2013年05月03日

大山街道糟屋道

この街道は平塚の須賀湊から北上し、上谷で柏尾道に合流、更に下糟屋で青山道を合わせて大山へ達する。
中原街道や、田村道と交錯するのも中原豊田道と同じで、兄弟ルートともいえるが、地方からの舟便を利用した人向けの参詣ルートといえる。

須賀湊の外は馬入川で、河口直ぐに太平洋の景観が広々と。
舟を下りると直ぐに大山の姿が見えて、古の旅人も心が弾んだろう。
今は平塚漁港が設けられており、近所の魚屋には活きのよい地物の魚が売られているが、これからの旅の時間を考えると持ち帰れないのが残念。

20130503馬入川河口s-.jpg  20130503須賀湊s-.jpg  20130503魚屋s-.jpg

 
札の辻から、平塚駅までは直線的に他の道と45度の方向に交差する道筋となっており、昔からそうだったようで、その理由は不明。

20130503札の辻s-.jpg


真新しく立派な長楽寺で四臂青面金剛の庚申塔を見る。ニ猿を従えており神奈川県内に6体しかないと言う珍しいもの。
少し先の三嶋神社は大山祇命・事代主命が祭神で事代主命はえびす様。本殿の前に大きな像がある。
ここも戦災で消失し、木材の入手が困難な折に大山から苦心の末に調達して仮社殿を建てたと言う碑があった。

20130503青面金剛s-.jpg  20130503三嶋神社s-.jpg


平塚駅を越えて、駅前交差点には一等地の道の両側二区画を同じデザインの東横インが占拠していて、残念な景観だ。

20130503東横インs-.jpg


直ぐに平塚八幡宮に突き当たる。
ここはHPではトップページに「相模國一國一社の神社」を標榜しているが、奇異な感もする。
「一国一社の八幡宮」ではあるが、相模の国の一宮は言わずと知れた寒川神社と鶴岡八幡の筈。この辺の事はよくわからない。
五月五日がここの相模国府祭で、僅かのところで見逃すことになる。

20130503平塚神社s-.jpg


あまり見所もなく淡々と歩いて、気掛かりな地名の真土でお馴染みの中原街道と交差する。
真土神社の参道を中原街道が横切っており、立派な碑が建っている。7年前にさらりと中原街道を歩いたの時もあったに違いないのだが。
真土神社の鐘楼に珍しい四神の蛙股があり、”西の白虎は女性に子宮と安産を授けて夫婦円満を導く、(この白虎はおなかが大きい)”との説明がある。
女性に子宮と安産と言うのは、子宝と安産の間違いだろう。確かにおなかが大きいが、どの白虎もそうなのだろうか。

20130503中原街道碑s-.jpg  20130503真土神社説明版s-.jpg  20130503真土神社蛙股s-.jpg


横内で新幹線を過ぎると、大山の景観が開ける。

20130503大山s-.jpg


明後日が端午の節句なのに、この街道で一つも見かけなかった鯉幟。ようやく元気にはためく姿を見てほっとする。
少子高齢化の日本とはいえ、北関東の街道ではあちらこちらで見かけたが、南関東はすこし風習が違うのかもしれない。

20130503鯉幟s-.jpg


歌川を源氏橋を渡ると、前面に大山が広がる畑の中の気持ちの良い道筋となる。
そばに「あやめの里」があるので立ち寄ってみた。
あやめと言いながら実際は花菖蒲を植えており、6月にあやめ祭りが開かれて賑わうようだ。
ここは減反政策の一つとして、昭和60年から米作を止める替わりに花菖蒲を植えて観光農業をしている。
まだ菖蒲には早いが、手入れをしていている方に話を伺うと、手入れをする人も高齢化して、放棄している部分も出始めており、市の助成も減って毎年の2週間のあやめ祭りが今年から1週間に縮小されたとの事。
ほんの一筋向こうが渋田川だが、渋田川の芝桜も話のついでに出て、やはり最近は手入れもお座なりになり貧相になってしまったという事だった。

あやめ園から見える大山は、人さまの事情に関係なく素晴らしかったのだが。

20130503中原豊田道合流点道標s-.jpg


道筋は渋田川に突き当たり、道標が建っている。ここが先日歩いた中原豊田道との合流点になる。

20130503あやめ園s-.jpg


あれもこれも、五月晴れのなかの日本の姿と思いながら、先日と同じに、愛甲石田駅まで歩いて旅を終えた。


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2013年04月29日

大山街道中原豊田道

大山街道中原豊田道は平塚から北上し、伊勢原の上谷で柏尾道と糟屋道に合流、更に下糟屋で青山道に合流する。
平塚では、部分的に中原街道とも重複し、この日も昔歩いた道に数多く懐かしく出会った。

