2013年11月07日

秋葉街道(その1:相良〜掛川)

少し前に塩の道の一つの杖突街道を茅野から南行したが、今回は南の相良から北行してみた。
ここは家康の頃から塩田が奨励されていたと言うが、遠州灘沿いには塩田の適地になりそうなところが数多く、なぜ相良が塩の道の出発点になったのかはかなり謎だ。

相良は相良藩があり有名な田沼意次も藩主となり築城したが、意次の失脚後城は破却されていて見当たらない。
本丸跡は牧之原市資料館があるが、パスしてまずはスタート地点へ。

街道の起点には塩の道の碑があり、この碑はこれから先も街道の要所要所に建っており旅の道連れとなったが、モニュメント的意味合いでなく、もう少し情報を加えてもらえば有難かった。

市街地の街道沿いには、塩の道案内所もあったが、平日なので資料や人は見当たらない。

園坂から見返すと茶畑越しに相良の町並みと太平洋が見え、なにやら巨大な建築物が見える。
これは萩間川相良水門で、水門には全く不必要な立派な屋根がついており、公共事業いの無駄使いの典型がこのようなところにも見受けられる。

20131030塩の道起点s- .jpg  20131030塩の道案内所s-.jpg  20131030園坂からの見返しs- .jpg


平坦な牧之原台地を一直線に進んでゆく街道は、一面の茶畑しか見当たらない。牧之原台地自体が明治以降の新興開拓地なので当然ながら由緒ある社寺は殆ど存在しない。

街道の迷いがちな分岐点には、「秋葉道・塩の道踏査研究会」と記された案内標識があって心強い。
しかしこの標識の矢印が曲者で、見る位置によってどのルートを示しているのか曖昧な事も多く今回は助けられもしたが、かなり悩まされもした。
これが秋葉山を過ぎて逆方向からも付いているだろうか。

また、真新しい小ぶりな塩の道の石碑も要所要所に設置されている。これは裏面に「平成十年度小笠町郷土研究会」とあり、色々な研究会が競っている。

20131030台地上の道s-.jpg  20131030案内標識s-.jpg  20131030塩の道石碑s-.jpg


これだけ標識があっても何故か、道迷い、
謂れありげな名前の塩買坂を過ぎてから、塩の道踏査研究会の案内標識に従って茶畑の中の旧道に入ると道筋が不明となり、掛川までの数少ない寺の名刹正林寺を見落としてしまったのは悔やまれる。

杉森と言う場所にある応声教院は、山門が重文だ。
境内には雑多な石像が多数あり、酒樽を模した堂の中にのんべえ地蔵なるものもある。
これと同じようなものを秩父巡礼の札所十六番西光寺でも見かけたが、そちらは大黒様、こちらはお地蔵様。
梵鐘の龍は、その両眼は純金、爪と牙は純銀で日本唯一との説明があった。

20131030応声教院山門s-.jpg  20131030のん兵衛地蔵s-.jpg  20131030応声教院鐘s-.jpg 


あちこちで幟立てに木の枝を差しているものを見かけたが、どういう風習だろうか。

20131030幟立てs-.jpg


家康が掛川城攻めのときに陣地にしたという陣場峠へ茶畑の中を上ってゆくと、ようやく掛川市街を見下ろすことが出来る。
峠を下り、キリシタン灯篭のある大日寺を過ぎる頃は日もとっぷりと暮れ、刻まれているのがマリア様か如来かは定かでなかった。

20131030陣場峠 (2).JPG  20131030キリシタン灯篭s-.jpg  20131030大日寺s-.jpg


posted by 遊戯人 at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 塩の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月12日

杖突街道(その1)

塩の道は、相良、掛川から塩尻までの南塩、塩尻から糸魚川までの北塩とその距離も350kmに及び、派生しているルートも多く興味津々の街道だ。

しかし何せ、足の便が悪く、一筋縄では行きそうに無い。
取っ掛かりとして、塩尻から南下する塩の道の一部として、茅野から高遠までの杖突街道を歩いてみた。

杖突街道の入口は諏訪大社上社本宮と前宮の間にあり、道標がある。
道標には「従是北 高島江 一里二十丁 東 金沢宿 二里ニ丁 南 御堂垣外宿二里二十丁」と刻まれている。
高島は甲州街道の上諏訪の高島、金沢宿も甲州街道だ。
南に向かう杖突街道は、高遠の御堂垣外宿を通る。
二里二十丁は意外と近いが杖突街道はバス便も何もないので、今日は行っただけ戻らなければならない。何処まで行けるか。

