩の藩境塚などを見て、小湊宿で足を止めた。

20080906藩境塚s-.jpg


次に来るのは寒風吹きすさぶ冬の頃か。
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2008年09月05日

禁断の奥州街道(その16:五戸宿〜七戸宿)

五戸では天明の飢饉の時の、飢餓救済事業として行われたという江渡家住宅を見学。
まだ現役で使われている。
酒田市の本間美術館本館も冬季の失業対策として行われたというから、陸奥で昔からの公共事業の原型を見る思い。

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何故か五戸では、ハングル表記が目に付く。
韓国の人が多く旅行していたり、住んでいるとも思えないが不思議。
良い意味の国際化なのか。

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十和田市に入ると「駒の里」の表示が多い。
十和田というと反射的に十和田湖を思い浮かべるが、町村合併で十和田湖町と十和田市が合併して、新名称が十和田市となった。
十和田湖町は十和田湖を売り、十和田市は駒の里を売っていた経緯を引きずっているようだ。

ちなみに駒の里は明治時代、十和田市の前身、当時の三本木町に陸軍軍馬局出張所が開設され、3,000余頭の馬を管理していた事から来ているとか。

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ここは今は整った市街地だが、江戸時代は宿場は無く、茫々たる原野の三本木原だった。
新渡戸稲造の先祖が開拓発展させて今日に至るが、民度の高さをうかがわせる街並みだ。

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昨日と違って、間違いようの無い国道の一本道を歩き続けて七戸宿へ。
ここでは秋祭りに遭遇した。
どの地方都市でも町の疲弊は甚だしいが、祭りで沢山の若い人、子供たちを眼にするとほっとする。

七戸は2010年に新幹線駅も開業するので、心なしか人々の顔も明るく見えた。

163022s-.jpg 20080906新幹線七戸駅s-.jpg
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2008年09月04日

禁断の奥州街道(その15:三戸宿〜五戸宿)

三戸から野辺地までは、鉄道ルートを離れるので一気に駆け抜ける必要があり、中山道の大井から御嵩を遥かに凌ぐ不便さだ。

三戸で南部利康霊屋を訪ねるが、鞘堂となっていて内部の見学は諦める。

20080904南部公廟s-.jpg


高山峠越への山道へ入ると、半分山道、半分林道で標識など殆ど無く地図だけを頼りに勘で歩くことになるが、あちこちの分岐が紛らわしくて閉口した。
ここも歴史の道百選に選ばれているが、整備状態はお粗末だ。

しかしここも高山山頂には、明治天皇御駐蹕所の記念碑があり、明治天皇の足跡には恐れ入る。

20080904高山への山道s-.jpg  20080904高山山頂碑s-.JPG


山中に安達ヶ原鬼婆伝説の碑が立っているが、二本松の伝説とどう関係があるか。
道筋に不安が出る時に、僅かに一本だけ残った松を見るとほっとする。

20080904松s-.JPG


浅水宿からはまた、似たような山道になる。

今日は三戸から五戸まで、静かと言えば静か、見所が無いといえば見所の無い道筋だった。
街道歩きというよりは、トレッキングコースに最適で、一里塚と明治天皇の足跡だけが目標のような旅だった。
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2008年06月23日

禁断の奥州街道(その14:福岡宿〜三戸宿)

三日目は雨となり、斗米駅を降りる足取りもやや重い。
旧道はまだしも、国道で疾走する大型トラックのしぶきを浴びながら歩くのは気が滅入る。

名前が気にかかる金田一宿は雨の中、人っ子一人通らず見所も無い。
足早に通り過ぎる。

20080623金太一宿s-.jpg


この辺から、道探しの迷走が始まり、今もあるのか無いのかはっきりしない街道を探して、右往左往。
今日のお目当ての、岩手県と青森県の境にある蓑ヶ坂青森県側の登りり口にたどり着くと、とても歩ける状態で無い事が判明。
すごすごと、国道に戻り青森県側に大迂回。

20080623蓑が坂看板s-.jpg  20080623蓑が坂登り口s-.jpg


青森県側もあまり急坂ではないようだが、草茫々。

20080623蓑が坂青森県側s-.jpg


諦めて三戸への道を下り始めると古びた、案内標識を発見してこれに続いている道は轍の跡もあり、何とかなるのではと再チャレンジ。
なんとこの雨の日に、下草刈りの作業をしている人があり、感謝感激して、無事峠にたどり着く事が出来た。
これも天佑のようで、街道歩きの醍醐味か。