平塚駅から東海道を西に向う。この道を歩くのは2001年以来で、その時の様相を全く覚えていない。
見付跡、脇本陣跡や高札場跡の碑が残る。
見附台公園横に、崇善公民館‎があり威容を放っている。昭和25年に建てられて議事堂として使われた建物だが、残念ながら平成27年までに解体されてしまうようだった、

20130429江戸見附s-.jpg  20130429高札場跡s-.jpg  20130429崇善公民館s-.jpg


大山街道に入る手前バス停に、豊田道という停留所名が残っている。
地名は町村統合で、全く無味乾燥な歴史を伝えないものに変わってしまうが、バス停は昔の名前のものが残っていること多く、辛うじて歴史を伝えてくれる。

道は東海道を離れて中原豊田道になるが、少し道筋を離れ平塚の塚に立ち寄る。
桓武天皇の三代孫高見王の娘政子が天安元年この地で逝去し、墓が築かれたがその塚の上が平らになったのが平塚の地名の由来という。
塚の付く地名の由来には、赤塚もそうだが墓に起因するものが多い。

20130429豊田道バス停s-.jpg  20130429平塚の塚s-.jpg


街道は直ぐに大山街道矢崎道と重なり、更に中原街道とも重なる。
中原街道の高札場跡を過ぎると、家康が中原御殿鎮護のために作った日枝神社がある。

20130429中原街道高札場跡s-.jpg  20130429日枝神社s-.jpg


日枝神社の真新しい絵馬に、中原御殿の家康の鷹狩りの由来が描かれていた。
ここには東照大権現もあり、さすが家康の歴史の色が濃い。
境内には「平塚ステーンショ道」と刻まれた、大山街道の道標を兼ねた珍しい庚申塔もある。

20130429絵馬s-.jpg  20130429東照大権現s-.jpg  20130429庚申塔s-.jpg


渋田川を渡ると、見慣れた大山が姿を現す。

豊田に入ると「豊田本郷駅」と表示されたバス停がある。
神奈川中央交通が国鉄と連携輸送を行っていた時はこのバス停で国鉄の切符も販売していたとの事で、駅という名称が残っている。これも歴史を残すバス停名称の一つ。
神奈川には他にも大山駅、愛甲田代駅が残っているそうだ。

20130429大山s-.jpg  20130429豊田本郷駅バス停s-.jpg


端午の節句が間近なので、祝う幟が舞っている。
今の季節は街道を歩いても、風にはためく鯉幟を見かける事がめっきりと減り、地方でも子供が少なくなっている事を如実に感じる。

20130429幟s-.jpg


新幹線手前の青雲寺は、家康鷹狩りの折のお茶を入れた名水で有名と言い、「おちゃやてら」の石碑がある。
境内には見慣れた不動明王の大山街道道標もあり、やはり大山は不動明王だ。

20130429おちゃやてらs-.jpg  20130429不動明王道標s-.jpg


この辺の畑では、時たま懐かしいれんげ畑を見ることが出来る。
散発的にしか見かけないのは、農家の方が趣味的に残しているのだろうか。

20130429れんげ畑s-.jpg


小鍋島の八幡神社は、震災の被害だろうか、鳥居が単管で補強されていて悲しい姿となっていた。

20130429小鍋島八幡神社s-.jpg


渋田川手前で、少し前に歩いた大山街道田村道に交差する。ここからは渋田川沿いの道となる。
下谷に八幡神社があり、立派な不動明王道標と珍しい「衜祖神」と彫られた道祖神がある。

20130429八幡神社不動明王道標s-.jpg  20130429八幡神社不動明王s-.jpg  20130429道衜神s-.jpg


渋田川は芝桜の名所で、なかの橋あたりから河畔に植えられており、花の盛りは終わっていたが何とか残り花を楽しむ事が出来た。

20130429芝桜1s-.jpg  20130429芝桜2-.jpg


ここの芝桜は、地区の故鈴木健三氏が奥多摩から一株の芝桜を持ち帰って植えた事が始まりとされている。
関東には秩父の羊山公園や本栖湖の富士の芝桜、秦野の引地川の芝桜など多くの芝桜の名所があるが、自治体が整備したり、民間の施設が有料で公開してるものが多い。

渋田川の芝桜は、愛好会が管理している様だが、原則は自分の家の前のものはその住人が整備するという事になっているらしく、いかにも土地に根ざした良い方法に思える。
そのためか、逆にあまり人気のなさそうな家の前の芝桜の手入れはおざなりだったような気配もした。
数年前よりも、芝桜が貧弱になっているというネットでの書き込みも見受けられ、美しく咲く花の裏にも良くも悪しくも人の営みが見えてくると考えさせられる。