20130910杖突街道道標s-.jpg


高部遺跡や塚屋古墳を過ぎると、道は下馬沢川沿いの道となり、急な上りが続く。
諏訪はフォッサマグナの糸魚川・静岡構造線と中央構造線が交わり、杖突峠までの登りは正に中央構造線沿いに登って行く。
登り口の標高は770m、杖突峠は1,247mなので標高差は500m弱にもなる。近くの中山道の塩尻峠は標高は1,050mなのでそれを遥かに上回る。

小袋石が森の中にあり、小山のような巨石の姿だ。
磐座信仰遺跡の一つという説明書きがあり、別名舟繋ぎ石とも言い、古代の舟繋ぎ石として言い伝えられていると。確かに頂上部が舟を繋ぎやすい形のようだ。
このような山中に舟繋ぎ石も不思議だが、太古は諏訪湖の水は標高900m付近まで水を湛えた巨大湖で、その一部が決壊して縄文の頃は標高800m程度の水面になったと言う。
巨大湖は石器時代以前の先住民もいない太古の時代で辻褄は合わないが、ロマンのある話。
ミシャクジ神やら、守矢氏やら、何があっても不思議と思われない諏訪では、何となく納得してしまう説明だ。

20130910小袋石-.jpg


街道は数箇所分岐があるが、勿論何の標識も出ていないので紛らわしい。
所々に小さな祠や、苔生した石碑があり、街道だと確認できる。

20130910杖突街道1s-.jpg  20130910小祠s-.jpg   20130910石碑s-.jpg


道は川の源流を過ぎると、大曲、七曲という方向感覚が狂う曲がりくねった道筋となる。
眺望は殆ど無いが、一箇所だけ茅野方面を見下ろして八ヶ岳が遠望できる地点がある。

20130910八ヶ岳遠望s-.jpg


街道は程なく国道152号線に合流し、杖突峠に達するが何の標識も無い。
峠を越えると伊那市の高遠になり、杖突街道の標識が初めて現れる。

古屋敷に入ると、今度はまた小袋石が現れた。
説明には『四丈四方(12メートル四方)の袋形をしていることから「小袋石」と言われている。』と書いてあったが、せいぜい1.2mくらいの石で四尺四方の間違いだろう。

20130910杖突街道碑s-.jpg  20130910高遠小袋石s-.jpg


古屋敷に守屋神社があり、蘇我馬子と争って破れた物部氏の落人が定住し物部守屋を祀った神社という。
古屋敷自体が物部氏の居住地で、守屋山もあり、諏訪の神長官守矢氏と関係があることも間違いない。
この辺の絡み合いは、複雑怪奇で街道歩きの話題としては悩みが多すぎる。

20130910守屋神社s-.jpg


この先も面白そうだが、バスもないので、ここから戻る事にする。
4月の桜の頃だけバスが運行されるので、歩き継ぐのはその時だろうか。

152号線で茅野まで戻ったが、信州三大展望と言われる峠の茶屋から見晴るかす、八ヶ岳から塩尻峠までのパノラマビューが素晴らしい。
日本武尊が杖を突いて休んだ事から杖突峠と名付けられたというが、日本武尊もこの景観を楽しんだだろうか。
山に挟まれた地形を眺めると、太古の時代は巨大な湖があったことも間違いないように思われる。

国道を下ってゆくと細い脇道があり、「古代の交通路こかい峠口」の説明板と石碑がある。
説明板には、この道は古代の東山道で「こかい」は「小飼」とも「小海」ともいわれ、坂上田村麻呂や伝教大師も通ったと書かれている。
隣には比較的古い石碑があるが、「志つか雲山一夜道」と刻まれている様に見え、東山道とは無関係のようだ。

20130910峠の茶景観s-.jpg  20130910東山道碑s-.jpg


縄文人、出雲族、大和族、物部氏、守矢氏、東山道と慣れぬ歴史で混乱しながら、歩き終えた。
posted by 遊戯人 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 塩の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。