峠にはここも明治天皇の足跡だが、吉田松陰が若干21歳の時に東北遊学時に足を印しているのが意外だった。

20080623蓑が坂刈り込み後s-.jpg  20080623蓑が坂碑s-.jpg


三戸城の見学などでも予想外の時間をとられ、3時間で済む予定が9時間と、大幅な超過。
道迷い、道探し、行止り、迂回と悪戦苦闘の一日だった。

20080623三戸城門s-.jpg  20080623三戸駅s-.jpg


ようやく青森県に入ったが、これから先はまた鉄道から離れる為、アプローチに苦労する。
この次来れるのは何時の日か。


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2008年06月22日

禁断の奥州街道(その13:沼宮内宿〜福岡宿)

昨日とは打って変わって、20度も下がって気温は13度。
一日肌寒い中を歩く日だった。

一戸宿へ向かう途中は山道となり、自生しているルピナスが不思議。

20080622ルピナスs-.jpg


火行地区は明治天皇巡幸の折、「山また山の果てしなき地」と記されていて旅人がしばしば凍死したとか。
廃屋がさもありなんと思わせる。

20080622火行地区廃屋s-.jpg


山を下って再び街中に入るが、どこの町も立派に道筋が改修されていて建物も建替えられ、昔の装いが失われ、面白みがなくなってしまったのは同じだ。
そして、その道に人っ子一人姿が見えず、肝心の車も全く走っていないことも哀しいまでに同じ風景。

20080622小鳥谷s-.jpg


一戸宿手前で気に掛かる学校があり、何気なく写真を撮ったが、調べると安藤忠雄の設計。
楕円形の部分が気に掛かる。
大阪の、計画案だけの中の島公会堂のアーバンエッグ以来、楕円は安藤のテーマで、渋谷の新地下鉄駅の「地宙船」の楕円はどうか。

20080622一戸南小学校s-.jpg


一戸宿の実相寺には、雄木でありながら小枝の一部に雌花がつき、毎年ブドウ房状の実を結ぶという珍しい銀杏が。
国の天然記念物。

20080622実相寺銀杏s-.jpg

高速道路のインターへの導入路に散々悩まされながら、美しい日本の歩きたくなる道500選にも選ばれた「末の松山のみち」で波打峠へ。

ここは、海底からの隆起を示す交叉層が見られ、これも天然記念物。
末の松山は宮城にもあるが、霧の中どれが末の松山か。

 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは

20080622波打峠s-.jpg

福岡宿(二戸)では秀吉に反乱した九戸政実の九戸城跡を見学。
これも、つわものどもの夢の跡。

二戸の九戸だからややこしい。
二戸は地名で九戸は人名。しかし地名の九戸も二戸の傍にあり、更に混乱する。

20080622九戸城s-.jpg

意外と大きな福岡宿を抜けて、斗米駅で打ち止めた。
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2008年06月21日

禁断の奥州街道(その12:渋民宿〜沼宮内宿)

梅雨の雨空を避けて、東北に好摩からの奥州街道の続きに。
涼しい筈が31度の国道歩きは予想外。

20080621気温31度s-.jpg


街道沿いの巻掘神社は金精大明神を奉っていることで有名で、境内にも巨大な女陰石と男根石が鎮座する。
この神社は金精神の本源となる神社と言われて、由緒深いもの。

20080621巻堀神社s-.jpg


沼宮内で思わぬ雷雨にあって一休み。ここでは、北上川も小川のようになる。

20080621北上川1s-.jpg


銀河鉄道の御堂駅を過ぎると道はようやく国道を離れ、一息で御堂観音。
ここに弓弭の泉がある。
前九年の役で源頼義、義家父子が進軍した際、打ち続く炎暑に兵馬が苦しむのを忍びず、観音に救世祈念、義家が弓弭を持って岩にさしたところ、泉がこんこんと湧き出たのが謂れとか。
この泉が北上川の源流と言われていて、ずっと付かず離れずだった北上川ともお別れだ。

20080621弓弭の泉s-.jpg

何処となく北海道の開拓農村のイメージのある、畑の風景を通り過ぎ、一戸宿の手前で街道から離れ、最寄の奥中山高原駅で打ち止めた。

20080621農村風景s-.jpg 20080621遠景s-.jpg
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2008年03月05日

禁断の奥州街道(その11:白石宿〜槻木宿)