今は有名になった相模原新戸芝桜は、渋田川の芝桜の苗を譲り受けて育てた事が始まりとされて、渋田川の芝桜も栄枯盛衰しているようだった。

渋田新橋で柏尾道に合流し、少し先の柏尾道道標をやり過ごしてから何時ものように青山道で愛甲石田駅まで戻って歩き終えた。

20130429柏尾道道標s-.jpg


沢山の大山街道と出会ったが、あと何百年先にも残るものは道標かなと思いながらの、春の一日ではあった。
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2013年04月18日

大山街道田村道

大山から江ノ島に繋がる田村道は、大山に参拝した人々が帰りに使うことが多かった。
この道は江ノ島弁財天を詣でるが、それは片詣を避けるためとも言われている。
今までは大山街道は大山方向へ歩いたが、今回は慣わし通りに大山に背を向けて石倉橋からスタートした。ここは青山道との追分になる。

石倉橋周辺は県道603号線の整備のために仮囲いが設けられており、石像も移設されている。
腰掛不動と額の掛かった真新しい建物に、彩色も鮮やかな不動尊が祀られている。移築の際に新たに着彩されたのだろうか。

20130418石倉橋仮囲いs-.jpg  20130418石倉橋石像群s-.jpg  20130418腰掛不動尊s-.jpg


青山道との追分を過ぎて二の鳥居があり、鳥居を通して真正面に大山が見える。
この鳥居は関東大震災で倒壊し再建されているが、鳥居の向きが現在の道でなく、旧道に沿った方向となっており、交差点先の山王中学校沿いにその道が残存しているらしかった。

20130418青山道追分s-.jpg  20130418二の鳥居1s-.jpg  20130418二の鳥居-.jpg


直ぐ傍に国指定の登録有形文化財の旧代官の山口家住宅があり、旅人のために門を開放して水を供したという巽の井戸や、雨岳文庫資料館も敷地内にある。
日曜しか開館しておらず、外観を見る事しか出来なかったのは残念。

20130418山口家s-.jpg  20130418巽の井戸s-.jpg


伊勢原駅に近づくと歩道がレンガタイルとなり、花の鉢のための気の利いた支持台や綺麗に手入れされた花が植えられており、環境に対する市の姿勢が垣間見える。
 
20130418花鉢用台s-.jpg


伊勢原大神宮を詣でる。
伊勢原の地名は、伊勢の国の山田曾右衛門が大山詣の後、そのままこの地に住み着き、故郷の伊勢神宮を勧請・奉祭し、そのため地名も伊勢原となったと言う。

この神社には、銀杏、楠、欅の3本の御神木がある。
その一本の欅の枝が無惨に伐られており、境内をご奉仕で掃いていた方に伺うと、落ち葉のせいと言う。
落葉樹の落ち葉は当たり前の事だが、敷地外の住宅の樋に詰まるものを、ご奉仕の人が掃除していたが、皆高齢化して樋に取り付く高所作業が出来なくなって宮司が伐ることに決めたとの悲しい話を聞かされた。
人の寿命はせいぜい100歳だが、何百年も生き永らえるだろう御神木は無惨な姿と成り果てた。

20130418伊勢原大神宮s-.jpg  20130418伊勢原大神宮の欅s-.jpg


伊勢原駅前に立派な鳥居があるが、これは一の鳥居でもなく、この鳥居から伸びる道が大山道でもないと言う少し不思議な鳥居。

20130418伊勢原駅前の鳥居s-.jpg


駅を抜けて直ぐの、三福寺の子の権現社には草鞋が。八重桜の散る鉢には大賀ハスが植えられていた。

20130418山福寺子の権現s-.jpg  20130418三福寺蓮s-.jpg 


日向道との分岐の直角に折れるT字路に、地蔵が載った珍しい道標がある。
普通は大山道は不動の筈だがと思ってよく見ると、首から上が挿げ替えられている。この道筋で同じような道標を数点見たので地蔵信仰が強いのだろうか。

20130418地蔵道標s-.jpg


傍の八坂神社には入口に田村道の道標があり、境内にはご神木だった天王松の巨根が、往時の写真と共に屋根を掛けて保存されている。
目通り6Mの巨木だったそうだが、惜しくも昭和49年に枯れたとの事。まだ生きているのに枝を無惨に刈り払われた伊勢原大神宮の欅とは大違いだ。

20130418田村道道標s-.jpg  20130418天王松s-.jpg  20130418天王松写真s-.jpg


東円寺にある「こがの渡し舟つなぎ松」の碑を見る。
大きな川もないのに不思議に思えるが、この辺は今も水田のある低湿地で、昔は舟でないと渡れなかった事から東西に舟繋ぎの松があり、西が東円寺、東が小鍋島の長島にあったらしい。

レンゲ畑を眺めながら、下谷で豊田道と交差してから渋田川の自然堤防の上をのんびりと歩く道は長寛だ。

20130418舟繋ぎ松跡s-.jpg  20130418れんげ畑s-.jpg  20130418渋田川s-.jpg


旧田村十字路に十王堂や田村道の道標がある。
田村の地名は坂上田村麻呂がここに一時逗留した事から来ているといわれるが、この由来の地名も日本全国にある。
田村の渡跡碑を見てから、相模川を渡り寒川町に入る。

20130418田村の渡し跡s-.jpg  20130418相模川s-.jpg


一宮緑道として旧相模線支線が緑地化され、西寒川駅跡が八角広場として整備されている。
街道の左右に軌道跡もかなりの長さで残存して、少し前まではお祭りの時に列車も走らせたそうだが、今は何の説明版もなく置き去りにされていた。
枕木が一本一本割れを防ぐために、鉄輪が打ち込まれているのが興味深い。

20130418一宮緑道s-.jpg  20130418軌道敷s-.jpg


この先少しの区間、中原街道とラップしているが、勿論記憶にない。
新湘南バイパスを越えて暫く行くと、赤羽根神明神社があり、参道が新湘南バイパスと地上道に挟まれた空中参道となっている。

四ツ谷辻に大山不動一の鳥居が、更にお堂に大山不動の道標があり東海道方面から大山を目指す人には心強い。ここからは藤沢橋までは旧東海道と同じルートとなる。

20130418赤羽根神明神社空中参道s-.jpg  20130418大山不動一の鳥居s-.jpg  20130418不動道標s-.jpg


交通量の多い道を進み、メルシャンの少し先におしゃれ地蔵がある。
道祖神だが、女性の願い事を叶え、叶った時は白粉を塗ってお礼をすると言う事で、心なしかやや化粧が剥げ落ちている気配ではあった。

20130418おしゃれ地蔵s-.jpg  


藤沢の市街地に入ると、マンションの敷地に隣接して源義経首洗い井戸がある。
首実検した後、鎌倉打越の海岸に打ち捨てられた義経の首が境川を遡り、この付近で村人に拾われてこの井戸で首を清めたという。奥州街道平泉の高館と、藤沢は一繋がり。

20130418首洗い井戸s-.jpg


藤沢駅を越えると道も江の島道となり、杉山検校が立てた道標が要所要所に立っている。
一切衆生、二世安楽。

諏訪神社上社の長い階段からは、江の島方面が良く伺える。
密蔵寺は新四国霊場を創設しようと88体の弘法大師像を作ろうとしたが、関東大震災で中断。
それまでに製作された像が26体境内に並べられており、壮観だ。

20130418江の島道道標s-.jpg  20130418諏訪神社上社石段s-.jpg  20130418密蔵寺弘法大師像s-.jpg


さらに、常立寺にはフビライ・ハーンの国書を持って渡来した元の使者が処刑された事を弔う供養塔があり、その前には青い布が巻かれた五輪塔がある。
モンゴルは白と青の色を大切にして、青は英雄を意味するらしく、モンゴル出身の力士が巡業の折りにこの寺を訪れ青い布を巻いていると。

20130418元使者供養塔s-.jpg


江の島付近は見所が多く、日もとっぷりと暮れようとしているがようやく弁天橋に辿り着く。
この橋の歩行者専用部分は、最近強風時に係留していた漁船が衝突して橋桁を損傷して修復中で通行止だったが、橋からは遥々歩いて来た大山が薄っすらと眺められる。

20130418江の島s-.jpg  20130418弁天橋s-.jpg  20130418通行止s-.jpg


夜の帳も降りようとする頃、それでも最後はやはり江島神社の辺津宮に参拝して、風も強く見所多くて予想外の時間が掛かったが、今日の無事の街道歩きをお礼した。

20130418江の島弁天-.jpg
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2013年02月14日

大山街道保土ヶ谷道

大山街道のバリエーションルートのこの道は相州道とも言われて、東海道の保土ヶ谷宿の手前芝生追分から分岐して海老名で大山街道青山道に合流する。

和田町から芝生追分までは所謂絹の道とも言われる浜街道を歩いた時に経験済みなので、今回は和田町から歩き始める。
和田町からの道は「水道みち」と名付けられており、津久井村から野毛山の浄水場まで44kmを導水管の工事の為に道が作られた。この道は途切れ途切れだが部分的に残存しており、いつか繋いで見たい道ではある。

星川に、斜面マンションと車の夫々が斜に構えた偶然だが見事にそろえたような景観があって、つい見とれる。
急坂を上る途中に、西谷浄水場のメモリアルポケットパークとして味のある量水器室が保存されている。

20130214水道みち標識s-.jpg  20130214斜面マンションs-.jpg  20130214量水器室s-.jpg


坂を登りきった所にある西谷浄水場には横浜の水道に関しての水道記念館が建っており、歴史や現状の一通りの事柄が分るようになっている。
また、敷地内には味のある登録文化財の濾過池整水室上屋などがあり、これは現役で使われているようだった。