昨年の早い冬ですっかり御無沙汰していた奥州街道を、久しぶりに歩き継ぐ。
丁度この日は啓蟄で、閑をかこっていた足も眼を覚ます。

白石宿、宮宿、金ヶ瀬宿、大河原宿、船迫宿、槻木宿の6宿を折からの蔵王颪の寒風に悩まされながら。

まず白石では、列藩同盟の舞台となった白石城へ。
平成7年の復元だが、三層の天守は意外と小規模だ。
街中にある英語で書かれた東京街道の碑が珍しい。

20080305白石城s-.jpg 20080305東京街道碑1s-.jpg


白石は東北では珍しく、公共施設にデザインされた建物が多い。
芦原太郎の白石市第二小学校、八束はじめの白石市情報センターなどは街道からも見て取れるが、使いやすさはどうか。

20080305白石市第二小学校s-.jpg


この地方には日本武尊に由来するといわれる白鳥信仰があり、白鳥大明神を奉る、宮宿の刈田嶺神社の白鳥の碑も珍しい。

20080305白鳥碑s-.jpg


金ヶ瀬宿入り口では、東北では珍しいと言われる鉄の鳥居を持った大高山神社。
この辺から白石川沿いに一目千本桜が続くが、これから来ることがあるかどうか。

20080305大高山神社鉄の鳥居s-.jpg


昔の川の流れが変わったか、街道筋として不可解な逆U字型の道筋の船迫宿を過ぎて、すっかり暗くなり一日悩ませた蔵王颪に別れを告げる。
何故か、町の規模に不釣合いに近代的な槻木駅で一日を終えた。

20080305蔵王s-.jpg 20080035槻木駅s-.jpg
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2007年09月22日

禁断の奥州街道(その10:福島宿〜白石宿)

この日も快晴。
瀬上宿、桑折宿、藤田宿、貝田宿、越河宿、斎川宿と歩き継いで白石宿へ。

福島宿から少し街道を外れると、歌枕で有名な信夫山、信夫文知摺石があるが、又の機会として、足を進める。
 信夫山忍びてかよふ道もかな 人の心の奥も見るべく(業平)
 早苗とる 手もとや昔しのぶ摺(芭蕉)

この辺は赤瓦の家が多いが、瀬上宿の外れにレンガ塀、赤瓦の豪壮な旧家なども珍しい。

104553s-.jpg


桑折宿では旧伊達郡役所が保存されていて、北関東、東北に影響の強かった三島通庸県令が設計したとか。
そういえば同じく三島が影響力をふるった栃木の旧栃木町役場庁舎ともイメージが似ている。
伊達の方が40年ほど古いので、栃木町役場が参考にしたのか。

114130s-.jpg


桑折宿の街中に羽州街道との追分がある。
羽州街道は山形県、秋田県を経て青森に至る脇往還で、イザベラ・バードが辿った道と重なる所も多い。
これも又いつかと、血が少し騒いだ。

121613s-.jpg


藤田宿を過ぎると弁慶の硯石や義経の腰掛松の史跡がある。硯石は平泉から源頼朝のもとへ馳せ参じた時の史跡、腰掛松は金売吉次に手引きされて平泉へ行くときのもの。
同じ史跡でも上りと下り。

.


福島県の県境を越えて越河宿へ入る。ここからようやく宮城県。仙台藩。

白石宿では真新しい新幹線の駅に惑わされながら、日暮れの街に着く。

180302s-.jpg

白石探訪は又次回。
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2007年09月21日

禁断の奥州街道(その9:二本松宿〜福島宿)

この間は二本柳宿、八丁目宿、若宮宿、清水町宿とあるが、さしたる見所はなく、ずっと安達太良山が見どころか。

この日は快晴で、別名乳首山の別称がある訳も納得でき、昔登ったことを思い出す。
全体が寝仏のようにも見えるのだが。

131540s-.jpg


福島はまったく特徴のない街になって、時代を感じさせるものは殆どなくただの県庁所在地であるだけだ。
周りの自然が豊かなだけに、対比的に街のつまらなさが際立ってしまう。

街道で見かけた荒れた肌の土蔵が、美しい。

132804s-.jpg


明治のものだが、八丁目宿のめがね橋。空石積み工法の名橋とか。

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福島宿の名物、円盤餃子が予想外の拾い物。
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2007年09月09日

禁断の奥州街道(その8:杉田宿〜二本松宿)