20130214水道記念館s-.jpg  20130214整水室s-.jpg


保土ヶ谷高校の脇を通り街道らしくない雰囲気の住宅地の中を下ると三反田で、そこにある稲荷神社の社を覗くと「大山」と書かれた菅笠がある。国定公園とも書かれている。大山登山の記念で奉納したものだろうがこの街道を使って行ったのかどうかが気に掛かる。

20130214住宅地s-.jpg  20130214三反田神社s-.jpg  20130214菅笠s-.jpg


この辺は横浜市旭区なのだが、旭区には「あさひ散歩」というパンフレットがあり、その中でも道筋が相州道として紹介されている。
六十六部供養地蔵を過ぎると、新幹線を越え、以前歩いた鎌倉街道中道と交差する。
二俣川に近づくと、「たばこ小賣所」の看板を掲げたレトロな煙草屋が見受けられる。

20130214供養地蔵s-.jpg  20130214鎌倉街道s-.jpg  20130214たばこ小売所s-.jpg


二俣川からは尾根筋の道となり、三ツ境を越えて今度は中原街道と二ツ橋で交差する。
ここには「右八王子往来、左神奈川往来」と彫られた真新しい石碑がある。
この地点は、直線で結べば単純なのにわざわざ三角形の二辺を取る道筋となっており、謎。

20130.214二つ橋道標s-.jpg


瀬谷センターの前に「県下新住宅地十佳選当選記念」の記念碑がある。
昭和5年に当時の横浜貿易新聞社が主催して県内の住宅地の人気投票を行ったもので、一位が東横線の白幡丘住宅地だったという。これは今の白楽あたりだろうか。
しかし、昭和5年の時点で瀬谷が住宅地として知名度があったとは意外なこと。
境川手前で、今度はこれも歩いた鎌倉街道上道と交差する。

20130214瀬谷住宅地碑s-.jpg  20130214鎌倉街道上道s-.jpg


行方を厚木基地に阻まれて道は大きく迂回し、基地を分断しながら続き外国のような景観となる。
厚木基地では、まほろば国際マラソンというマラソン大会が毎年基地内で行われていたが、9.11を機に中止されたままになっている。最近はレース復活の動きもあるようだ。
基地内レースはコースが単調だったが、いかにもアメリカンな陽気な雰囲気が思い出される。

20130214厚木基地傍の道s-.jpg  20130214厚木基地ゲートs-.jpg


基地を過ぎて東名高速を越え目久尻川へ向って下ってゆく。この辺は旧道が残っている。
夕暮れ時になり大山も見え始め、伊勢山自然公園付近で青山道と合流し、何年かぶりにビナウォーク内の国分寺の七重の塔のミニチュアを見て終わる。

20130214大山s-.jpg  20130214七重の塔s-.jpg


街道で慣れ親しんだ地域だが、歩けばやはり初めて知る事も多く、又別の大山街道が楽しみだ。
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2012年06月15日

大山街道柏尾道

大山を目指す大山道は数多くあり、関東近辺の街道を歩くとその名残にしばしば遭遇する。
柏尾道は、その中でも比較的メジャーで、東海道戸塚宿手前の柏尾の不動坂で東海道から分岐して下糟屋で矢倉沢往還と合流する。

取り掛かって放置状態の大物の北国街道や、三国街道をひとまず置いて、この大山街道のバリエーションルートを歩いてみた。

柏尾道に入る前に、東海道沿いの益田家のモチノキに再会する。ここを歩いたのは既に11年も前になり一際懐かしい。

直ぐに柏尾不動堂が現れ、多くの道標が残されている。
堂の前には休憩のための桟敷が設けられているのが有難く、カラーコーンに「柏尾町大山年参講」とあり、町内にまだ講中が残っている事を窺わせた。

20120615モチノキs-.jpg   20120615柏尾不動堂s-.jpg  20120615柏尾町カラーコーンs-.jpg
 

東海道線を大山跨線橋で越えるが、付近には大山と言う地名はなく、この名前は道が大山街道であった事を示しているに違いないが、それに気づく人は殆どいないだろう。

20120615大山跨線橋信号s-.jpg 


阿久和川沿いの旧道は、車の入らない緑道となっていて気持ちが良い。
不動橋で向導寺裏の富士塚に立ち寄る。結構立派な塚だが残念ながら手入れされている気配は全くなく、雑草の生い茂るにませていた。

20120615阿久和川緑道s-.jpg  20120615富士塚s-.jpg


不動橋を渡った永明寺別院の前には、不動明王を戴いた道標。
大山街道では有名な三軒茶屋の道標を始めとして、不動道標はありふれているが、他であまり見た記憶がないので大山街道独特のものだろうか。

20120615永明寺別院前庚申塔s-.jpg


中川地区センターの駐車場に、石碑群が集められている。この街道はとにかく石碑が多い。
道は泉区総合庁舎付近で長後街道と合流し、その付近に珍しい蚕御霊神塔がある。。
蚕神碑は結構あちこちで見かけるが、蚕御霊神塔は霜害で桑が枯れて蚕を育てられなくなり、蚕を埋めてしまったことの供養と言う。

20120615石碑群s-.jpg  20120615蚕御霊神塔s-.jpg


道端の空き地の中に庚申塔がある。
元々は街道沿いにあったものが移設されたのか、そもそもこの庚申塔の前が街道だったのか。

20120615空き地の庚申塔s-.jpg


境川手前で鎌倉街道上道と交差する。鎌倉街道上道を歩いた時のおぼろげな記憶が蘇る。
境川はその名の通り相模と武蔵の境の川で、この辺は横浜市と藤沢市の行政境となっていて、河岸は瀬谷駅付近から江の島まで辿る事が出来るサイクリングロードがある。
どうという事のない川だが、自転車でも走っているのでここも懐かしい。

20120615境川s-.jpg


小田急江の島線を越えると仙元塚がある。仙元塚は浅間塚で、富士塚とされている。
富士塚自体は、宝永の噴火の灰を集めて造ったと言われるが、今は笹に覆われ、富士塚とは言いがたい低さとなっている。

少し歩くと長後市民センターで、ここにも多くの石碑が集められている。

20120615仙元塚s-.jpg  20120615石碑群1s-.jpg


引地川を渡って棚を上り返し、旧長後街道に入ると工場の塀の一部が透明になっていて、内部に御所見塚の説明版と石碑がある。何故説明版を道路に出さないのかは不思議。
本来は桓武天皇の桓武天皇の第二皇子、葛原親王が葛原の地に下向された際に造られた御所を眺める事が出来た円墳があったと言うが、今は整地されて跡形もない。

20120615御所見塚跡s-.jpg


中原街道と交差する用田の辻に不動道標がある。ここがこの日に出会った歩いた事のある街道三つ目。
不動は良い表情だが、道標の「右大山道」と言う文字は落剥して殆ど判別出来ない。

20120615用田の辻不動道標s-.jpg


居合橋への道筋には、光背が赤く彩られた不動道標や美しい苔に囲まれた道祖神がある。

20120615赤の大山道標s-.jpg  20120615苔の道祖神s-.jpg


相模線を越えると渋谷神社がある。神社と言いながら鐘楼があり、神仏混淆の名残りだろう。
海老名市の重要文化財の本殿は彫刻が部分的に彩色されており、異彩を放って見える。

20120615渋谷神社鐘楼s-.jpg  20120615渋谷神社本殿s-.jpg


道は相模川の戸田の渡しに向っていく。
河川敷に入る手前に銀杏の木に守られるように、道路の真ん中に不動道標があり、交通の邪魔この上ないが移築されずに良く残ったものだと感激する。
さがみ縦貫道が建設中の相模川を渡ると大山も間近。

20120615戸田の渡し不動道標s-.jpg  20120615戸田の渡し不動道標1s-.jpg  20120615さがみ縦貫道s-.jpg

渋谷川沿いからは大山が良く見える。
小田急を越えた下糟屋で、矢倉沢往還と合流する。
矢倉沢往還を歩いて、大山阿夫利神社まで登ったのは5年前になる。この道はいつか来た道、もう一昔前の感慨が新た。

20120615大山s-.jpg  20120615下糟屋青山道合流点s-.jpg

流石に一日で大山に登るのは難しく、下糟屋の追分から、矢倉沢往還を逆に辿り愛甲宿まで歩いて今回の街道を終えた。
5年前は、何のために阿夫利神社に行ったのかと思い出しながら。
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2008年02月23日

身近な街道大山街道(その5:本厚木〜大山阿夫利神社下社)

今日が大山街道最終日。

本厚木駅から街道に戻り、迷う筈のないところであれこれ道迷いしながら、愛甲宿へ出る。
入り口に、左大山道と書かれた道標を兼ねた庚申塔がある。ここは地名は何故か愛甲宿でなく宿愛甲。

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大山の姿も近くなるが、折りしもの強風に煽られ、またしても道迷い。
何とか東名高速を越え、東〆引の道標へたどり着く。ここからは一本道なので一安心。

道標に書かれている「七五三引村」の七五三でシメと読む地名は初めてで、興味を引く。
いわれはしめ縄で、今のしめ縄は、まん中の太くなった横紐に、3本の縄をぶら下げるが、かつては、同じ太さの横紐に、3本、5本、7本の縄をぶら下げた。
そのため、しめ縄のことを「七五三縄」とも書き、それから七五三をシメと発するようになったとか。
この道標は明和9年(1772)のものなので、それ以前から七五三はシメだったわけだ。