行きと帰りで11時間、18切符使いきりの奥州街道はかなり乗り疲れ。

二本松宿自体は例に漏れず、戊辰戦争で殆どの建物が被害を受けて昔を示すものは皆無。
街道から足を伸ばして見学し、山麓によく霞がたなびいたので霞ヶ城とも呼ばれた二本松城もそのとき焼失。僅かに再建された箕輪門と本丸の石垣だけが往時の巨大さを偲ばせる。

144541s-.jpg


これも街道を外れるが、芭蕉も足を伸ばした謡曲でも有名な安達が原の黒塚。
 陸奥の安達が原の黒塚に 鬼籠もれりと言ふはまことか
                    (平兼盛)

いまもおどろおどろしい岩屋の佇まいは、平安時代の怨霊が生きているようだ。鬼が籠るの今も昔も岩屋でなくて人の心にか。

160756s-.jpg


街道にもどって、智恵子抄の智恵子の生家に立ち寄る。
記念館が併設されているが開館時間に間に合わなかったのは、鬼の祟りに違いない。

163401s-.jpg

 あれが阿多多羅山
 あの光るのが阿武隈川

安達太良山も昔の郡司の安達太郎をその子供が安達太郎山明神として奉ったことが謂れと言う事を知る。
安達太良山は残念ながら、終始霞の中。

安達駅から長い帰路につく。
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2007年09月03日

禁断の奥州街道(その7:郡山宿〜杉田宿)

今年は酷暑の夏で一歩も動けず、ようやく奥州街道の近場の方を郡山宿から再開。
郡山宿へは丁度一年ぶりの御無沙汰だった。

20070901街道碑s-.jpg


福原宿、日和田宿、高倉宿、本宮宿、杉田宿と歩き継ぐ。
名所旧跡は殆どないが、時々松並木が現れて街道の風情を少し楽しめる。

20070901松s-.jpg

実り始めた稲穂の色が変わる季節と変わらぬ営みを示して、目に優しい。

20070901稲穂s-.jpg


京から五百番目の川という五百川も謂れを聞けばそれらしい。

20070901五百川s-.jpg


18切符のため行き帰りに殆どの時間を取られ、最後は時間が足らなくなり、3kmほど走ったのも御愛嬌。

帰りは宇都宮で恒例打上餃子を食べてから、お楽しみビールとともに車中の人になる。
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2007年06月24日

禁断の奥州街道(その6:花巻宿〜渋民宿)

歩いた道沿いはずっと盛岡藩で飢饉こそ頻発したが、戦乱や大きな歴史的出来事、史跡も少なく、北上川に付かず離れず、岩手山を眺めながらの淡々とした街道歩き。

花巻を出ると石鳥谷宿だがこの辺は、14kmに亘って一直線の道が続く。旧道自体が直線で、いかに障害物・起伏が無い土地柄かが良く顕れている。提灯の灯りで道路線形を測ったとか。
歩いた街道の中では旧街道では一番長い直線路。

20070623i石鳥谷直線路s-.jpg


日詰郡山宿では、何故か銭形平次にちなんだ碑などが。聞くと野村胡堂がこの地の出身。
互違いの窓が付いている、不思議な雨戸のある由緒ありそうな建物。平井邸と言い、原敬の来訪のために建てたとか。一切の説明がないのは残念だ。

20070623平井邸s-.jpg


盛岡に近づくと徳丹城の史跡。
大和朝廷が東北支配のため813年に最後に築いた北の砦だが、柱の跡だけが示されて古の便を示していた。

20070623徳丹城s-.jpg


盛岡市内は新旧の見所の多い建物が多く、屋根のない博物館といわれている。
辰野金吾設計の旧盛岡銀行本店が有名だが、旧九十銀行もロマネスク調の素晴らしい建物で、設計は横濱勉。
今は啄木・賢治青春館となって動態保存されていて、二人が同じ盛岡中学に学んだことを知る。