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洞昌院に立ち寄り、太田道灌の墓を詣でる。思ったより質素な姿だ。

20080224太田道灌墓 s-.jpg


三の鳥居を過ぎると、門前町で講中の宿が立ち並び名物の豆腐料理の店も多い。

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ケーブルをやり過ごし、当然足で登り、女坂でまず大山寺へ。
元々は大山阿夫利神社と大山寺は一体のものだったが、明治の神仏分離で分かれたとか。

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大山阿夫利神社下社では、白いものがちらほら。
山頂の本社、奥社は何度も訪れているので今回は遠慮して、ここで歩き終える。

大山寺、阿夫利神社下社にあれこれ願い事多し。
20kmほど歩いて、700mほど登ったので、それに免じて少しはご利益があることを期待したい。

20080224阿夫利神社s-.jpg 20080224下社からs-.jpg
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2008年02月11日

身近な街道大山街道(その4:すずかけ台〜本厚木)

すずかけ台から下鶴間宿に入ると、旧家の豪壮な家や旧家小倉家を利用した「下鶴間ふるさと館」などがあり、街道らしい雰囲気が味わえる。

20080211下鶴間ふるさと館s-.jpg


渡辺崋山は大山街道のそこここに「游相日記」に記した「お銀さま」を尋ねる旅で、唯一の文人墨客的に顔を出す。
この宿場でもあちこちに。
少し行くと古東海道の案内もあり、辿ってみたくなるがまた何時か。

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海老名に近づくと、時代は一気に遡り大化の改新へ。
日本最古の運河と言われる逆川の史跡、近くには相模国分寺の遺構もあり高さ65mもあったという七重の塔跡や、僧房跡が整備され、古代の風を感じることが出来る。
条里制の跡ものこり、一大縄という地名も残存している。

20080211七重の塔礎石s-.jpg 20080211七重の塔モニュメント s-.jpg

海老名駅前の、複合商業施設ビナウォークの中には七重の塔の1/3のモニュメントがあるが、国籍不明安普請の建物に取り囲まれて肩身が狭そうだった。
ちなみに、ビナウォークの設計者は北山孝一郎。

大山もその姿を大きく見せ始める相模川を渡り、「厚木の渡し」「渡邊崋山来遊記念」碑などを見て陽も落ち始め、旅を終える。

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2008年01月05日

身近な街道大山街道(その3:溝の口〜すずかけ台)

この日は川崎横浜の丘陵地帯で、246号と東急田園都市線を縫うように進み、細かなアップダウンが特徴だ。

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駅にすると、溝の口 、梶が谷 、宮崎台 、宮前平、 たまプラーザ、あざみ野 、江田、 市が尾、 藤が丘、青葉台 、田奈、長津田 、つくし野、すずかけ台 。

車だと殆ど246号の走りなれた道だが、街道を歩くと右に左に紆余曲折、比較的なじみの所だけに逆に方向感覚を喪失するような違和感がある。

荏田宿が昔は江戸から一日目の宿場。昔の人は大山まで一泊二日で歩いたか。健脚だ。
この付近はお地蔵様や庚申塔が丁寧に保存されていて、土地の人々のよすがとして生き続けている。
水玉のお地蔵様が可愛らしい。

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荏田から先は新興住宅街の中に道は消え、さながらルートファインディングのような趣となる。

道筋は庚申塚や馬頭観音はいつものことだが、地神塔なども見られ昔の農村の信仰の篤さが感じられる。長津田の地神塔は達筆だ。

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すずかけ台手前の、馬の背では眼下の町越しに大山が眺められる。
美しい日の入りの光景が、また次の日の旅を誘っていた。

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ラベル:大山街道 荏田宿
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2007年12月27日

身近な街道大山街道(その2:三軒茶屋〜溝口)

三軒茶屋から二子までは世田谷通り沿いの旧道と、国道246号沿いの新道とあるが、今回は旧道を行く。
短い距離だが、新旧色々な見所多くあちこち立ち寄りながら飽きずに歩くことが出来た。

三軒茶屋からの東急世田谷線は、都内で都電の荒川線と共に数少ない軌道線。僅か5kmの営業だが二両編成でゆっくり動く姿を見ると、心が和む。

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街道から少し外れて松陰神社へ。
小塚原回向院から改葬された松陰の墓がここにある。萩の松下村塾も再現されている。
辞世
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

享年僅か30歳。


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円光寺では境内に、踏切まである立派な軌道が。
鉄道好きの付属幼稚園の園長さんが作ったらしいが、残念ながら移転でレールの跡だけが残る。

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ボロ市が開かれる通りにある、立派な屋敷は井伊直弼で有名な近江彦根藩世田谷領の代官であった大場氏が勤めた代官屋敷。
つい最近まで世田谷区長だった大場啓二氏は、その末裔。代官屋敷の保存も行き届いている訳か。

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ちなみに井伊直弼の墓は、松陰神社のすぐそばの豪徳寺にあり、幕末の安政の大獄の弾圧した側とされた側が、すぐ傍に眠るという歴史の皮肉。


弦巻の公園に一服している旅人の像が。
さして有名でもない街道に、このような像を設置した人の遊び心が楽しく、弦巻商店街も「大山街道の通る道」の幟を掲げている。

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用賀商店街を通り抜け多摩川に近づくと、玉川神社、玉川寺、玉川大師と玉川の名を冠した社寺が固まっている。

玉川大師は善光寺のような暗闇の地下霊場があり、四国88箇所と、西国33番が同時に巡礼できる有難さ。
街道歩きをする人は一度は行かねばなりますまい。

20071227玉川大師s-.jpg


多摩川を二子橋で渡る。
多摩川を車で渡ることは多いが、歩いて渡る人は多くない。
東海道の六郷橋、甲州街道の日野橋、中原街道の丸子橋、それにこの二子橋の4箇所で多摩川を渡った事になる。

二子橋を渡ると、大山街道をテーマに街おこしが行われており、商店の口上や、看板に意気込みが感じられ、大山街道ふるさと館もある。
地域にはゆかりの文化人も多く岡本かの子、岡本太郎、濱田庄治、国木田独歩などが楽しめる。

濱田庄治の「巧工不留跡」の碑を見て、日も落ちた。

濱田庄治碑s-.jpg
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2007年12月15日

身近な街道大山街道(その1:赤坂見附〜三軒茶屋)

11月末から奥州街道の渋民村から先を歩き継ぐ予定が、思いがけない早い冬で、東北はすっかり冬景色となり、さすがに断念する。

その代わりに、「近くて良き山」は谷川岳だが、近くて良き街道は無いものかと見回すと、身近にあったのが大山街道、別称矢倉沢往還。

大山街道は赤坂見附から丹沢の大山山頂まで、70km程度の短い街道だが、昔から大山詣でで栄えていた。
現在は、川崎市の溝口付近では町おこしで、大山街道フェスタというものも開催されている。

一気に歩き切らないで、年末年始の小春日和にのんびりと歩きたい。
まずは赤坂見附から。

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赤坂見付けの交差点近くには、鹿島建設の本社ビルがある。
シンプルだが設計者の理念が伺える好作品だった。少し違和感を感じて通り過ぎたが、何と一つは今年の7月竣工の新本社ビル。もう一つは解体工事が開始された旧本社ビル。
見た目はデザインを継承したようだが、似て非なるものでプロポーションの差と安易な造形は一目瞭然だ。

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ちなみに正方形グリッドのフレームが新本社、長方形グリッドのものが旧本社。

少し歩くと高橋是清の記念公園がある。ダルマ宰相で有名だが、アメリカで奴隷になり、ペルーで山師まがいのことをしたりと、まことに今のサラリーマン首相とは桁違いの波乱万丈の人生だった。
しかし最後は2.26事件でこの地で殺された。
自伝も読み掛けのまま。

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黄葉が遅れて、神宮外苑前ではまだ落ちきらない公孫樹の黄葉が美しい。
ここの銀杏は実生で丁度樹齢99年、人なら白寿で目出度いことだ。
絵画館に向かって、距離感を強調するため樹高を24mから17mに徐々に下げている。何のためにか。

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表参道の隈研吾設計のone 表参道の木製ルーバーはまだ健在だ。
これが巨大化して白くなると、サントリー美術館のルーバーに化ける。

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宮益坂にはビル屋上の御嶽神社。狛犬は狼で、狛狼と言うべきか。
御嶽神社と名の付くものは多いが、いずれも日本武尊伝説などに関係して狼の狛犬が見られるようだ。
調べだすと深入りしそうなので、見るだけに留める事にする。

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道玄坂を登るとマークシティへの入り口に、流麗な筆の与謝野晶子の碑がある。
このそばに鉄幹と住んでいたとか。
 母遠うて瞳したしき西の山 相模か知らず 雨雲かかる

百首屏風もいつか見てみたい。

20071215与謝野晶子碑s-.jpg


上目黒の氷川神社で、初めて古い大山道の刻まれた道標を目にする。
正面に、「大山道 せたがや通 玉川通」、右側面に「右 ひろう めぐろ 池がみ 品川みち」、左側面に「左 青山 あざぶみち」
まだ、都内に道標が残されていることに、何となくほっとする。

三軒茶屋で旧道と新道の分岐があり、不動明王を乗せた立派な道標が鎮座していた。

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歩いたのは10kmにも満たない短距離だが、近くてよき道に満足して、ここで一日目を打ち止めた。
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