20070624旧九十銀行s-.jpg


盛岡でゆっくりしすぎて、急ぎ足で渋谷村へ。
2年前登った岩手山が、暮れ行く空に現す南部富士の名に恥じぬ優雅なシルエットも、啄木の歌を思い出させる。

 かにかくに渋民村は戀しかり おもいでの山おもいでの川

20070624岩手山s-.jpg


啄木記念館では啄木が教えた旧校舎や、間借りしていた家が保存展示されている。
足元に北上川を眺める渋民公園にある、全国第一号の啄木の碑には

 やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

20070624啄木碑s-.jpg

その歌の通り、北上川の岸辺には新緑の柳も風にそよいでいた。

20070624北上川(渋民村)s-.jpg


当時はまだ渋民駅はなく、好摩駅が啄木が様々な思いを抱いて乗降した駅。
暮れなずむ中、好摩駅まで歩いて旅を終えた。

 霧ふかき好摩の原の停車場の 朝の虫こそすずろなりけれ

20070624好摩駅s-.jpg
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2007年05月24日

禁断の奥州街道(その5:金ヶ崎宿〜花巻宿)

この日は金ヶ崎宿、黒沢尻宿、花巻宿と歩く。

金ヶ崎宿には街道からは外れるが、旧武家屋敷跡の伝建地区があって28棟の建物が指定されている。
築地塀形ドウダンツツジの、大刈り込みで有名な細目家を拝見。

20070524大刈込s-.jpg


和賀川の手前に、仙台伊達藩と盛岡南部藩の藩境塚が復元されている。
ここからはいよいよ南部藩。

20070524境塚s-.jpg


今は北上市の黒沢尻宿では、少し立ち寄りして二年前に訪れたが目通りしなかった北上川へ。対岸の展望園地は東北有名な桜の名所なので季節を違えて訪れたいが、その機会があるかどうか。

20070524北上川s-.jpg


街道筋に二つ続けて左右の塚が原形をとどめている双子一里塚と成田一里塚。連続して見た記憶はない。写真は成田一里塚。

20070524一里塚s-.jpg


この辺でよく見かける蔵の意匠が美しい。

20070524倉s-.jpg


花巻宿に近づくと、史跡よりも宮沢賢治の息遣いが感じられる。
街道から外れて賢治ゆかりのイギリス海岸を見に行ったが、あいにくの北上川の増水で泥岩は川面の下。

 「イギリス海岸の歌」  宮沢賢治
 Tertiary the younger Tertiary the younger
 Tertiary the younger Mud-stone
 あおじろ日破れ あおじろ日破れ
 あおじろ日破れに おれのかげ

 Tertiary the younger Tertiary the younger
 Tertiary the younger Mud-stone
 なみはあをざめ 支流はそそぎ
 たしかにここは 修羅のなぎさ

20070524イギリス海岸s-.jpg


衣川以北は戦乱の後も少なく、平穏さが感じられる街道の佇まいだったが、見るべき歴史の跡も多くない。
あれこれ望むのは贅沢と思いつつ、花巻で今回の陸奥の旅を打ち上げた。
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2007年05月23日

禁断の奥州街道(その4:一関宿〜金ヶ崎宿)

一関宿〜山目宿〜前沢宿〜水沢宿〜金ガ崎宿と北上する。

一関宿を出て山目宿では日本百庭園で有名という配志和神社に詣でる。姥杉とも千年杉といわれる杉が見事。

20070523姥杉s-.jpg


昨日見学した中尊寺入り口では見落としていた、武蔵坊弁慶の墓。

20070523弁慶墓s-.jpg


奥州街道ではずっと一緒だった、芭蕉の行跡とは平泉で袂を分かつ。
衣川を過ぎると史跡も減り、淡々とした街道歩きとなるが、例によって新しく出来た道に迷わされ、起きる筈のない道迷いしばしば。

北上川の堰堤がずっと改修されており、巨大土木工事を正当化するための台風の水位の掲示がわざとらしい。

台風跡水位s-.jpg


前沢宿では、今は前沢牛が有名だが街道筋では、気の利いた店など見出せず水沢宿へ急ぐだけ。
水沢宿は昔の蝦夷の酋長、アルテイの本拠地。
偉人の町とも言われ高野長英、後藤新平、木村栄などが輩出している。
街並みも清潔で活力があり、ありがちな街道の街の侘しさとは無縁だった。

新潟地方には多い雁木つくり風アーケードを、突然変異的に水沢で見たのは意外。それも全て雁木の上にも住居スペースがある造りこみ式雁木。

20070523水沢雁木s-.jpg


金ヶ崎近くの、胆沢城の跡は僅かに土盛りを残すのみで、坂上田村麻呂とアルテイの戦いは茫々たる草莽に埋もれていた。

20070523胆沢城s-.jpg


夕なずむ栗駒山と鏡田に映る陽を見ながら、この日を終えた。

20070523栗駒山s-.jpg
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2007年05月22日

禁断の奥州街道(その3:平泉界隈)

日光例幣使道、善光寺西街道と西東。今度は一転北上して奥州街道へ。
郡山宿まで到達しているが、見所多い一関まで一気に途中を飛ばし、一関宿、山目宿、前沢宿、水沢宿、金ヶ崎宿、黒沢尻宿、花巻宿と歩き継いだ。

平泉には、藤原三代の栄華中尊寺、毛越寺、義経の最期の地、高館など歴史上の史跡数限りなくあり、いくら時間があっても足りず、ここだけは日をとって見学した。

束稲山の桜は往時は1万本で西行を感激させが、高館の義経堂は歴史の英雄にはあまりに相応しくない侘しさだ。

 聞きもせず束稲山の櫻花 吉野のほかにかかるべしとは(西行) 

20070522束稲山s-.jpg  20070522義経堂s-.jpg


中尊寺の覆堂の中の金色堂は、言うも愚かな栄華を伝え続けている。

金色堂.jpg             

毛越寺も何十年も前訪れたが、往時の堂宇ひとつ残っていない姿は清明だ。
大泉が池を取り巻く潤いはとめどもなく雅で、藤原三代の願いと夢を揺らぎ現していた。

20070522毛越寺庭園s-.jpg
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2006年09月17日

禁断の奥州街道(その2:笠石宿〜郡山宿)

二日目は青春18切符使い切り最後の日9月10日に、笠石宿の最寄の駅、鏡石駅から。

この街は「牧場の朝」の歌で有名な日本初の西洋式牧場の岩瀬牧場があり、コミュニティセンターを兼ねたJRの駅にも鐘がある。
毎時毎時にキンコンカンと鐘が鳴る。

20060910鏡石駅.JPG


須賀川宿は芭蕉の8日もの滞在で有名で、ゆかりの文物が多い。
残念ながら明治時代の大火で、町は焼き払われ、相楽等躬宅や可伸庵は跡の碑が残るのみ。

「世の人の見付けぬ花や軒の栗」
「風流のはじめや奥の田植え唄」
「五月雨の滝降りうづむ水かさ哉」

十念寺で、女流俳人市原多代女によって建立された芭蕉の碑など見る。

20060910十念寺.JPG

多代女辞世:「終に行く道はいづくぞ花の雲」

ここは、東京オリンピックの悲劇のヒーロー円谷幸吉の菩提寺でもあり、鶏頭の咲き乱れる霊前を詣でた。


笹川宿、日出山宿、小原田宿、と進むがいずれも戊辰戦争の傷跡深く町並みは殆ど残っていない。

逆に残存している夥しい石碑群が対照的だ。

20060910石碑群.JPG

郡山宿で旅を終える。
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2006年09月09日

禁断の奥州街道(その1:白河宿〜笠石宿)

青春18切符使い切りのため、中山道の妻籠から先に行く予定がうまく宿が取れずに、一転北上奥州街道へ。

官制の奥州街道は白河までの190km、その先青森の三厩までは更に590kmとか。東海道が492kmだからそれに余りある。
最終地は津軽海峡を渡っての松前。

「白河以北 一やま百文」といわれていたが、今はどうか?

ついに踏み出してしまった禁断の奥州街道白河以北。
足の便も悪く何年かかるか分からないが、季節季節に歩きたい。

今日の行程、南会津は戊辰戦争の傷跡が深く、宿場は殆どが戦火で焼失し味わい深さは見当たらない。

しかし、田園は刈入れ前の稲穂の輝きが美しい。

20060908水田風景.JPG


根田宿では娘道成寺で有名な安珍・清姫の安珍の墓が木立の中に埋もれていおり、さすがに恨みで焼き殺した清姫も、これでは不憫と思いそう。

20060908安珍墓.JPG


踏瀬宿では福島随一といわれる明治時代の松並木が良く保存されている。
元はおよそ200年前、白河藩主の名君松平定信が植えたものの。

20060908五本松松並木.JPG


根田宿、小田川宿、太田川宿、踏瀬宿、大和久宿、新田宿、矢吹宿、久来石宿と歩き継ぎ、笠石宿で禁断の旅の初日を終える。

鬼が住むか蛇が住むか、陸奥の街道は官制から外れるため、宿場の規模も小さく歴史の題材も侘しい。これからの旅に期待したい。
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